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2026年5月13日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その21

P38 国文学研究資料館蔵

(読み)

晒  臘

さらしらう

さらしろう


蝋 ハ黄櫨の木の実也 蒸 籠 尓てむしたゞら可し

   ハじ      せいろう

ろうははじのこのみなりせいろうにてむしただらかし


臼 尓てつき蝋 と須薩 摩 国 備 中  国 奥 州  会 津等

うすにてつきろうとすさつまのくにびっちゅのくにおうしゅうあいずとう


より多 く出春外 諸 国 尓もあり又 唐 よりわ多るなり

よりおおくだすほかしょこくにもありまたからよりわたるなり


さらし蝋 ハ京  大 坂 尓て右 の黄蝋 をさらして白 蝋 と春る也

さらしろうはきょうおおさかにてみぎのきろうをさらしてはくろうとするなり

(大意)

(補足)

「黄櫨の木」、ハゼノキの別名。

「たゞら可し」、『ただらか・す 【爛らかす】ただれるようにする。ただらす。日葡』『ただ・れる【爛れる】① 炎症や傷などのため,皮膚や肉が破れ,くずれる。「薬品で―・れた皮膚」「腰もかがまり目も―・れにけり」〈竹取物語〉』

 ここでは櫨の実を、柔らかくしてくずれるくらいに蒸し上げるの意、だとおもいます。

 若い頃何度か会津を旅しました。そのときにお土産で購入した絵蝋燭をいまでも大事にしています。また十数年前の京都旅行ではお店の名前は忘れましたが小さな和蝋燭をお土産に購入しました。

 和蝋燭は櫨の実がとれれば、ここに記されている通りの手順で個人でもそれほど難しくなく作ることができます。

 

2026年5月12日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その20

P36P37 国文学研究資料館蔵

(読み)後半

差 引 春る也 虎 市 にハ別 尓取 引 場と云 毛の一 ケ所 有 て

さしひきするなりとらいちにはべつにとりひきばというものいっかしょありて


古ゝ尓てけし合 須奈り米 市 のことハ米 穀 賣 買 出  世車  と

ここにてけしあいすなりこめいちのことはべいこくうりかいしゅっせぐるまと


云 書 尓くハしく見え多れハ爰 尓ハ略  須やりくり両  替 の手代 小者

いうしょにくわしくみえたればここにはりゃくすやりくりりょうがえのてだいこもの


毎 夜よひの間  に諸 方 をまハりてすめ合 尓行 也

まいよよいのあいだにしょかたをまわりてすめあいにゆくなり


爰 尓顕  須所  能繪これ也

   あらハ

ここにあらわすところのえこれなり


出入 四ツ切  かバやき 米 相 場表  の躰

でいりよつぎり かばやき こめそうばおもてのてい

(大意)

(補足)

「米穀賣買出世車」、『宝暦8年(1758年)頃に刊行された、江戸時代の堂島米市場における米相場の売買法や心得を解説した書物です。赤松閣(東白)が撰し、米取引で財を成すための極意を車に例えて図解した、当時の投資家向け教本』。

 ここの画は文中にもあるとおり『両替の手代小者毎夜よひの間に諸方をまハりてすめ合尓行也爰尓顕須所能繪』なので、月代(さかやき)の髷はかバやき屋の親父の他3人だけです。あとはみな若衆髷(わかしゅまげ)というのかな、それに筆を差しています。

 提灯のおおいをおろし明るくして何をしているのかとよく見ると、おちんちんを見せているアホがいます。また相撲でもしているのか背負投げのようなもので取っ組み合って遊んでいます。提灯にはみな屋号が入っていて「すめ合」に右往左往。

「すめ合」、『江戸時代における「両替屋(りょうがえや)」の業務において、「すめ合(すめあい)」は、毎晩のように諸方(各方面)を回って取引をまとめる行為を指す言葉。両替屋の手代や小者が、夜の間に得意先などを回って、商取引の債権・債務の相殺や、資金の融通(すめ合い)を行うこと。江戸時代の商業において、手形を用いて商人同士の貸し借りを相殺する、実質的な金融の安定化機能(手形清算)の一部』。

 かバやき屋、ひらいたうなぎをまるまる一匹焼いていますけど、当時大坂ではこんなふうにしていたのかねぇ?

 

2026年5月11日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その19

P36P37 国文学研究資料館蔵

(読み)前半

大 坂 北 濱 米 市

おおさかきたはまこめいち


正  米 市 阿り帳  合 米 市 有 正  米 市 とハ

しょうまいいちありちょうあいこめいちありしょうまいいちとは


現 米 の賣 買 奈り帳  合 米 とハ通 用

げんまいのばいばいなりちょうあいまいとはつうよう


米 尓て差 引 して利損 を者かる也 帳  合 米 ハ

まいにてさしひきしてりそんをはかるなりちょうあいまいは


加賀二百  俵  筑 前 三 百  俵  を一商と

                      ひとあき奈い

かがにひゃっぴょうちくぜんさんびゃっぴょうをひとあきないと


定 む又 虎 市 といふあり是 ハ二十 石 徒゛ゝの賣 買 也 やりくり

さだむまたとらいちというありこれはにじっこくず つのばいばいなりやりくり


両  替 屋五十 軒 あり帳  合 米 を引 請 て高 下の直段 を

りょうがえやごじっけんありちょうあいまいをひきうけてこうげのねだんを

(大意)

(補足)

「大坂北濱米市」、『江戸時代に大坂の北浜(のちの堂島)で栄えた米の取引市場であり、淀屋が創始した「淀屋の米市」を起源とします。1697年に堂島へ移転して堂島米会所となり、世界で初めての「組織的な先物取引」が行われた場所として知られています』。

