2019年8月11日日曜日

変事出来二付心得覚記 その269




 P.172 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
白紙

(大意)

(補足)
 白紙で1頁とばしています。
前頁がやや濃く裏うつりしてしまったためでしょうか。
しかし、今までにも裏うつりなど関係なく書いてきた頁はたくさんありました。
いよいよこの覚記の先が見えてきて、1頁くらい余白があっても大丈夫そうだと心の余裕ができたのかもしれません。

 この覚記の帳面は、当時販売されていたものを使用しているようです。
商人たちは大福帳などをつけなければなりませんでしたから、紙問屋では各種帳面を販売していました。村役人たちも同様でたくさんの控えや記録を残すのが仕事です。いろいろな大きさの帳面をとりそろえていたはずです。

 大変に薄い和紙で半紙を四つ折りくらいにしたものを重ねて一冊としています。
一枚の半紙の裏に書いているのではなく、一枚を折ったものを一頁としているので、表の墨が裏に滲んでしまうということはないのですが、和紙が大変に薄いので透けて見えてしまうのです。

 和紙は素晴らしいの一言につきます。
世界中のどこをみても同じものが存在せず、世界中で唯一日本の特産品としてその優秀性は自慢に値します。

 しかし、この和紙も生産者がほとんどいない状況です。
さらに悪いことに、生産に不可欠なトロロアオイ農家が老齢のためもう続けられないと報道されていました。原料がなくなれば、もうおしまいです。



 一度絶えてしまうと、再生するには今までの和紙生産技術を維持してきた仕事の何倍もの力が必要になってしまいます。田んぼと同じです。一度つぶしてしまった田んぼは再び米ができるようにするには10年以上かかってしまうといいます。

 各方面に陳情するしか窮状を救う方法はないのでしょうか。
なんとかしなくてはと、切実に考えます。



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