2024年10月6日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その46

P26P27 東京都立中央図書館蔵

P27 個人蔵書

(読み)

やくしの

やくしの


あ多り尓て

あたりにて


ミ奈\/尓王可れ

みなみなにわかれ


ゑん二郎 ハ日ごろのね可゛い

えんじろうはひごろのねが い


可奈いしとこゝろうれしく

かないしとこころうれしく


道 行 をしてゆきこゝこそ

みちゆきをしてゆきこここそ


よきさいご者゛と者く於きの

よきさいごば とはくおきの

P7

王きざしをぬいてすで尓

わきざいをぬいてすでに


こふよとミへ

こうよとみえ


奈むあミ多゛ぶつといふを

なむあみだ ぶつというを


あいづ二い奈むらのかげゟ

あいずにいなむらのかげより


くろしやうぞくの

くろしょうぞくの


とろ本゛う

どろぼ う


二 人あら王れ

ふたりあらわれ








まつ

まっ


者゜た可尓

ぱ だかに


して

して


者ぎとる

はぎとる


王いらハ

わいらは


とふで

どうで


志ぬもの多゛

しぬものだ


可ら

から


於いら可゛

おいらが


可いしやく

かいしゃく


して

して


やろう

やろう

(大意)

(多田の)薬師あたりでみんなと別れ、艶二郎は日頃の願いがかなったと心うれしく、心中の場所へ行き、こここそよき最後の場と、箔置きの脇差しをおき、いよいよ最後の時とおもい、南無阿弥陀仏というのを合図に稲叢(いなむら)のかげより、黒装束の泥棒があらわれ出てきて、二人を真っ裸にしてはぎとってしまった。

泥棒一「お前らはどうせ死ぬ者だから、おいらが介錯してやろう」

(補足)

「たゞのやくし」、吾妻橋の川下の東岸、番場(現在の墨田区東駒形)にあった玉島山明星院東江寺。本尊の薬師仏は多田満仲(ただのまんじゅう)こと源満仲(みなもとのみつなか)の持仏という、とありました。ついでに古地図で調べるとありました。

「とふで」、『どうで(副)

いずれにせよ。「どうせ」の古めかしい言い方。「―一日か二日の命」〈色懺悔•紅葉〉』

「まつ者゜た可」、濁点「゛」もついたりつかなかったりしますが、半濁点「゜」はさらにいいかげんなのに、ここではやけにくっきりと大きな「゜」が目立つように付けられています。身ぐるみ剥がされて真っ裸なことを強調したかったのかもしれません。

「い奈むら」、泥棒二人のうしろにある刈り取った稲を重ねたもので、以前は稲刈り後の田圃の風景でありました。

 

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