2026年5月25日月曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

奈良晒

奈らさらし

ならさらし


麻 の最 上  ハ南 都也 近 国 より其 品 数 々 出れとも染 て色

あさ さいじやう 奈んと  きんごく  そのし奈可ず      そめ いろ

あさのさいじょうはなんとなりきんごくよりそのしなかずかずでれどもそめていろ


よく着て身尓まとバ須汗 をはじく故 尓世尓奈良

  き ミ     あせ    由へ よ 奈ら

よくきてみにまとばずあせをはじくゆえによになら


晒  とて調  宝 春る也 極  の字うるし判 ハ生平 の時 能改  め判 なり

さらし  ちやう本う            者ん きひら とき あら多 者ん 

さらしとてちょうほうするなりきわめのじうるしばんはきひらのときのあらためばんなり


晒  阿げての改  め判 ハ南都 御呉服 尺 巾 

                  ごふくさし者ゞ

さらしあげてのあらためばんはなんとおごふくさしはば


壱 尺  壱 寸 長 六 丈  七 尺  五寸 と

いっしゃくいっすんたけろくじょうななしゃくごすんと


朱 印 有 四 尺  切 を取 てあまり五丈  四 尺  有◯

し由ゐん       きれ

しゅいんありよんしゃくきれをとりてあまりごじょうよんしゃくあり


木津晒  奈らと同 し

きづ

きづさらしならとおなじ


然  共 染 て地やハら可に着心   奈らのことく尓志よりつき奈くて心  よ可ら須

        ぢ     きごゝろ

しかれどもそめてぢやわらかにきごごろならのごとくにしょりつきなくてこころよからず

(大意)

(補足)

「最上」、「最」のくずし字は「宀」+「取」。

「南都」、『なんと【南都】① 京都を北都というのに対し,奈良のこと。 ↔北都

② 比叡山延暦寺を北嶺というのに対し,奈良の興福寺のこと。「―の大衆(だいしゆ)ひた甲(かぶと)七千余人」〈平家物語•4〉』

「生平」、『きびら【生平・黄〈帷子〉】さらさない麻糸で平織りにした布。男子の夏物,特に羽織に用いた。季夏』

「着心」、『きごころ【着心】→着心地(きごこち)に同じ』

 麻糸を織って布にするのも大変だったとおもいますが、この画のようにそれらを晒す工程もこれまたとんでもなく手数をかけたのでしょう💦

 

2026年5月24日日曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その11


P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

有 馬籠 細 工

ありま可ごさいく

ありまかございく


摂 州  有 馬日 本 㐧 一 の温 泉 尓て四時湯 治の人 お本く

せつし う   尓つ本ん     おんせん  しじとうぢ

せっしゅうありまにっぽんだいいちのおんせんにてしじとうじのひとおおく


繁 昌  の地奈り此 所  の人 竹 細 工尓妙  を得ていろ\/能

者んしやう ち                め う ゑ

はんじょうのちなりこのところのひとたけざいくにみょうをえていろいろの


竹 籠 を徒くり出春有 馬籠 とて名 物 奈り湯 治の人 買 求 めて家

                             可いもと  いへ

たけかごをつくりだすありまかごとてめいぶつなりとうじのひとかいもとめていえ


徒゛とゝ春◯駿 河 の府中  又 竹 籠 の名 物 有 

      する可゛ ふち う

づ ととす するが のふちゅうまたたけかごのめいぶつあり


其 細 工よし有 馬細 工尓

そのさいくよしありまざいくに


まけ須゛おとら須゛関  東 能人 ハ有 馬籠 ハ名も志ら須

         くハんとう

まけず おとらず か んとうのひとはありまかごはなもしらず


駿 河籠 を賞  翫  春る也

      しやうくハん

するがかごをしょうか んするなり

(大意)

(補足)

