P1 国立国会図書館蔵
(読み)
こゝ尓
ここに
ゑそう
えそう
しの
しの
作 者 尓
さくしゃに
京 傳 と
きょうでんと
いふもの
いうもの
あり
あり
ま
ま
いとし本 や可ら志ん
いとしほんやからしん
者゛んの志由可うを
ぱ んのしゅこうを
せ川可るゝ多ひ尓ハ
せつかるるたびには
どうぞ可ら多可゛二 ツも
どうぞからだが ふたつも
三 ツもあ連バいゝと
みっつもあればいいと
思 ふ尓つ多へきく平 志ん王
おもうにつたえきくへいしんのう
まさ可どハ可ら多゛可゛七 ツ有 と
まさかどはからだ が ななつありと
いゝつ多ふ七 人で可せい多゛ら
いいつたうななにんでかせだ ら
さぞくめん可゛よ可ろふと
さぞくめんが よかろうと
於もへど又 七 人 で
おもえどまたしちにんで
つ可ふ由へ同 じ
つかうゆえおなじ
どうりされバ
どうりされば
世の中 尓まゝ尓
よのなかにままに
奈る事 とてハ
なることとては
中 者゛しのさきの
なかば しのさきの
京 者しの傳 可゛
きょうばしのでんが
あんじの
あんじの
くさそうしといつ者゜
くさそうしといっぱ
ぞも\/
そもそも
何 とぞいゝてへ可゛
なんとぞいいてえが
かき入 可゛於ゝく
かきいれが おおく
なる可ら
なるから
多゛満川て
だ まって
ゐよう
いよう
(大意)
ここに絵草紙の作者で京傳というものがいる。毎年本屋から新作の趣向をせっつかれるたびに、「なにとぞからだが二つも三つあるように、そうすれば(新趣向を考えられて)よいのに」とおもうにつけ、伝え聞くところによると、平新王将門(へいしんおうまさかど)はからだが七つあったという。七人で稼いだらさぞ工面がよかろうと思うのだが、また七人で使うのだから結局は同じことになってしまう。世の中におもいどうりになることはないのだ。中橋の先の京橋に住む京傳の考えた草双紙と言えばそもそも、あれこれ言いてえところだが、字ばかりが多くなってしまうから、黙っているとしよう。
(補足)
出だしの「こゝ尓」が、本の綴じにかくれてしまって読めません。
「事とてハ中者゛し」、「事とてはない」の『ない』に『中橋』を掛けている、掛詞。縁が中橋(縁がない)、気は中橋(気はない)のように使われた。中橋は日本橋と京橋の間の地名。京伝は京橋南詰東側、現在の銀座一丁目に住んでいた。
「いつ者゜」、『いっぱ 【言つぱ】
(連語)〔「言ふは」の転。「…といつぱ」の形で用いられる〕
言うのは。「そもそも富士の白酒と―」〈歌舞伎・助六所縁江戸桜〉』。歌舞伎風に芝居がかった感じをだしている(つもり)。
ここは一番最初の序など相当するところでしょうけど、堅苦しくなく、語りかけるように、当時はきっと型破りな出だしではなかったかとおもいます。
京傳の後ろには「太平記」の本箱があります。この黄表紙にはかかせません。
文机がまったく無駄のない簡潔な作り。すばらしい。これ作りたい。
京傳には有名な自画像があって、その顔立ちとここの京傳の顔がそっくりです。絵師はかなり意識して京傳に似るように描いたのでは・・・
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