P.47 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」
(読み)
武州秩父郡
ぶしゅうちちぶぐん
弘化三年午十一月
こうかさんねんうまじゅういちがつ
願人 五人
ねがいにん ごにん
扱人 二人
あつかいにん ふたり
相手七人代兼
あいてしちにんだいけん
七左衛門殿
しちざえもんどの
佐左衛門殿
ささえもんどの
(大意)
略
(補足)
喧嘩両成敗、内済(和解)となりました。
2018年「飯能郷土館収蔵資料目録8(収蔵文書目録その3)」の解説に
「本史料では出訴から内済までが一冊にまとめられているので、江戸時代の典型的な流れを簡潔に知ることができる」とあるように、当時の争いの様子が興味深く読むことができました。
坂戸の戸口村の狼藉が「酔狂」とされているのが、江戸時代の出入りではよくみられるともありますが、落とし所としては、どちらの立場にもあることだろうから、わかってやってくれと説得しやすいのでしょう。
示談になったものの、果たしてその後はどうなったか野次馬根性が刺激されるところです。
「桴出入諸願書井相手方詫書等写」は今回で終了となります。
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