P.21 5行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
下モでも
しもでも
申 が上 名栗 ハ有 徳 成 者 多 分
もうすがかみなぐりはゆうとくせいじゃおおいぶん
有之 候 間 三 倍 位 と申 、先 程 二而ハ
これありそうろうあいださんばいくらいともうし、さきほどにては
春く那し、然 ら者゛千 両 増 て
すくなし、しからば せんりょうまして
金 弐千 両 、左二候 得ば早 く
きんにせんりょう、さにそうらえばはやく
書 遍しといふ事 二付 、久二郎 殿
かくべしということにつき、くじろうどの
硯 箱 西 之内 紙 持 出し、医王 寺
すずりばこにしのうちがみもちだし、いおうじ
方 丈 認 、下モよりと申 事 二付 鳥 居始
ほうじょうしたため、しもよりともうすことにつきとりいはじめ
(大意)
下もの村でも言っている通り、上名栗は富裕な人たちが多いだろうということで3倍位が適当なので、先程の内容では少ないでしょう。ならばもう千両増やして
金2千両とし、それで良いということならばすぐにでも
書付にすべきであるということで、久二郎殿が
硯箱と西の内紙を用意し、醫王寺の
住職が文章にした。住職は下もの村役人から署名をするようにということで、鳥居(源左衛門)から始めた。
(補足)
ようやく一揆勢との交渉内容がまとまり書面にするところまできました。
「下も」という表現がよくでてきます。ここでは自分たちが住んでいるところより、下流域(飯能により近い)の村のことになります。具体的には、下名栗の下もとなるのは久林・茶内・唐竹・中屋敷・扇ヶ谷・新寺(にってら)などとなります。
「三倍位」、以前の「倍」は少し間違えたのを上書きして鮮明ではありませんでしたが、ここのはよくわかります。
「春く那し」(すくなし)、変体仮名。「奈」はよく出てくるし、くずし字は「な」に近いのですぐに読めますが、たまに出てくる「那」は前後の文章を読んでから推量してという手順でようやく読める。
「然らば」(しからば)、頻出。
「両」、ここではくずしています。「ち」+「∞」。
「西の内紙」、現在の茨城県常陸大宮市で生産される和紙。このブログでは「名栗村史研究 那栗郷1」の翻刻を参考にしています。単純な印刷ミスで「酉」→「西」です。
「方丈」、住職の俗称。
「鳥」、特徴的なので覚えやすかも。「广」+角ばった「る」。
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