2019年4月19日金曜日

変事出来二付心得覚記 その155




 P.72 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
成 木村 ニ而字  悪 惣 と申  者 二
なるきむらにてあざなあくそうともうすものに

出合 、右 悪 惣 申  聞 候   ハ、米 穀
であい、みごあくそうもうしききそうろうは、べいこく

高 直二付 名栗 邊  も難 渋
たかねにつきなぐりあたりもなんじゅう

可致   旨 、我 等共 へ申  合 セ米 直下ケ
いたすべきむね、われらどもへもうしあわせこめねさげ

飯 能 江近 々 罷  出候   間  、当 方 ゟ
はんのうへちかじかまかりでそうろうあいだ、とうかたより

沙汰次 第飯 能 川 原へ可罷出
さたしだいはんのうかわらへまかりでべく

旨 申  聞 候   二付 、困 窮  之餘 リニ
むねもうしききそうろうにつき、こんきゅうのあまりに

忝     儀と存  、帰宅 之上 豊 五郎 へ
かたじけなきぎとぞんじ、きたくのうえとよごろうへ


(大意)
成木村の悪惣と申すものに
出会いました。この悪惣から聞いたところでは、米穀物が
値上がりし名栗村あたりでも難渋
しているとのこと、われわれと一緒に米値下げを
要求しに飯能へ出かけようではないかとので、こちらから
指示があり次第飯能河原へ出かける
という話でありましたので、困窮のあまり
ありがたいことだと感じました。帰宅して豊五郎へ

(補足)
「名栗の歴史2008」P29によると、悪惣とは「下成木村下分の組頭で青梅の特産物石灰を『あく』と読んだことから」とあります。成木は現在でもある地名です。
 この人物に誘われたのだと、二人は強調しているわけです。

 この頁、読みやすくスッキリ整然と書かれています。
「我等」、「我」のくずし字は特徴的。形で覚えるしかなさそうです。

「当方」、何度も出てきてます。「ヨ」の部分のなかが「∟」+「十」。
「沙汰」、ともに「氵」がありますが、異なってます。
「餘リニ」、旧字のくずし字、難しい。
「忝」(かたじけない)、読めませんでしたが、右側に「、」が2つちゃんとあります。

「帰」、「巾」の部分がクルクルっとまわる。「両」も同じような感じです。


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