2019年12月6日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その68




 P.40 4行目〜最後。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
御吟 味奉請     候而者   当 惑 之廉 有之  先 非後 悔
ごぎんみうけたてまつりそうらいてはとうわくのかどこれありせんぴこうかい

相 弁  へ切 流  散 乱 紛 失 致  候   木品 不残  取 揃  藤縄
あいわきまえきりながしさんらんふんしついたしそうろうきしなのこらずとりそろえふじなわ

等 都而我 等方 二而差 出し素 々 之通 り桴  二組 立
とうとてわれらがたにてさしだしもともとのとおりいかだにくみたて


(大意)
裁判を継続してはどうしてよいかわからないこともあり、過去の過ちを後悔し
反省しております。筏など切り流しバラバラにし紛失させた材木や品々などは残らず取り揃え、藤縄なども私たちで用意いたし、元あったとおりに筏を組み立て


(補足)
「廉」(かど)、「〜のかどで捕える」。理由として取り上げる事柄、点。
「有之」、じっとみていると、確かに(これあり)だとおもうのですが、初見では?でした。
「先非」、はじめての言葉でした。過去に犯した過ち。前非。
「切流散乱紛失」、かなりの破壊行動をしたことがわかります。
「残」と「揃」の旁のくずし字がひらがなの「お」のようで、まったく同じです。
「藤」は何度かお目にかかっているのに読めないなぁ。
「都而」(とて)、当て字でしょうが、「都」が読めませんでした。
「藤縄等」「我等」、同じ「等」のくずし字が全く異なってます。使い方や意味によりくずし字が変わるようです。

 筏を組むときに使っていたのが藤縄だったのですね。
吾野の山あいにある坂石村などでは藤縄はきっと常備されていたこととおもいますが、戸口村のようなところにあったのでしょうか。それとも縄屋さんがあって販売していたのかもしれません。
竹籠や竹ザル専門の店がありましたし、あけびや藤やつる状の丈夫なもので編みいろいろなものを作っていましたからそれほどの苦労なく手に入れることができたのでしょう。

さて「先非後悔相弁え」た戸口村はどうなるのでしょう。



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