P24P25 個人蔵書
(読み)
うき奈ハ
うきなは
多とへうそ
たとえうそ
志んぢ う二
しんじゅうに
ても
ても
く王いぶん
が いぶん
王るいと
わるいと
とん多゛ふしやうち奈りし可゛
とんだ ふしょうちなりしが
此 あんじを志由びよくつとめ多あと
このあんじをしゅびよくつとけたあと
でハ春い多於とことそ王せてやろうと
ではすいたおとことそわせてやろうと
ゆらの春け可゛いふやう奈せりふ尓て
ゆらのすけが いうようなせりふにて
よふ\/とく志んさせ此 あききやうげん尓ハ
ようようとくしんさせこのあききょうげんには
ゑん二郎 可゛む利足 尓て金 もとをするやくそく尓て
えんじろうが むりそくにてかねもとをするやくそくにて
ざもとを多のミさくら田尓いゝつけて此 ことを
ざもとをたのみさくらだにいいつけてこのことを
志゛やうるり尓つくらせ多ち可多ハ門 の介 と
じょ うるりにつくらせたちかたはもんのすけと
ろ可う尓てぶ多いでさせるつもり者多き
ろこうにてぶたいでさせるつもりはたき
そう奈志者゛ゐ奈りもとよりす奈を尓
そうなしば いなりもとよりすなおに
身うけしてハいろ於とこで奈いと
みうけしてはいろおとこでないと
かけ
かけ
於ちの
おちの
ぶん
ぶん
尓て
にて
れんじ
れんじ
を
を
こハして
こわして
(大意)
浮名はたとえうそ心中でも外聞が悪いと、とても納得していなかったが、この計画を首尾よくなしとげたあとには、好きな男とそわせてやろうと、(大星)由良之助が言うようなせりふで、よくよくしっかり納得させた。
また、この秋の歌舞伎興行では艶二郎が無利息で出資するという約束をして、座元に頼み、桜田(治助)にいいつけて、このことを浄瑠璃に作らせ、立方は門之助と路考で、舞台で演じさせるつもりだが、失敗しそうな芝居であった。
もとより素直に身請けしては色男ではないと、いかにも駆け落ちしているかのように見えるように、櫺子(細い木の格子)を壊して、
(補足)
「く王いぶん王るい」、遊女と客の心中は、死にそこなうと日本橋の南詰めに三日さらされたうえ、男女別々に非人頭に渡される、とありました。なのでうそ心中でもそうはなりたくない。
「ゆらの春け可゛いふやう奈せりふ」、浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」七段目・祇園一力の場で、大星由良之助が遊女お軽に身請けの相談をして、「間夫があるならそわしてやろう・・・侍冥利、三日なりとも囲うたら、それからは勝手次第」というセリフの引用。
「さくら田」、『さくらだじすけ ―ぢすけ【桜田治助】歌舞伎脚本作者。
① (初世)[1734〜1806] 壕越(ほりこし)二三治の弟子。四世松本幸四郎と提携,江戸世話狂言を確立。代表作に「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちよう)」「伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)」があり,「戻駕(もどりかご)」など舞踊劇にもすぐれた』。このうそ心中を劇にしてくれるよう頼んで、人々に話題にしてもらいたい一心。
「多ち可多」、舞踏では踊る者を立方、音楽を地方という。
「門の介とろ可う」、二世市川門之助、寛政六(1794)年没。路考は三世瀬川菊之丞の俳名。
「者多きそう奈」、『はた・く 2【叩く】⑥ 失敗する。損失を出す。「―・きさうな芝居なり」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』。
若いもの二人に灯りまでさされ、その後ろには禿までいて駆け落ちの見送り付きとは、なんとも馬鹿げていておかしな場面。しかし、壊された櫺子(れんじ)、細い木の一本一本角をしっかり立てて、とても立体的にしている、をとおして、その奥の見送り衆を重ねて描いていて、その一人は格子の間から手に持つ灯りを差し出しています、手がこんでいます。どうやって彫ったのでしょう?
この内容のバカバカしさトンチンカンな駆け落ち風景ですが、その一方、画は極めて写実的で正確緻密です。その落差がなんともおかしみを増しています。
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