P.64 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
可致 事 、尤 御出 役 様 出迎
いたすべきこと、もっともごしゅつやくさまでむかえ
村 役 人 ゟ 申 達 し、今日 紋二郎・
むらやくにんよりもうしたっし、きょう紋次郎・
豊 五郎 山 狩 致 し尋 出し
とよごろうやまがりいたしたずねだし
可申 と大 勢 罷 出候 間 、御不審
もうしべくとおおぜいまかりでそうろうあいだ、ごふしん
二者決 而思 召 被下 間敷 旨 申 上 候
にはけっしておぼしめしくだされまじくむねもうしあげそうろう
(大意)
なければなりません。もっとも御出役様を出迎えるよう
村役人より言われてます。今日、紋次郎と
豊五郎を山狩りし見つけて尋問
しようと大勢が出向いていますが、ご心配には
決して思いませぬように申し上げました。
(補足)
前半4行と後半4行、明らかに手跡が異なります。
この覚記は、源左衛門さんが下書きを書き、彼の身近な信頼できる人たちが源左衛門さんも含めて代わる代わる記していったのではないでしょうか。
この前半は女性が書いているようです。奥様かもしれません。
「迎」、「辶」は何もくずしてありません。そのままです。「卩」が右に来るべきところが下にきてます。
「今日」、二文字セットで覚えます。知ってるつもりでも読めませんでした。
「紋次郎」、「紋」が難しい。
「狩」、「犭」には見えませんが筆順はやはり「犭」です。一画目「ノ」、そのまま右上にいって、
下へ、三画目の「ノ」。
「尋出し」、ここの「出」と1行目の「出迎」の「出」が、書き順も形も異なってます。
「罷出候間」、「候」は「、」になってしまってます。
「決而」(けっして)、「夬」は旁ですが、下半分の「人」が、全体の脚部分にきています。
「思召」、「思」があるので、「召」がなんとなくわかりますが、これ1字だとわかりません。
「間敷」(まじく)、二文字セットです。
「申上候」、「候」は「、」。
この次の行から書き手が変わります。この「申上候」までが頼まれたところで、この次のところからは次の人が書くので、区切りよく行替えしないで行末に押し込んだように見えます。
0 件のコメント:
コメントを投稿