2019年8月30日金曜日

乍恐以書付御訴奉申上候 中村家文書N0380 その2




 6行目〜10行目。「飯能市立博物館所蔵中村家文書」

(読み)
可申   旨 申  觸 同 意無之  村 方 ハ早 速 打 壊  候   趣
もうしべくむねもうしふれどういこれなくむらかたはさっそくうちこわしそうろうおもむき

ニ而追々  村々  相 集  リ名栗 谷ツ村々  不残  中 富 谷ツ
にておいおいむらむらあいあつまりなぐりやつむらむらのこらずなかとみやつ

成 木谷ツ右 三 ヶ谷ツ村 数 凡  三 拾  ヶ村 人 数 弐千
なるきやつみぎさんけやつむらすうおよそさんじゅうかそんにんずうにせん

程 ニ而十  四 日暁   飯 能 宿  江押 寄セ無二無三 久下
ほどにてじゅうよっかあかつきはんのうしゅくへおしよせむにむざんくげ

分 村 名主 国 三 郎 打 毀 シ夫 ゟ 飯 能 村 名主 文右衛門
ぶんむらなぬしくにさぶろううちこわしそれよりはんのうむらなぬしぶんえもん


(大意)
と触れ回り同意しなければ村はすぐに打ち壊すことになろう。
そして次々に村々から人が集まり名栗村からは全員が、中富村
成木村の3ヵ村を含めて凡そ30の村から二千人
程が14日明け方飯能宿へ押寄せ、がむしゃらに久下分村
名主国三郎の家を打毀し、続けて飯能村名主文右衛門


(補足)
「弐千」、漢数字「弐」のくずし字はたいてい小さくてわかりずらい。先の覚記では人数は記されていなかったような気がしました。「弐千」と出てくるのは施金交渉のときの金額の箇所だけです。

「暁」、この表現も覚記では使われていませんでした。
「無二無三」、ひたすらに、がむしゃらに。



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