P.27 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
夜 四ツ頃 、右 之趣 滝 之助 殿 江
よるよつごろ、みぎのおもむきたきのすけどのへ
噺 し候 処 、大 立 腹 、名主 世話も今 者゛ん
はなしそうろうところ、だいりっぷく、なぬしせわもこんば ん
より以多し不申 候 、家 も古王し
よりいたしもうさずそうろう、いえもこわし
度 盤勝 手二以多させ申 候
たくはかってにいたさせもうしそうろう
(大意)
夜四ツ(22時)頃、ここまでの事情を滝之助殿へ
説明したところ、大激怒された。名主のお役目も今晩より
しないと言い、家も壊したければ
勝手にそうすればよいと申された。
(補足)
この頁も書き手は源左衛門さんではなさそうです。
変体仮名の箇所が目立ちます。
「今者゛ん」(こんばん)、「以多し」(いたし)、「古王し」(こわし)、「盤」(は)、
「以多させ」(いたさせ)。
「夜」、「亠」が偏の一部になってしまってます。
「候処」、「処」はじっと見るとなるほど元の字が見えてきますが、ほとんど「m」です。
滝之助さんはこのとき、33才でした。まだまだ血気盛んです。
またちょうど、体の具合が悪いときでもあったようです。
あっちの村からこっちの村へと数十キロも歩き、体力的にも精神的にもまいってしまっていたはずです。そんなところへ、夜の10時をすぎて、施金内容をつめなければなりません。
「大立腹」とありますから、口角泡飛ばしの様子だったのではないでしょうか。
「名主なんかもうやってられません。家も壊しかったら一揆勢の好きにさせればいい。」
周りの村役人たちが、まぁまぁとこれまたなだめる様子が見てとれるようです。
しかし、滝之助さんが強気に怒った背景には、飯能からの文書に一揆勢はこちらまで押しかけて来ることはなさそうだとの連絡が入っていたともいわれています。
確かなことは真っ赤になってか真っ青になってかはわかりませんが、「大立腹」したのだけは事実であるようです。
それにしても、きれいな筆跡です。
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