2019年3月5日火曜日

変事出来二付心得覚記 その110




 P.46 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   畄 吉 儀十  八 日 暮 六ツ時 立 戻 る、
ひとつ とめきちぎじゅうはちにちくれむつどきたちもどる、

武州  高麗郡 下 鹿山 村 百  姓  倉 吉 母
ぶしゅうこまぐんしもかやまむらひゃくしょうくらきちはは

同 道 二而参 ル、両  人 共 相 調  候   處  、
どうどうにてまいる、りょうにんともあいしらべそうろうところ、

十  五日 広 瀬か王らゟ 病  氣と而
じゅうごにちひろせかわらよりびょうきとて

実 家罷  越 、母 并  兄 女  房 二
じっかまかりこし、ははならびあににょうぼうに

薬 用 手当 之世話致貰    、
やくようてあてのせわもらいいたし、


(大意)
ひとつ 留吉については18日夕方6時に帰宅しました。
武州高麗郡下鹿山村百姓倉吉の母親が
一緒に付き添って来ました。二人とも調べたところ
15日(狭山の)広瀬河原で病気となり
実家へ行き、母と兄嫁に
薬を飲み看病してもらっていました。


(補足)
 字下げをして一つ書きで、留吉の動静について取り調べたことを記してます。

「暮」、「艹」から「日」までが長い。形で覚えるしかなさそう。
「高麗」、「下鹿山」、「鹿」が同じくずし字になってます。

「薬」、こちらの「艹」は「暮」のとは異なりわかりやすい。「暮」のほうは、「艹」の「一」が「冖」のように書いているからかと今気づきました。

全般にわかりやすい手跡です。


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