P.72 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
成 木村 ニ而字 悪 惣 と申 者 二
なるきむらにてあざなあくそうともうすものに
出合 、右 悪 惣 申 聞 候 ハ、米 穀
であい、みごあくそうもうしききそうろうは、べいこく
高 直二付 名栗 邊 も難 渋
たかねにつきなぐりあたりもなんじゅう
可致 旨 、我 等共 へ申 合 セ米 直下ケ
いたすべきむね、われらどもへもうしあわせこめねさげ
飯 能 江近 々 罷 出候 間 、当 方 ゟ
はんのうへちかじかまかりでそうろうあいだ、とうかたより
沙汰次 第飯 能 川 原へ可罷出
さたしだいはんのうかわらへまかりでべく
旨 申 聞 候 二付 、困 窮 之餘 リニ
むねもうしききそうろうにつき、こんきゅうのあまりに
忝 儀と存 、帰宅 之上 豊 五郎 へ
かたじけなきぎとぞんじ、きたくのうえとよごろうへ
(大意)
成木村の悪惣と申すものに
出会いました。この悪惣から聞いたところでは、米穀物が
値上がりし名栗村あたりでも難渋
しているとのこと、われわれと一緒に米値下げを
要求しに飯能へ出かけようではないかとので、こちらから
指示があり次第飯能河原へ出かける
という話でありましたので、困窮のあまり
ありがたいことだと感じました。帰宅して豊五郎へ
(補足)
「名栗の歴史2008」P29によると、悪惣とは「下成木村下分の組頭で青梅の特産物石灰を『あく』と読んだことから」とあります。成木は現在でもある地名です。
この人物に誘われたのだと、二人は強調しているわけです。
この頁、読みやすくスッキリ整然と書かれています。
「我等」、「我」のくずし字は特徴的。形で覚えるしかなさそうです。
「当方」、何度も出てきてます。「ヨ」の部分のなかが「∟」+「十」。
「沙汰」、ともに「氵」がありますが、異なってます。
「餘リニ」、旧字のくずし字、難しい。
「忝」(かたじけない)、読めませんでしたが、右側に「、」が2つちゃんとあります。
「帰」、「巾」の部分がクルクルっとまわる。「両」も同じような感じです。
0 件のコメント:
コメントを投稿