P.26 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
太次郎 殿 申 様 、是 二而ハ新 立 江
たじろうどのもうすさま、これにてはにったちへ
帰 り噺 し天見遍しと、源 左衛門
かえりはなしてみべしと、げんざえもん
二も同 道 致 可参 様 申 候 二付 、無拠
にもどうどういたしまいりべくようもうしそうろうにつき、よんどころなく
新 立 迄 立 帰 り、是 二而者小殿・
にったちまでたちかえり、これにてはこどの
秋 津へも沙汰致 し、新 立 ま天゛
あきづへもさたいたし、にったちまで
可参 様 申 事 二付 、御迎 ニ私 し
まいりべくようもうすことにつき、おむかえにわたくし
可参 と良 助 参 り、小殿 之儀者
まいりべくとりょうすけまいり、こどののぎは
酒 二酔 候 間 今 晩 者不参 と之
さけによいそうろうあいだこんばんはまいらずとの
噺 し、秋 津勇 蔵 新 立 へ参 る、
はなし、あきずゆうぞうにったちへまいる、
(大意)
太次郎殿が言うには、このようなことならば新立へ
戻り相談すべきである。源左衛門にも
一緒に来てはくださらぬかとのことで、仕方なく
新立まで帰った。それならばと小殿や
秋津へも連絡して新立まで
来てもらおうと、良助が私が迎えにゆくと出かけた。小殿については
酒を飲み酔っているので今晩は出かけられずとの
はなしで、秋津勇蔵が新立へ来た。
(補足)
この頁は特にきれいに書かれているようにおもわれます。
源左衛門自身のやや太めで小さめの筆跡とは明らかに異なり、女性の字ではないかと想像してしまいます。何度か述べていますが、この覚記は源左衛門が記録したものに間違いはないとおもいますが、書き手は数人(男女)いるようにおもわれます。この後のP.28、P.29では平仮名が女性っぽく感じてしまいます。
同じ漢字や表現が何度もあらわれます。
「新立」「帰り」「噺」「可参」「様」「是ニ而ハ」
「無拠」(よんどころなく)、行末に押し込められてますが、ちゃんと読み取れます。
「御迎」、「卯」の偏と旁が上下に位置してます。
「今晩」、やさしそうで難しい。
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