 電信などない時代、どのように遠方まで相場の値段を知らせあったのか調べたことがあります。飛脚などよりもっと早い方法を使っていました。のろしです。それらをいくつもつなぎあって、あっという間に西にも東にも相場の状況は届いていたのでした。もうひとつは伝書鳩、これもははやかったとおもいますが、のろしほどの信頼性はなかったかもしれません。

この「北」のくずし字は学んでないとまず読めません。「北」という漢字とは別物と考えたほうがよいかとおもいます。

「正米」、『しょうまい しやう―【正米】① 取引所で実際に取引される米。また,その取引。実米。 ↔空米(くうまい)

② 本物の米。現物の米。「―を年に二百俵貰ふて」〈福翁自伝•諭吉〉』

「帳合米」、『ちょうあいまい ちやうあひ― 【帳合い米】江戸時代,大坂堂島の米市場で行われた米売買の方法。売買と同時に米の受け渡しをすることなく帳面の上だけで売買する』

「虎市」、『とらいち‐そうば‥サウば【虎市相場】 江戸時代、大坂の堂島米市場で行なわれた米相場の一つ。百石以下の取引ができなかった帳合相場に対し、十石以上ならどれだけでも扱えるところに利点があった。初め堂島新地の竹藪の中で行なわれたところからともいう。虎市。』

 絵の右上隅、出入四ツ切とある札のところに立つ丁髷兄さん(丁稚小者ではなさそう)、この出入四ツ切の意味に悩みました。よくわからないので推理するしかありません。ここの出入り口は夜の四ツ、つまり22時頃までしかダメですよという意味なのかなと、う〜ん🤔・・・


 

2026年5月10日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その18

P34P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

薩 摩大 嶋 黒 砂糖

さつま於ゝしまくろさとう

さつまおおしまくろさとう


甘 蔗 と云 草 俗 尓砂糖 黍 と云 莖 ハ竹 尓

可んしや           きび   くき

かんしゃというくさぞくにさとうきびというくきはたけに


似て葉ハ黍 尓似多り実奈し古 根ゟ 苗 を

    きび

にてははきびににたりみなしふるねよりなえを


生  春゛此 葉を取 てよくたゝきく多゛きて煎 じつめ石 灰 を加 へてか多め

しょうず このはをとりてよくたたききだ きてせんじつめせっかいをくわえてかため


多るを黒 砂糖 と須百  姓  多 くこれをつくりて年 貢尓納 む菓子を

                          袮んぐ

たるをくろざとうとすひゃくしょうおおくこれをつくりてねんぐにおさむかしを


製 春るに専   これを用 由唐 より王多る黒 砂糖 よりハ

     もつ者ら

せいするにもっぱらこれをもちゆとうよりわたるくろざとうよりは


色 も黒 く味 阿しゝ唐

いろもくろくあじあししとう


尓て白 砂糖 氷  砂糖 をこしら由る毛皆 此 草 也

にてしろざとうこおりざとうをこしらゆるもみなこのくさなり


日本 尓てハ黒 の外 ハ白 ハ不出来

にほんにてはくろのほかはしろはできず

(大意)

(補足)

「甘蔗」、『かんしょ【甘蔗】〔「かんしゃ(甘蔗)」の慣用読み〕サトウキビの別名』。この歳までサトウキビは「かんしょ」だとおもってました。

 いちいち指摘しなくてもよいとはわかってはいるのですけど、一番左端の男の人の座り方、腰から下が前向きに見えます。気になって気になって・・・

 ちょうど頁をまたいでしまっている、絞り器。いろいろな作業に使われていて、日本の伝統的な器具だとおもいます。

 ちょうど今、我が家では白砂糖ではなく、茶色いサラサラの「沖縄の砂糖」を使っています。ヨーグルトにかけたり、トーストのとけたバターの上にかけたり、おいしいです。

 

2026年5月9日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その17

P32P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

塩 浜

し本者ま

しおはま


海 邊の鹵 地をけづり能 奈らして平  可奈らしめ海 より

    可多           太いら

うみべのかたちをけずりよくならしてたいらかならしめうみより


うし本をくミてこれへま起可けよく日尓可ハ可しさらへ

うしおをくみてこれへまきかけよくひにかわかしさらえ


尓て可き奈らしよくされたる時 桶 へいれて水 尓たれ其 水 を

にてかきならしよくされたるときおけへいれてみずにたれそのみずを


釜 尓うつして松 葉尓てたく也 海 より潮  をくむ皆 女  の所 作

                    うし本

かまにうつしてまつばにてたくなりうみよりうしおをくむみなおんなのしょさ


なりあるひハ所  尓よりて樋 を可けて潮  を塩 濱 へ取 も阿り

             と由

なりあるいはところによりてとゆをかけてうしおをしおはまへとるもあり


諸 国 海 邊より多 く塩 出るといへ共 播 州  赤穂 の塩 を名 物 と須

                          あこ

しょこくうみべよりおおくしおでるといえどもばんしゅうあこうのしおをめいぶつとす

(大意)

(補足)

「鹵地」、『鹵地(ろち)とは、塩分を多く含み、作物が育たないやせた土地(塩鹹地:えんかんち)を指す言葉です。天然の塩が産出する土地、特に内陸部の荒れ地を指す場合が多く、転じて「不毛の地」という意味でも用いられます。「鹵」は「塩」を意味し、古代中国では特に西方の内陸部にある塩分を含んだ土地を指した』。用例は「鹵獲(ろかく)」など

