P30 東京都立中央図書館蔵
(読み)
王可きときハけつきいま多゛
わかきときはけっきいまだ
さ多まらすいましむる事 いろ\/
さだまらずいましむることいろいろ
ありといふことを志らぬ可春べてあんじ可
ありということをしらぬかすべてあんじが
こうするとミ奈こうし多もの多゛於そろしき
こうずるとみなこうしたものだ おそろしき
とろ
どろ
本゛うと
ぼ うと
までミを
までみを
やつせし
やつせし
王れ\/可
われわれが
くふうの
くふうの
きやう
きょう
げん
げん
いこハ
いごは
きつと
きっと
多し奈ミ
たしなみ
おれ
おれ
きのすけや
きのすけや
王るい
わるい
志あんとも
しあんとも
まう
もう
つきあふ
つきあう
まい可
まいか
そち者゛かりでハ
そちば かりでは
奈いよの中 二多いふ可ういふ
ないよのなかにだいぶこういう
こゝろいきのもの可゛あるて
こころいきのものが あるて
(大意)
弥二右衛門「若いときは血気いまだ定まらず、(色恋は)あれこれ注意せねばならぬことがあるということを知らぬのだ。思いつきが度を過ぎると、すべてがこうなってしまうものなのだ。恐ろしい泥棒の姿にまでなって、われわれが仕組んだ狂言、以後は必ずや自分のおこないに気をつけろ。喜之介や悪い志庵とも、もうつきあうでないぞ。お前ばかりではない、世の中にだいぶこのような性格のものがいるのだよ」。
(補足)
「王可きときハ〜」、論語季氏第十六の七『少之時。血氣未定。戒之在色』
「こゝろいき」、『③ 性格。気性。気質。「世の中に大部かういふ―の者が有るて」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉
④ なったつもり。また,気どり。「艶二郎は役者・女郎などの―にて」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』
京傳はもともと絵師でした(北尾政演は絵師としての名前)ので、ここの親父殿からの説教の場面もどこかなごやかな雰囲気をかもしだして、描かれています。
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