2024年10月17日木曜日

時代世話二挺鼓 その2

P1 国立国会図書館蔵

(読み)

こゝ尓

ここに


ゑそう

えそう


しの

しの


作 者 尓

さくしゃに


京  傳 と

きょうでんと


いふもの

いうもの


あり

あり



いとし本 や可ら志ん

いとしほんやからしん


者゛んの志由可うを

ぱ んのしゅこうを


せ川可るゝ多ひ尓ハ

せつかるるたびには


どうぞ可ら多可゛二 ツも

どうぞからだが ふたつも


三 ツもあ連バいゝと

みっつもあればいいと


思 ふ尓つ多へきく平 志ん王

おもうにつたえきくへいしんのう


まさ可どハ可ら多゛可゛七 ツ有 と

まさかどはからだ が ななつありと


いゝつ多ふ七 人で可せい多゛ら

いいつたうななにんでかせだ ら


さぞくめん可゛よ可ろふと

さぞくめんが よかろうと


於もへど又 七 人 で

おもえどまたしちにんで


つ可ふ由へ同 じ

つかうゆえおなじ


どうりされバ

どうりされば


世の中 尓まゝ尓

よのなかにままに


奈る事 とてハ

なることとては


中 者゛しのさきの

なかば しのさきの


京  者しの傳 可゛

きょうばしのでんが


あんじの

あんじの


くさそうしといつ者゜

くさそうしといっぱ


ぞも\/

そもそも


何 とぞいゝてへ可゛

なんとぞいいてえが


かき入 可゛於ゝく

かきいれが おおく


なる可ら

なるから


多゛満川て

だ まって


ゐよう

いよう

(大意)

 ここに絵草紙の作者で京傳というものがいる。毎年本屋から新作の趣向をせっつかれるたびに、「なにとぞからだが二つも三つあるように、そうすれば(新趣向を考えられて)よいのに」とおもうにつけ、伝え聞くところによると、平新王将門(へいしんおうまさかど)はからだが七つあったという。七人で稼いだらさぞ工面がよかろうと思うのだが、また七人で使うのだから結局は同じことになってしまう。世の中におもいどうりになることはないのだ。中橋の先の京橋に住む京傳の考えた草双紙と言えばそもそも、あれこれ言いてえところだが、字ばかりが多くなってしまうから、黙っているとしよう。

(補足)

出だしの「こゝ尓」が、本の綴じにかくれてしまって読めません。

「事とてハ中者゛し」、「事とてはない」の『ない』に『中橋』を掛けている、掛詞。縁が中橋(縁がない)、気は中橋(気はない)のように使われた。中橋は日本橋と京橋の間の地名。京伝は京橋南詰東側、現在の銀座一丁目に住んでいた。

「いつ者゜」、『いっぱ 【言つぱ】

(連語)〔「言ふは」の転。「…といつぱ」の形で用いられる〕

言うのは。「そもそも富士の白酒と―」〈歌舞伎・助六所縁江戸桜〉』。歌舞伎風に芝居がかった感じをだしている(つもり)。

 ここは一番最初の序など相当するところでしょうけど、堅苦しくなく、語りかけるように、当時はきっと型破りな出だしではなかったかとおもいます。

 京傳の後ろには「太平記」の本箱があります。この黄表紙にはかかせません。

文机がまったく無駄のない簡潔な作り。すばらしい。これ作りたい。

 京傳には有名な自画像があって、その顔立ちとここの京傳の顔がそっくりです。絵師はかなり意識して京傳に似るように描いたのでは・・・

 

0 件のコメント:

コメントを投稿