「細工」、くずし字「ユ」になっています。

「四時」、『しじ【四時】① 春・夏・秋・冬をいう。四季。しいじ。「頂には―雪あり」〈日本風景論•重昂〉② 朝・昼・夕・夜の四つの時。しいじ』

「家徒゛と」、『いえづと いへ― 【家苞・家裹】家に持って帰るみやげ。「―遣らむたづき知らずも」〈万葉集•4410〉』

 今は、竹細工や籠などはお土産屋さんでどうにか見られるだけになってしまいました。つい最近までは商売でそれらの専門店があったのですが、使われることがほとんどなくなってしまい、やっていけなくて店じまいしてしまってます。

 わたしが子どもの頃は、商店街のどの店も籠をつかっているのはあたりまえで、八百屋さんなどでは天井から吊るした籠が現金入れとなってぶら下がってしました。

 昨今プラスティック製品の弊害がようやくさけばれ、海洋汚染の筆頭にあげられています。竹細工はたいていの日常で使うものならば作ることができて、その技を伝えることは今ならばまだ間に合うのではないでしょうか。

 身近にある竹を使うこともなくなってしまい、竹藪が全国のどこでもはびこってしまいこれまた問題になっています。竹細工がいかに使われてきていたかをしめすものであります。

 ここでは有馬籠や駿河籠が名物とありますが、竹細工は身分に関係なく人々の日常生活の必需品でしたから、全国津々浦々どこにでも工房はありました。


 

2026年5月23日土曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その10

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

宮 嶋 舟 祭

ミやじまふ年まつり

みやじまふねまつり


神事 六 月 十  七 日 神輿 舟 尓て御旅 所 へ渡 り給 ふ

じんじ           ミこし    お多びしよ 王多

じんじろくがつじゅうしちにちみこしぶねにておたびしょへわたりたもう


宮 嶋 ゟ 一 里

みやじまよりいちり


む可ひ尓地の御前 とてお旅 有 神輿 お清 の時 鳥 井の内 尓て

    ち こぜん           きよ

むかいにちのごぜんとておたびありみこしおきよのときとりいのうちにて


管  弦  あり還  御 尓ハ長 濱 のお戎  へ御より管 弦

くハん个゛ん  くハんぎよ  奈可者ま  へひす

か んげ んありか んぎょにはながはまのおえびすへおよりかんげん


おハりて大 元 大 明  神 へ御より

おわりておおもとだいみょうじんへおより


同 管 弦 阿りて本 社 へ御帰 り也 舟 の可ざりハ

         本んしや  かへ

どうかんげんありてほんしゃへおかえりなりふねのかざりは


灯 籠 のまハり桜  の作 り花

とうろう    さくら

とうろうのまわりさくらのつくりばな


阿り灯 籠 ハ多゛んせん可゛多と角 阿んどうと也

                可く

ありとうろうはだ んせんが たとかくあんどうとなり


や可多の上 能宝  珠 尓も火

       本゛うし由

やかたのうえのぼ うじゅにもひ


をとも須なり御供 舟 いろ\/のちやんちん其 外 徒くり物 有

をともすなりおともぶねいろいろのちゃんちんそのほかつくりものあり


海 上  一 里半 者゛可りつゞく也

可いしやう

かいじょういちりはんば かりつづくなり

(大意)

(補足)

「大元大明神」、(おおもとだいみょうじん)『中国地方(広島県・岡山県・山口県など)を中心に、山の神や地域の根本となる神様として祀られている呼称です。厳島神社の摂社である宮島の大元神社や、岡山県内の神社などで信仰されています』。

 いやいや、力作大作であります。現在でも行われている神事で、YouTubeで見ることができます。色がついていたら、提灯やぼんぼりや宝珠の灯りがきれでしょうね。

 左端手前の舟に「御神燈」とあります。

 

