P.63 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
一 七 月 朔日 、御支配 様 ゟ 御出 役
ひとつ しちがつついたち、おしはいさまよりごしゅつやく
吉 岡 静 助 様 ・宇佐美藤 一 郎 様
よしおかせいすけさま・うさみとういちろうさま
七 月 二 日四ツ半 頃 御着 二相 成
しちがつふつかよつはんごろおつきにあいなり
右 紋 二郎 ・豊 五郎 村 方 二帰 り山 二
みぎもんじろう・とよごろうむらかたにかえりやまに
籠 り居 候 様 風 聞 二付 、大 勢 二而
こもりおりそうろうようふうぶんにつき、おおぜいにて
山 かり両 人 家之家 さ可゛し
やまかりりょうじんかのいえさが し
(大意)
ひとつ 7月1日御支配様より御出役の
吉岡静助様・宇佐美藤一郎様が
7月2日の四ツ半(11時)頃にお着きになると知らせがあった。
うわさでは紋次郎と豊五郎は村に帰り山に
籠もっていると聞いて居りますので、大勢で
山狩りをして二人の住んでいるところを見つけ
(補足)
一つ書きから字下げがなくなりました。どのような判断で行っているのかがよくわかりません。
「朔日」(ついたちorさくじつ)、「朔」が難しい。
うっかり「御」を忘れてしまったようです。脇に小さく後から書き加えています。
「宇佐美藤一郎」、辞書に「美」のくずし字はありませんでした。また「美」を部品にする漢字がほとんどありません。今回調べてはじめて気づきました。なんでだろう?
「藤」、難しい。
「着」、これも難しい。
「籠リ」、うーん・・・、わからないが続きます。
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