P.53 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
若 不出合 者 ハ後日 難 可有之
もしであわずものはごじつなんこれあるべく
趣 申 置 立 去 候 間 、一 同 今 夜
おもむきもうしおきたちさりそうろうあいだ、いちどうこんや
中 飯 能 川 原へ詰 合 可申 候 由 、
じゅうはんのうかわらへつめあいもうしべくそうろうよし、
右 紋 二郎 ・豊 五郎 両 人 ゟ 俄 大 音
みぎもんじろう・とよごろうりょうにんよりにわかだいおん
声 二而申 触 歩 行 候 二付
せいにてもうしふれあるきゆきそうろうにつき
(大意)
もし一緒に押しかけない者は後日ひどい目にあうだろう
ことを言い置いて立ち去っていった。そのため村民全員は今夜中に
飯能河原へ寄り集まったほうがよいだろうということで
先の紋次郎と豊五郎の二人が急に大声で
その事を歩きながら触れ回りました。
(補足)
「可有之」、「可申候」の「可」は「マ」のような感じです。
「今夜」、楷書風。
「歩行」、「行」は特徴的、形で覚えるしかありません。大きな「り」に左側に「、」。
「触」がまた出てきました。旧字は「虫」が「蜀」です。入門古文書小辞典で調べると「虫」はのっていませんでしたが「触」はあります。ここのようなくずし字はなく例としてあったのは旁が「る」のような感じのものでした。
辞書の「触」の上に「解」があり、これを見ると、あれれ、ここのくずし字とそっくりというかほとんど同じではありませんか。ということは源左衛門さんうっかり「解」と間違えた可能性大であります。でも前の頁でもそのくずし字がありますから、誤って覚えてしまった可能性も否定できません。
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