2019年8月27日火曜日

変事出来二付心得覚記 その285 まとめ1




 P.188 裏表紙。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)

(大意)

(補足)
 裏表紙。紙こよりの縛り方を拡大してみると、独特です。
このような冊子をまとめるときに使われる縛り方なのでしょう。

 本ブログを記すにあたって、次の2冊をおもに参考にしました。

「名栗村史研究 那栗郷 1」 名栗村教育委員会2000年3月31日発行
この覚記の翻刻全文がありますので、これを頼りに読みすすめました。
古文書初心者なのでこれなくしては手も足もでませんでした。

「名栗の歴史 上」飯能市教育委員会2008年3月31日発行
P.425以降にこの覚記の詳細があります。現代語訳にとても助けられました。
速水融さんが「宗門改帳」をもとにある村の人口動態を一人ひとり調査し、その村の興亡を明らかにしてゆく歴史人口学とい切り口があります。さらにそこから勤勉革命と名づけた江戸時代農民の姿を示しました。小さなたくさんの残された資料をもとに大きな一つの考え方を導きいくつかの書籍にされてます。

 この「名栗の歴史 上」を調べ読み、上記速水融さんの何冊かの本を思い浮かべました。
それほどに名栗村の事柄に詳しい。どなたか研究者の方がすでに歴史人口学的手法ですでに明らかにされていることだとはおもいますが、その論文を読むこと無く、この本だけで名栗村の経済・教育・文化などほとんどが網羅されており、本の題名通り名栗の歴史をたどることができます。


 この覚記の出だし表題2行目は「手前心得覚左二記し置候」とあります。
「手前」とあると、平沼源左衛門お一人でこの覚記すべてを残したことになると考えますが、
この一冊の原文を読んでみての結論は、異なりました。

 源左衛門さんがいわば編集人となって、あるきまった人たち数人と編集会議をもち、書き連ねていったものだろうと考えます。
 かかわった人は数人としましたが、約100頁ある覚記の手跡を調べれば何名かを確定させることは可能でしょう。
女性の手跡とおもわれる頁もありましたので、誰であるか気になるところです。

 村役人たちの仕事ですから、この覚記の控えが必ずあるとおもうのですが、発見されていません。
不思議なことではありますが、名栗村にとっては変事出来とはいへ、恥には違いありません。
一冊ありそれを隠すように保存したと考えれば、控えがなかったことは理解ができます。
しかし村役人のサガというものがあります。どんなことでも人間筆写器のように写し残してしまう習性はそうそう変えられるものではありません。

つづく


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