2019年3月10日日曜日

変事出来二付心得覚記 その115




 P.49 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
有之  候  ハヽ、手強之 者 四五人
これありそうらわば、てごわしものしごにん

罷  出差 留 遍くと差 図有之  、
まかりでさしとめべくとさしずこれあり、

右 二付 寅 次郎 殿 参 ル馬頭 堂 二
みぎにつきとらじろうどのまいるばとうどうに

待 居 候   處  、下 名栗 村 ゟ 栄 五郎・
まちおりそうろうところ、しもなぐりむらよりえいごろう

助 次郎 両  人 参 り申  様
すけじろうりょうにんまいりもうすさま


(大意)
がいれば、屈強な者4,5人を
向かわせ押し止めるようにとの指示があった。
そのような訳で寅次郎殿が馬頭堂に出向き
待機していると、下名栗村より栄五郎と
助次郎の両人がやって来て言うには


(補足)
「手強之者」、「強」はじっと見ていると、それらしくみえてきます。
「差図」、「図」のくずし字がどうしてこうなるのか、見た目は格好いい。

「寅次郎」、翻刻では「次」となってますが、原文では「二」にみえます。
「馬頭堂」、「堂」が難しい。場所は源左衛門宅よりやや南のところ。
「待」、「寺」のくずし字は読めるとおもったのですが、このくずし字は?
「栄五郎」、「五」が小さい。


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