2019年4月2日火曜日

変事出来二付心得覚記 その138




 P.61 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
五拾  四 ケ村 江御用 状  三 通 渡 り、
ごじゅうよんかそんへごようじょうさんつうわたり、

村 々 大 惣 代 ・小惣 代 是 那き
むらむらおおそうだい・こそうだいこれなき

村盤 名主 ・村 役 人 一 村 宛 二
むらはなぬし・むらやくにんいっそんあてに

呼 出し、無相違    附 送 る遍く
よびだし、あいちがいなくつけおくるべく

よし被仰渡    候
よしおおせわたされそうろう


(大意)
54ヶ村へ命令書が3通届いた。
それぞれの村に大惣代・小惣代がいない
村は名主・村役人をひとつの村ごとに
呼び出し、間違いのなく手元に届くよう
申し下された。


(補足)
 大意についてですが、「〜です、〜ます、〜である」などの文体は(その1)からずっとそろっていません。
それほどの余裕がないというのが正直なところです。
それえられれば、それにこしたことはありません。

「三通渡り」、行末で読みにくい。でもジッと見てるとわかりそう。
「是那き村盤」、「那」(な)は「奈」もある。「盤」(は)は「者」のほうが圧倒的に多い。
使い分けは、ほとんど筆の流れと気分次第だと、理解しています。
「与し」(よし)、「与」のくずし字が、「登」(と)や「者」(は)に少し似ています。


 54ヶ村と村の数が出てきてますが、そんなにすぐ村の総数がでてくるものでしょうか。村役人たちはそういった手引きを持っていたのかもしれません。

「御用状」の内容が記されてません。どんなものだったのでしょうか。
前後の流れからすると、米穀類を施米したり販売できるようにせよということ?




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