「さらへ」、『さらえ さらへ【杷・杈・欋】→さらい(杷)に同じ』『木または竹製の農具。柄が長く,先に歯のついた熊手(くまで)のような形のもの。木製のものは土をかきならすのに用い,竹製のものはごみ・落ち葉などをかき集めるのに用いる』。一番下の女の人が肩にしょっているT字のものがそれ。

 砂の上に塩水をまいて日に干してあるのを細かいツブツブで描いてあり、これはこの絵師の得意技なのですけど、彫師の腕の見せ所です。格子で掘るより大変そうです。

 職人たちの着物の柄が皆異なっていますけど、こんなのはどうってことないのかもしれません。


 

2026年5月8日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 坂 瓦  屋町 瓦  師

    可ハらや

おおさかかわらやまちかわらし


大 坂 東  高 津西 高 津の地青 土 尓して性  よし

おおさかひがしたかつにしたかつのちあおつちにしてしょうよし


瓦  尓やきて色 うつくしくつよし古  へ仁 徳 天 王 の

かわらにやきていろうつくしくつよしいにしえにんとくてんのうの


旧  都尓て「高 きや尓の本゛りて見れバ个ふり多川民 の可満どは

きゅうとにて たかきやにのぼ りてみればけぶりたつたみのかまどは


賑  ひ尓个りとよまセ給 ふ古跡 尓て今 も瓦  やの煙  多え須゛賑  し

                                  尓ぎハ

にぎわいにけりとよませたもうこせきにていまもかわらやのけむりたえず にぎわし


聖  徳 太 子天 王 寺建 立  の時 も此 地の土 をとらせて

しょうとくたいしてんのうじこんりゅうのときもこのちのつちをとらせて


瓦  と奈さし免

かわらとなさしめ


給 ふと也 此 所  の瓦  日本 最 上  尓て

なもうとなりこのところのかわらにほんさいじょうにて


諸 国 の城 館  尓も皆 此 瓦  を用 ひらる

     しろや可多

しょこくのしろやかたにもみなこのかわらをもちいらる

(大意)

(補足)

「青土」、「青」のくずし字はどうも苦手です。色は虹の7色赤橙黄緑青藍紫を基本としてくずし字を学びますが、青は毒のようにみえてしまって、う〜ん🤔。

「可満どは」、この「は」は変体仮名「波」かもしれません。

 左から二人目の職人さんの脚、なんとも奇妙な構え、腰から下が前を向いているようです。部屋の外には薪や枝葉が山盛りです。

 

2026年5月7日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

豊 後 河 太郎

ぶんごの可王


形  五六 歳 の小  児のごとく遍 身尓毛阿りて猿 尓似て眼春る

                 そうミ

かたちごろくさいのしょうじのごとくそうみにけありてさるににてめする


どし常 尓濱 邊へ出て相撲 を取 也 人 を恐 るゝこと奈しされ

           すもう

どしつねにはまべへでてすもうをとるなりひとをおそるることなしされ


共 間ぢ可くよれバ水 の中 に飛 入 也 時 としてハ

どもまじかくよればみずのなかにとびいるなりときとしては


人 にとりつきて水 中  へ引 入レて其

ひとにとりつきてすいちゅうへひきいれてその


人 を殺 春事 阿り河 太郎 と相撲 を取 多る人 ハ

ひとをころすことありかわたろうとすもうをとりたるひとは


たとへ勝 ても正  氣を失  ひ

たとえかちてもしょうきをうしない


大 病  をうくると云 志きミ能抹 香 水 尓てのましむれバ

                まつ可う

たいびょうをうくるというしきみのまっこうみずにてのましむれば


正  氣尓成 と也 河太郎

しょうきになるとなりかわたろう


豊 後 国 尓多 し其 外 九  州  の中 所  々  尓有 関 東 尓多 し

ぶんごのくににおおしそのほかきゅうしゅうのうちところどころにありかんとうにおおし


関 東 尓てハ河 童  と云 也

       可ハ王らハ

かんとうにてはかわわらわというなり

(大意)

(補足)

「开」+「久」のフォントはありませんでした。

「志きミ能抹香水尓てのましむれバ」、『シキミ(樒)はアニサチンなどの毒を含み、特に猛毒である果実が中華料理で多用される八角に似ているため、誤食されやすい危険な有毒植物である』ので、この文章を信じてはいけません。

 川の土手に流れ留めの杭をつけた籠があります。川漁にも見えますが、これは土手の擁護のためで、中に石がはいっているはずです。

 河童(かっぱ)は明治になっても、広く信じられている生き物でした。昔は河で命を失う人たちが多く、亡骸が行方不明になり、それらは河童の仕業と信じられていたことと無関係ではないとおもいます。

 

2026年5月6日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺干 蕪

     本し可ぶら

てんのうじほしかぶら


摂 州  東  成 郡 天 王 寺領  内 かぶらの名 産 也 百  姓

せっしゅうひがしなりぐんてんのうじりょうないかぶらのめいさんなりひゃくしょう


おほく可ぶらを植 て奈ま奈るをも市 尓出 須

                   い多

おおくかぶらをうえてなまなるをもいちにいだす


然 し専   本し可ぶらとと奈して是 を賣 極 月 より正  月

し可 もつ者ら

しかしもっぱらほしかぶらととなしてこれをうるごくげつよりしょうがつ


までの間  ハ竹 垣 を高 くこしらへて是 を本春也 又 此 を所  木津

までのあいだはたけがきをたかくこしらえてこれをほすなりまたこれをところきづ


今 宮 といふあ多り専   干 蕪 を出す木津今 宮 のかぶらハ真 丸 く

                                まんまる

いまみやというあたりもっぱらほしかぶをだすきづいまみやのかぶらはまんまるく


天 王 寺ハ少 し細 長 し木津今 宮 ハ天 王 寺能可ぶら尓ハ及 バ須゛

         本そ

てんのうじはすこしほそながしきづいまみやはてんのうじのかぶらにはおよばず

(大意)

