P.22 6行目〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
然 ら者゛小物 ゟ 上ミニ而十 人 、下モニ而
しからば こものよりかみにてじゅうにん、しもにて
拾 人 、都合 廿 人 も可参 と書 付 ハ
じゅうにん、つごうにじゅうにんもまいるべくとかきつけは
松 太郎 請 取 持 出し、太次郎 殿 同 道 二而
まつたろううけとりもちだし、たじろうどのどうどうにて
手前 酒 ぐらの前 迄 参 候 處
てまえさけぐらのまえまでまいりそうろうところ
(大意)
ということで、上名栗より10人、下名栗より
10人の村民あわせて20人で行こうと、書付は
松太郎が受け取り持ち出した。太次郎殿が一緒で
わたし(源左衛門)の酒蔵の前まで来たところ、
(補足)
書付は一揆勢に手渡され、村に戻る途中酒蔵の手前まで来ましたが・・・。
平沼源左衛門さんは酒造業も営んでいて「いるまや」という酒屋を開いてました。
「十人」「拾人」、異なる漢字を使うのがオシャレだったのでしょうか。
「都合」、「者」+「阝」ですが、偏の「者」が右隣の「者゛」とは違います。
「書」がくずしてなく、きれい。
「請」がわかりずらい。
「前」、これ一文字だと?。
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