P.55 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
此 度 之事 者
このたびのことは
本 も末 も無御座 、誰 の情
もともすえもござなく、だれのなさけ
と申 事 も無之 、只 天 災 二
ともうすこともこれなく、ただてんさいに
御座候 、中藤 江も右 の筋 ヲ
ござそうろう、なかとうへもみぎのすじを
申 遣 し、茂左衛門 殿 宅 二而も
もうしつかわし、もざえもんどのたくにても
一 同 打 寄 、飯 能 迄 罷 出遍 、
いちどううちより、はんのうまでまかりでべく、
(大意)
この度のことは
不運なめぐり合わせの出来事で、誰かの義理立て
で行ったということでもなく、ただの天災で
御座います。中藤へもこのようなお話を
とうしてあります。茂左衛門殿宅でも
一同集まりお話をしました。飯能まで出かける、
(補足)
「本も末も無御座」、(原因と結果があっての事ではない)ということなので、このような言い回しにしました。
「誰の情」、(だれのじょう)かもしれません。誰かの事をおもっての感情に流されてであるとか義理立てをしてということではないということでしょうか。
「と申事も」、この「と」の変体仮名は「者」(は)のそれとそっくりです。こちらは「登」(と)の変体仮名でしょう。
「災」、やさしそうで難しい。
「中藤」、「藤」難しい。
何故、字下げの部分が続くのか? 考えているのですが、うーん・・・。
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