(補足)

「極月」、12月の異名。1月から11月まで、それぞれきいたこともないような異名がついています。

「宮」のくずし字はよくでてきて特徴的。「宀」or「亠」+「五のくずし字」のような形です。

 この本の絵師、長谷川光信は人物や生き物の描写はとんでもなく下手くそですが、細かいところの描写は執拗で得意なようです。ここでは竹竿に干してある蕪、まるで蕪ひとつを判子にしたものをポンポンポンと竹竿にそって押していったように(ほんとうにそうしたかも)描いています。

 何もかも手作業だけしかなかった時代、今でも基本的農作業は同じです。

 干蕪はおじやおかゆにいれたらおいしそう♫

 

2026年5月5日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 刕  平 野飴

     ひらのあめ

せっしゅうひらのあめ


大 坂 天 王 寺の東  平 野ノ町 より出る飴 名 物 也

                       あめ

おおさかてんのうじのひがしひらののまちよりでるあめめいぶつなり


風 味よし小  児尓

ふうみよししょうじに


用 ひて毒 奈し薬  地黄 煎 奈り◯飴 の製 法 ハもち米 をこハ

        く春りぢ王うせん

もちいてどくなしくすりじおうせんなり あめのせいほうはもちごめをこわ


めし尓むし米 一 升  尓水 一 升  のつもり尓て

めしにむしまいいっしょうにみずいっしょうのつもりにて


右 の強 めしを水 尓つけ置 大 麦 の

   こハ

みぎのこわめしをみずにつけおきおおむぎの


もやしの粉 米 一 升  尓六 合 のつもりを以 て

もやすのこなこめいっしょうにろくごうのつもりをもって


右 のめし能上 尓ふり可け棒 尓て

みぎのめしのうえにふりかけぼうにて


よくつきませ翌  日布 袋  尓てこれをこし釜 尓入 てぬるき火尓て袮り

      あくる

よくつきまぜあくるひぬのぶくろにてこれをこしかまにいれてぬるきひにてねり


つめる也 袮り前 可多なるハ志るあめ也 袮りつめ多るを地黄 煎 といふ

つめるなりねりまえかたなるはしるあめなりねりつめたるをじおうせんという

(大意)

(補足)

「地黄煎」、『じおうせん ぢわう―【地黄煎】① 地黄の根を煎じた汁。薬用。② 地黄を加えて練った水飴(みずあめ)。くだり飴。「摺粉に―入れて焼(たき)かへし」〈浮世草子・世間胸算用3〉』

 浅草に見世前でトントコトントコ拍子よく飴を切って販売している飴屋さんがあります。どうやらその起源がこの平野飴だそうです。

 近所の二人組がお土産に買ったのでしょうか、飴を経木(きょうぎ)に包んでいます。

 

2026年5月4日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

漆   製 法

うるしのせい本う

うるしのせいほう


漆  の木尓鎌 尓て切 目をつくれバ其 切 目より汁 ふき出るを竹

うるしのきにかまにてきれめをつくればそのきれめよりしるふきでるをたけ


遍゛ら尓てこそげ取 也 こそげ入れるうつ者物 尓茶 の濃きせんし汁 を

べ らにてこそげとるなりこそげいれるうつわものにちゃのこきせんじじるを


入 くるミ能油  を加 えて其 上 へ漆  をこそげいるれバ

いれくるみのあぶらをくわえてそのうえへうるしをこそげいるれば


漆  やけ春゛してよしといへり

うるしやけず してよしといえり


凡  漆  を取 尓ハ至  て本そき木ハ汁 奈し

およそうるしをとるにはいたってほそききはしるなしまたかくべつのろうぼくも


又 格 別 の老 木 も王るし和州  吉 野

またかくべつのろうぼくもわるしわしゅうよしの


紀州  熊 野うるし能名 所 也 其 外 諸 国 より出 うるし能木の実ハ

きしゅうくまのうるしのめいしょなりそのほかしょこくよりでるうるしのきのみは


取 て蝋 尓春る也

とりてろうにするなり

(大意)

(補足)

 国産漆を維持または増産に向けて植林をすすめているそうですが、現状はほぼ100%中国産です。国産漆は目玉がとびでるほどに高価です。

 日本には昔から漆のように日本の気候に適したすぐれた塗料が使われていました。漆や柿渋や米糠油などなど。しかしウレタンなど化学塗料が大量に廉価で(しかもそのれらの性能はすぐれていて)輸入され出回ると、その手軽さからあっというまに、国産塗料を駆逐してしまいました。

 化学塗料が安価に大量に販売されている中にあって、なんとか自然塗料を絶えさせないためには、塗料の使い分けを積極的にすすめていくしかないとおもいます。

 当時はこの画のように小さな切れ目を入れて汁をとっていたようでうが、その後は幹に螺旋になるように切れ目を入れていたようです。

 

