P.27 8行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
右 二付 太次郎 殿 申 様 、古組 人
みぎにつきたじろうどのもうすさま、こぐみにん
私 世話致 スといふ事 不相成 候 、
わたしせわいたすということあいならずそうろう、
先 々 御立 腹 なく御世話被下 と 申 、
さきざきごりっぷくなくおせわくだされと(もうす、)
(大意)
そのような話をしている中で太次郎殿が言うには、古組の者を
(新組の名主である)私が面倒を見るということはできません。
この先も腹を立てずにかれらの面倒をみてやってくだされと
いうのであった。
(補足)
頭に血が上ってしまっている滝之助をなだめる場面が続きます。
丸山美季 氏による次の史料がダウンロードできます。
「武州一揆関係史料 ―上名栗村名主町田瀧之助より江戸で材木問屋を営む父への書状―」
滝之助は十代の大半を江戸で過ごしたとのことで、喧嘩っ早いことも肌に染み込んだのかもしれません。
特に難しい字はないようにおもいます。
読みやすいきれいな頁でした。
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