2019年4月1日月曜日

変事出来二付心得覚記 その137




 P.60 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
関 口 斧 四郎 ヲ以  川 越 大和守   殿
せきぐちおのしろうをもってかわごえやまとのかみどの

江米 千 俵  拝 借  致  候   間  、飯 能
へこめせんぴょうはいしゃくいたしそうろうあいだ、はんのう

扇  町 谷・所  沢 割 合 致 し
おおぎまちや・ところざわわりあいいたし

売 出し可申   事 、坪 方 者
うりだしもうしべくこと、つぼかたは

飯 能 江穀 物 附 出し候   場所
はんのうへこくもつつけだしそうろうばしょ


(大意)
関口斧四郎から川越大和守殿
へ米千俵を拝借しているので、飯能
扇町谷・所沢で分け合い
売り出すよう伝えました。坪方は
飯能へ穀物を出荷する場所です。


(補足)
 数ページ前では「御出役関口斧四郎様」と書かれてましたが、ここでは名前のみで「様」もありません。?です。

「ヲ以」、よく見ると「ヲ」と読めます。
「拝借」、既出ですが、すぐには読めませんでした。
「所沢」、この「所」と2行先の「場所」の「所」が全く異なってます。

「坪方」、これについては先日の投稿でも触れました。この部分の文章が前後とどうつながるのかが今ひとつわかりません。どこからか解釈がはずれてきてしまっているかもしれません。


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