2026年5月3日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その11

P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  西 陣 織 屋

   尓しぢんおりや

きょうにしじんおりや


京  都尓て織 出須織 物 甚  多゛功 奢 尓て唐 織 尓まけ須゛

                   可うしや

きょうとにておりだすおりものはなはだ こうしゃにてからおりにまけず


中 尓も羽二 重ハもろこし尓もまさりてこまや可也 其 品ゝ

なかにもはぶたえはもろこしにもまさりてこまやかなりそのしなじな


大概   緞 子 繻 珍  金 襴  縮 緬  紗綾  綸 子

 可゛い どんす しゆちん きんらん ちりめん さあや 里んず

たいがい どんす しゅちん きんらん ちりめん さあや りんず


繻 子 毛 織 紋絹   光後 茶宇  光絹   竜  紋  熨斗目

し由す もうる もん个ん ぬめ ちやう 者ぶ多へ 里 うもん のしめ

しゅす もうる もんけん ぬめ ちゃう はぶたえ りゅうもん のしめ


天鵞 絨 錦   綾  紗  茶 丸  白 呂 兜羅綿

びろうど 尓しき あや しや ちやまる しろろ とろめん

びろうど にしき あや しゃ ちゃまる しろろ とろめん


片 色  練  絵絹  篩  絹

可多いろ 袮り ゑきぬ ふるひきぬ

かたいろ ねり えきぬ ふるいきぬ


高 機

た可者多

たかばた


金 緞 今

きんいり

きんいりいま


織 の類  此 機

おりのたぐいこのはた


尓ておる也 空

      そら

にておるなりそら


引 とて上 の方

びきとてうえのほう


尓て地紋を

にてじもんを


あやどる奈り

あやどるなり

(大意)

(補足)

「空」のくずし字はすっかり忘れていたのか、はじめてのような気もします。

「空引」、『空引機(そらびきばた)は、複雑な紋織物を織るために古代から明治時代まで使われた日本の伝統的な手織機です。高機(たかばた)の上部に鳥居状の大きな枠(綜絖:そうこう)を持ち、紋を出すために糸を引き上げる操作が特徴です。ジャカード機が普及する前に、西陣織などで用いられた高度な機です』とAIの概要です。

 説明文にもあるように、小僧が上にのって紋を出しているようです。機織りの職人と二人一組で織り出すのでしょうか。

 緯糸をバンバンと打ち込む大きな櫛みたいのは「筬(おさ)」というそうです。それを吊り下げている上部のところが位置を変えられるように出っ張りが6個あるのがわかります。

 職人の膝下に、織りだしている生地の柄ができあがりつつあります。

 膨大な張ってある経糸ととおして、向こう側が透けて見える箇所があって、彫師、摺師の腕の見せ所です。

 とんでもなく精巧な織り機です。

 

2026年5月2日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その10

 

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

江戸浅 草 紫菜

  あさくさのり

えどあさくさのり


此 のり元ト武州  品 川 の海 尓生  春゛品 川 の町 尓て製 多るを

こののりもとぶしゅうしながわのうみにしょうず しながわのまちにてせいたるを


品 川 のりと云 浅 草 のりハ品 川 尓て取 多るを此 所  尓て

しながわのりというあさくさのりはしながわにてとりたるをこのところにて


製 し多る也 浅 草 のり仕上ケ宜 しくきよら可尓して名 物 也 

せいしたるなりあさくさのりしあげよろしくきよらかにしてめいぶつなり


其 外 下 総 の

そのほかしもうさの


葛西 のり出雲 の十六島  皆 々 名 物 也

かさい      うつぶるい

かさいのりいずものうっぷるいみなみなめいぶつなり


猶 餘国 よりも多 く出ツ通 して紫 菜 と云

                 あまのり

なおよこくよりもおおくいずつうじてあまのりという


又 河 苔 と云 も有 駿 府冨士川 より出るを冨士のりと云

  可ハのり

またかわのりというもありすんぷふじがわよりでるをふじのりという


下 野 日 光 山 の川 ゟ

しもつけにっこうさんのかわより


出るを日 光 のりと云 肥後の菊 地川 ゟ 出ルを菊 池のり

でるをにっこうのりというひごのきくちがわよりでるをきくちのり


同 国 水 前 寺のり何 れも河 のり也

どうこくすいぜんじのりいずれもかわのりなり


品 川 の沖 尓て取

しながわのおきにてとる


のりのち起゛れて

のりのちぎ れて


磯 へ打 よするを

いそへうちよするを


子共 の仕事 尓

こどものしごとに


是 を春くひ取 て

これをすくいとりて


浅 草 能商  人 へ賣 也

あさくさのしょうにんへうるなり

(大意)

(補足)

 「のり」はもちろん「海苔」ですが、ここの「紫菜」は当て字でも雰囲気があります。

「あまのり」とも読ませています。

「水前寺」のくずし字がすぐに読めたら、もう超初心者卒業まじか♫

 まだ養殖は行われてなかったようで、すべて天然海苔でした。

 

2026年5月1日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

堺  庖  丁

さ可ひ本゛うちやう

さかいぼ うちょう


泉 州  堺  の津山 上 文 珠 四郎 庖 丁  鍛冶の名 人 也 正  銘

せんしゅうさかいのつやまがみもんじゅしろうぼうちょうかじのめいじんなりしょうめい


黒 打 と云 刃金 のき多ひよく切 あぢ格 別 よし出刃

       者可年                で者゛

くろうちというはがねのきたいよくきれあじかくべつよしでば


薄 刃 指 身庖 丁  ま奈箸  た者゛こ庖 丁

うす者゛さしミ       者゛し

うすば さしみぼうちょうまなば したば こぼうちょう


何 れも皆 名 物 也◯荘 子尓いハく

            そうじ

いずれもみなめいぶつなりそうじにいわく


庖 丁  能 解 牛  庖 丁  ハもと料  理人 の名也

     よくとくうしを

ほうちょうよくとくうしをほうちょうはもとりょうりにんのななり


其 人 つ可ひ多る刃物 奈れバ

         者

そのひとつかいたるはものなれば


とてつゐ尓庖 丁  を刃物 の名と奈せりむ可し何 人 可さ可しくもろこし能

           者

とてついにほうちょうをはもののなとなせりむかしなんびとかさかしくもろこしの


故事をとりて名付 そめけん今 ハ俗 尓通 して其 名ひろま礼り

こじをとりてなずけそめけんいまはぞくにつうじてそのなひろまれり


(大意)

