2019年3月8日金曜日

変事出来二付心得覚記 その113




 P.48 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
小前 前 書 之名前 者 十  六 日 二
こまえぜんしょのなまえものじゅうろくにちに

村 方 妙  見 社 二集   相 談 之事 、
むらかたみょうけんしゃにあつまりそうだんのこと、

此 末 御廻  村 有之  御取 調  之節 ハ、
このすえおまわりむらこれありおとりしらべのせつは、

惣 代 下 四 拾  軒 二而壱 人、上ミ
そうだいしもよんじゅっけんにてひとり、かみ

四 拾  軒 二而壱 人、但  惣 代 之者
よっじゅっけんにてひとり、ただしそうだいのもの


(大意)
小前の先に記した名前の者が16日に
村の妙見社に集まり相談したとのことである。
この結果村内を見回り、取り調べるときには
惣代が下の村40軒について一人、上の
40軒について一人(が担当するが)、しかし惣代は


(補足)
 ゴメンナサイ。
一行目右側に重しの黄色い部分が写り込んでしまいました。

「小前前書之名前者」、「前」という漢字が3つあります。最初と最後は同じようなくずし字ですが、真ん中のは異なってます。やはり使われる単語の中で書体が決まる感じです。

「者」も助詞の「は」のときと「者」(もの)のときの区別をはっきりさせてます。
また助詞「者」(は)とカタカナ「ハ」が混在しています。

「節ハ」、なんとなくわかりますが、?
「四拾軒」、「拾」はいつも難しい。

「妙見社」、明治5年に星宮神社と改めた。唐竹の川向うあたりにある。



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