2019年8月28日水曜日

変事出来二付心得覚記 その286 まとめ2

 武州一揆関係の書籍・論文などは多数研究発表されています。
階級闘争的民衆蜂起の萌芽であったなどと大上段に構えたものもあります。
別段否定する気もありません。

 私見はもっと単純です。
国家転覆や村役人やさらにその上役たちを滅ぼし自分たち百姓の天下を築くのだなどという考えはこれっぽっちもなく、その日の米をなんとかしてくれ、毎日働いて暮らしてゆけるようにしてくれという、まことに切羽詰った餓死の回避をお願いしていたものと強く感じます。村役人たちはその職をもっとしっかりやってくれとの抗議ととらえてもよさそうです。

 約1年この覚記と関わってきました。
白黒8ミリフィルムを見ているような錯覚を何度かしました。
これから徒党に加わろうと川の淵に集まっている百姓たちを説得押し止めようとする村役人たちとの小競り合い、あぁーこれはあそこの以前の旧道の川のそばの道や土手あたりのできごとなんだな、とおもったり、村役人の家の土間での押しかけた百姓と名主との怒鳴り合い、名主たちの話し合いの場で、滝之助がキレまくっている様子、などなど具体例をあげたらきりがありません。

 わたしはとっくに還暦をすぎています。わたしの母の実家は埼玉県北部代々百姓でした。母はそこの長女です。その母のおじいさんはチョンマゲを亡くなるまでしていたそうです。わたしのおばあさんがそのひいばあさんからきいた話はちょうど源左衛門さんの頃の話になるでしょう。慶応2年はそれほど昔のことではなく、ちょっと手を伸ばせば届くところなのです。

 世の中外国語ばやりです。
それはそれで結構なことなのですが、膨大な過去の記録である古文書を忘れてはいけないとおもいます。今につながる古文書を少しでも小中高校の学生たちが親しんでほしい。
 また、博物館、大学、研究機関や資料館などは保存されている大量の古文書類をネットで原文を読めるよう一層はかってほしい。
 古文書を保存させているだけでは、埋もれてゆくだけです。
積極的に公開していってほしい。

 最後にあらためて貴重なこの覚記を写真撮影させて頂いた飯能市立博物館に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

おわり

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