(補足)

「正銘」、『しょうめい しやう―【正銘】〔由緒正しい銘がある意〕ほんもの。「正真―のダイヤモンド」』

「庖丁解牛」、『『荘子』養生主篇に登場する寓話「庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)」は、料理人の丁(てい)が文恵君(ぶんけいくん)のために、牛の骨と肉の隙間を見極めて自在に牛を解体する話。技術を超えた「道(どう)」の境地に達することで、刃を傷めることなく、余裕を持って物事を成し遂げ、生を養う(養生)知恵を伝えている』とAIの概要より。

 看板は「黒折 山上文殊四郎 正銘」。

 

2026年4月30日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

住 吉 浦 汐 干

すミよしうらし本ひ

すみよしうらしおひ


三 月 朔 日 ごろゟ 十 日比 まで大 汐 尓てさし引 多 し

さんがつついたちごろよりとおかころまでおおしおにてさしひきおおし


取 分 三 月 三 日ハ

とり王けさんがつみっかは


潮 干とて貴賤 群 集 する也 堺  住 吉 浦 

しおひとてきせんぐんじゅするなりさかいすみよしうら


凡  三 里者゛可りひ可多と

およそさんりば かりひがたと


成 見 物 の男 女 沖 に出て蛤   を取 也

           おき

なるけんぶつのだんじょおきにでてはなぐりをとるなり


又 所  の人 ハ多 く取 て見 物 の人 へも賣 奈り

またところのひとはおおくとりてけんぶつのひとへもうるなり


春べて潮 干ハ入 海 の分 ハ何 方 も同 し事 也

すべてしおひはいりうみのぶんはいずかたもおなじことなり


然  共 堺  浦 住 吉 浦 の塩 干其 名高

しかれどもさかいうらすみよしうらのしおひそのなたか


し尼  崎 浦 の塩 干甚   よし砂 海 にて貝 類 を取 こと自由 也

しあまがさきうらのしおひはなはだよしすなうみにてかいるいをとることじゆうなり


江戸にてハ品 川 の汐 干

えどにてはしながわのしおひ


尓ぎや可奈り此 浦 尓ハ比目魚多 くして塩 の多まり尓居るを

            ひらめ

にぎやかなりこのうらにはひらめおおくしてしおのたまりにいるを


見 物 の人 取 てたのしミと須

けんぶつのひととりてたのしみとす

(大意)

(補足)

「さし引」、『② 増減すること。㋐ 潮の満ち干。㋑ 体温の上がり下がり。』

 この本が出版されたのが宝暦4年で『1754年(宝暦4年)の旧暦3月3日は、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると1754年4月24日』なので、ちょうど今頃となります。蛤をとって、そのままひな祭りの蛤のお吸い物にしたのかもしれません。

 人の多さもさることながら、着物の柄がほとんどことなっているのに驚かされます。にているものもどこか違っています。

 松林にかくれて、大きな鳥居がみえます。一人ひとりを見ているとあきませんね。

 

2026年4月29日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

池 田 炭

いけ多゛すミ

いけだ すみ


摂 州  池 田炭 ハ一 倉 と云 里 尓て檞  尓てやきて池 田能市 尓

           ひとくら       くぬき

せっしゅういけだすみはひとくらというさとにてくぬぎにてやきていけだのいちに


出須也 此 炭 竈  ハ地を本りて其 上 尓むろを造 り跡 先 に

だすなりこのすみかまどはちをほりてそのうえにむろをつくりあとさきに


口 をあけ中 へくぬ木をつミ入 てやく也 やき可げんを見てふ多を春るなり

くちをあけなかへくぬぎをつみいれてやくなりやきかげんをみてふたをするなり


ふ多おそ个れハ炭 損 じてあしく又 早 个れバふ春本゛りて阿しゝとかく

ふたおそければすみそんじてあしくまたはやければふすぼ りてあししとかく


ふ多の可げん大 事也 凡  焼 炭 諸 国 より多 く

ふたのかげんだいじなりおよそやきすみしょこくよりおおく


出 といへ共 池 田を最 上  と須

           さい

でるといえどもいけだをさいじょうとす

(大意)

(補足)

「」、『ふすぼ・る 【燻る】① 燃えないで煙がたつ。くすぶる。「明王の御頂より,猛火―・りいで,五体をつつめたまふ」〈曽我物語7〉② (煙などのために)すすける。すすけて黒ずむ。「以ての外に―・りたる持仏堂にたてごもり」〈平家物語3〉』

 調べてみると、現在でも生産されていました。お茶炭で有名なんですね。切り口が菊の花のように美しいのも特徴なようで、ここの絵でも切り口に蓮の穴のように白く見えています。

 

2026年4月28日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

讃 岐平 家蟹

さぬきへいけ可尓

さぬきへいけがに


蟹 の甲 尓目鼻 口 阿り人 の面  のごとし俗 説 尓平

可尓 かう  者奈       おもて

かにのこうにめはなくちありひとのおもてのごとしぞくせつにへい


家の一 門 讃 岐の国 八嶋 の浦 尓て源   九郎 義 経 尓

けのいちもんさぬきのくにやしまのうらにてみなもとくろうよしつねに


せめ本ろぼさる其 怨 㚑  かにと成 多るとて平 家蟹 といふ愚案

         おん里やう

せめほろぼさるそのおんりょうかにとなりたるとてへいけがにというぐあん


春゛る尓此 蟹 の類 諸 国 尓阿り播 州  尼  崎 尓武 文 蟹 と云 有

                                         多けぶん

す るにこのかにのるいしょこくにありばんしゅうあまがさきにたけぶんかにというあり


秦  の武 文 の怨 㚑  奈りと云 又 嶋 村 蟹 といふ有 豊 後長 門尓ハ

者多゛

はだ のたけぶんのおんりょうなりというまたしまむらかにというありぶんごながとには


清 経 蟹 と云 皆 俗 説 奈り中美尓も鬼 蟹 とて此可尓阿り

きよつ年             うら

きよつねかにというみなぞくせつなりうらにもおにがにとてこのかにあり


讃 岐圓 座和柔  尓して奇麗 なりこの国 の名 物 也

   ゑんざやハら可   きれい

さぬきえんざやわらかにしてきれいなりこのくにのめいぶつなり

(大意)

(補足)

「中美」、『場所:「中美(なかみ/なかうら)」という地域(特定の沿岸部)。

内容: 中美にもこの「鬼蟹」が存在し、平家の怨霊が宿っているという伝承がある』、AIの概要でした。

 平家蟹が、蕪や大根のときもそうでしたが、巨大!

漁師の足元の網の目の細かさ、また円座の縄のより、これを彫ったのかとおもうとクラクラしてきます。

 

2026年4月27日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

樟  脳 製 法

しやうのうせい本う

しょうのうせいほう


く春能木と云 毛の二品 阿り樟 ハ木の心 赤 黒 く香  徒よし楠 ハ香

              く春   しん

くすのきというものにしなありくすはきのしんあかぐろくかおりつよしくすはかおり


すく奈し木の心 赤 黒 可ら須゛是 尓ハ大 木 多 しくさりてハ岩 と

すくなしきのしんあかぐろからず これにはたいぼくおおしくさりてはいわと


成 也 樟  脳 ハ樟 の根を者徒り取 て其 こけらを

          くす

なるなりしょうのうはくすのねをはつりとりてそのこけらを


釜 尓て煎 春゛る也 小屋の内 尓

かまにてせんず るなりこやのうちに


廿   四釜 を可けニ通  尓する也 一 通  尓十  二釜 づゝ

にじゅうしかまをかけにとおしにするなりひととおしにじゅうにかまずつ


せ奈可合 せ尓して間  三 尺  者゛可り

せなかあわせにしてあいださんじゃくば かり


あけ其 間  を往 来 春るやう尓こしら由る也 

あけそのあいだをおうらいするようにこしらゆるなり


釜 のふ多ハ鉢 也 釜 と鉢 との間  を

かまのふたははちなりかまとはちとのあいだを


土 尓ぬりていきのおざるやう尓する也 

つちにぬりていきのおざるようにするなり


其 ふ多へたまり多る露 則   樟  脳 奈り

そのふたへたまりたるつゆすなわちしょうのうなり


釜 ぬししやうのう改  むるてい

かまぬししょうのうあらたむるてい

(大意)

(補足)

 説明文には一列12釜でそれが二列で24釜をかけるとあります。しかし絵では一列に5釜で、そのおくに同じ(ものとおもわれる)一列があるようなので全部で10釜になります。

 わたしが何か勘違いしているのかもしれません。う〜ん🤔・・・

 

2026年4月26日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

越 前 奉 書 紙

    本うしよ

えちぜんほうしょし


奉 書 余国 よりも出れども越 前 尓及 ぶ物 奈し

ほうしょよこくよりもでれどもえちぜんにおよぶものなし


越 前 奉 書 其 品 多 し・大 廣・御前 廣・本 政

                         本んまさ

えちぜんほうしょそのしなおおし おおひろごぜんひろほんまさ


・間 政 ・上  判・真草 ・半草  ・刮 ・外 口・大 鷹・中 た可・小引

 あいまさ      まくさ 者んくさ こそ

 あいまさ じょうはんまくさ はんくさ こそ そとぐちおおたかなかたか こびき


・つや奈し・雲 紙・尺 長 ・間尓あひ・鳥 の子・薄 やう・中 やう

          たけ奈可

 つやなし くもがみたけなが まにあい とりのこ うすよう なかよう


何 れも紙 の性  よくつや有 てつよし凡  日本 より紙 お本く出る中 尓

いずれもかみのしょうよくつやありてつよしおよそにほんよりかみおおくでるなかに


越 前 奉 書 美濃ノ奈をし関 東 の西 ノ内 程 村 

                        本ど

えちぜんほうしょみののなおしかんとうのにしのうちほどむら


長 門ノ岩 国 半 紙尤   上  品 也

ながとのいわくにはんしもっともじょうひんなり

(大意)

(補足)

「奉書」「越前奉書」、「書」のくずし字がことなっていますが、どちらも「書」。

「西ノ内」、『にしのうちがみ【西の内紙】和紙の一。コウゾで漉(す)いたやや厚手のもの。茨城県常陸大宮市西野内で産した。傘紙・版画用紙などに用いられ,明治時代に投票用紙に指定され知られた』

「程村」、『ほどむらがみ【程村紙】楮(こうぞ)で作った厚手上質の和紙。栃木県那須烏山市(下野国程村)で産する。西の内紙に似る。明治期には輸出もされ書画の印刷用に用いられた』

「岩国半紙」、『いわくにばんし いはくに―【岩国半紙】岩国地方に産する,コウゾを原料とした上質の半紙。天正年間(1573〜1592)につくり始められた。岩国紙(いわくにがみ)』

「美濃ノ奈をし」、『みのがみ【美濃紙】楮(こうぞ)で漉(す)いた和紙。古く奈良時代から用いられた。美濃の武儀郡(現在の美濃市)から多く産出され,中世以降全国に普及。紙質は丈夫で厚く虫食いにも強く,文書の写し・書状の包み・障子紙などに用いる。書院紙。直紙(じきし)。みの』

 おかしな脚の構えの絵もなく、作業工程や出荷の様子も丁寧に描かれています。ここに描かれている作業をするまでが実は大変な時間と手間がかかっています。詳しくはこのBlogでもアップしてある『紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)』をご覧ください。

 わたしの在住している地域で有名な和紙に『埼玉県小川町周辺で生産される「小川和紙」は、1300年の歴史を持つ伝統的な手漉き和紙です。特に楮(こうぞ)100%の「細川紙(ほそかわし)」は、強靭で毛羽立ちにくい最高級の障子紙や書道・工芸用として知られています』があります。

 

2026年4月25日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

越 前 福 井石 橋

ゑちぜんふくゐいし者し

えちぜんふくいいしばし


橋 半 分 は石 尓てつくり半 分 ハ木尓て徒くれ里甚

はしはんぶんはいしにてつくりはんぶんはきにてつくれりはなはだ


奇観  奈り橋 づめ尓当 国 の名 物 とて蓑 笠 を

きくハん                  ミの可さ

きか んなりはしずめにとうごくのめいぶつとてみのかさを


賣 商  人 有 ◯凡  石 橋 ちいさきハ諸 国 尓阿れ共 大 奈るハまれ也

うるしょうにんあり およそいしばしちいさきはしょこくにあれどもだいなるはまれなり


京  三 條  の大 橋 ハ橋 杭 を石 尓てせらる是 太 閤 秀 吉 公 

              者しくい

きょうさんじょうのおおはしははしくいをいしにてせらるこれたいこうひでよしこう


増 田

ました


右衛門  ?  長 盛 に命 じて奉行  たらしむ

うえもんのじょうながもりにめいじてぶぎょうたらしむ


則   ぎ本゛うし由尓銘 阿り

           めい

すなわちぎぼ うしゅにめいあり


又 甲 州  尓奇異の石 橋 あり徂徠 先 生 の峡  中  紀行 尓見え多り

        きゐ       そらい

またこうしゅうにきいのいしばしありそらいせんせいのきょうちゅうきこうにみえたり

(大意)

(補足)

「京三條の大橋ハ橋杭」、ふたつの「橋」の「呑」の部分がことなっています。

「奇異」、「異」は「己」+「大」。

「ぎ本゛うし由」、『ぎぼうしゅ【擬宝珠】→ぎぼし(擬宝珠)1に同じ』

「峡中紀行」、『江戸中期の儒学者・荻生徂徠が宝永3年(1706年)に甲斐国(山梨県)を訪れた際の紀行文』

 今までとは違う絵師が描いたのではないかとおもうくらい(実際、違うかもしれません。脚の構えが今までのものとはことなっています)の出来栄えです。

橋の中央は石ではなく木になっているのがわかります。橋詰ではなるほど箕や笠を売っています。いろいろな身分の人が描かれています。水量も豊富。

 

2026年4月24日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

仙 臺  馬 市

せん多゛いむまいち

せんだ いむまいち


毎 年 三 月 上  旬  より四月 中  旬  まで

まいとしさんがつじょうじゅんよりしがつちゅうじゅんまで


仙 臺 芭 蕉  の辻 ゟ

    者゛せを

せんだいば しょうのつじより


国 分 町 上 中 下 町 と三 段 尓分 ちて一 日 可゛ハり尓

こくぶんまちかみなかしもまちとさんだんにわかちていちにちが わりに


馬 市 の行  事を

うまいちのぎょうじを


徒とむ市 者じまりて五七 日 ハ江府馬 寮  より宮 使来 りて

つとむいちはじまりてごしちにちはえふうまりょうよりぐうしきたりて


御 物 を撰 む其 次 ハ

ぎょぶつをえらむそのつぎは


国 司の乗 馬 小荷駄を撰 む其 後 ハ朝 五 ツより

こくしののるうまこにだをえらむそののちはあさいつつより


暮 七 ツ時 を限 りて賣買

くれななつどくをかぎりてうりかい


市 阿り馬主 馬 を引 来 れハ買 主 これを見て

いちありばぬしうまをひききたればかいぬしこれをみて


仲 買 尓頼 ミて其 阿多ひを

なかがいにたのみてそのあたいを


定 むる也 仲 買 馬主 を打  擲  して其 阿たひの

              ちやうちやく

さだむるなりなかがいばぬしをちょうちゃくしてそのあたいの


高 下を定 め賣 買 春ること也

こうげをさだめうりかいすることなり


中 買 共 馬主 をせ可゛ミて直段 まけさせる 馬主

なかがいどもばぬしをせが みてねだんまけさせる ばぬし


馬 買 主  行  司帳  尓とむる 仲 買 者゛んぞう

うまかいぬし ぎょうじちょうにとむる なかがいば んぞう

(大意)

(補足)

 7頭もの馬を登場させて市の喧騒の様子を描いています。牛みたいな柄の馬もいます。「仙台馬市」で調べるとたくさんヒットして、江戸時代でも全国的に有名な馬市であったようです。

 建物が独特です。