2026年5月22日金曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

安藝宮 嶋 濱 市

あきミやじま者まいち

あきみやじまはまいち


宮 嶋 本 名  ハ厳  嶋 と云 弁 才 天 の社  有 百  八 十 間 能

ミやじま本んミやう いつくしま   べんざゐてん やしろ

みやじまほんみょうはいつくしまというべんざいてんのやしろありひゃくはちじっけんの


回  廊 石 の鳥 居阿り塩 時 尓ハく和いらう能下 を塩 さし

くハいらういし とりゐ  し本とき

か いろういしのとりいありしおどきにはか いろうのしたをしおさし


の本゛る也 毎 年 二度の大 市 あり春 ハ三 月 十  三 日 より

      まい袮ん

のぼ るなりまいねんにどのおおいちありはるはさんがつじゅうさんにちより


四月 八 日まで夏 ハ六 月

しがつようかまでなつはろくがつ


十  四 日より七 月 七 日迄 也 諸 国 より商  人お本く集  りて

                   しよこく  あきんど   あつま

じゅうよっかよりしちがつなのかまでなりしょこくよりあきんどおおくあつまりて


賑   奈る市 也 三 月 六 月 十  六 日

尓ぎや可

にぎやかなるいちなりさんがつろくがつじゅうろくにち


十  七 日 十  八 日 神 事の能 阿り六 月 十  七 日

              じんじ のう

じゅうしちにちじゅうはちにちじんじののうありろくがつじゅうしちにち


御神 事の船 祭  有 次 の繪尓見え多り

     ふ奈まつり阿りつぎ ゑ

ごしんじのふなまつりありつぎのえにみえたり

(大意)

(補足)

 おおきなそろばんを手にして商談をしている人たちが二組みえます。ここでの商習慣なのでしょうね。

 船の上に長い板状のものが支えられてのっています、櫂(かい)でしょうか。

 浜ではガラクタを売ったり、箱物かお皿かわかりませんけど販売していて賑やかです。

 

2026年5月21日木曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  深 草 陶器

きやうふ可くさか和らけ

きょうふかくさかわらけ


人 皇 二十  二代 雄 略  天 皇 十  七 年 尓土師 連  吾笥と

           由う里やく            者しのむらしあけ

じんのうにじゅうにだいゆうりゃくてんのうじゅうしちねんにはじのむらじあけと


云 人 土器  の細 工人 を山 城  国 伏 見村 尓置 るゝ由

    可和らけ さいく          ふしミ   お可  よし

いうひとかわらけのさいくびとをやましろのくにふしみむらにおかるるよし


国 史尓見え多り其 時 の細 工人 今 の世まで傳 りて伏 見海 道 能

こくし                     つ多     可いどう

こくしにみえたりそのときのさいくびといまのよまでつたりてふしみかいどうの


土商  さいく西 行  行 脚 のす可゛多或  ハ狐  牛 の多ぐひ

       さいきやうあんぎや         きつ袮うし

どしょうさいくさいぎょうあんぎゃのすが たあるいはきつねうしのたぐい


其 外 いろ\/

そのほかいろいろ


の人 形  うつハ物 ホ を徒くりて家業  とす其 由来 久 しきこと成 へし

                  可个゛う    由らい

のにんぎょううつわものなどをつくりてかぎょうとすそのゆらいひさしきことなるべし


庭 訓 尓も深 草 の土器  師とあれハ久 しき名 物 奈る事 知 へし

ていきん  ふ可くさ 可わらけし

ていきんにもふかくさのかわらけしとあればひさしきめいぶつなることしるべし

(大意)

(補足)

「陶器(か和らけ)」、フリガナの変体仮名「和」はカタカナ「ハ」かもしれません。

「人皇」、読みは「じんこう」「じんのう」「にんのう」、いずれもOK。『神武天皇以後の天皇〔神代(じんだいorかみよ)と区別した意味で〕』。

 作業場のそとには「西行行脚のす可゛多或ハ狐牛の多ぐひ其外いろ\/の人形うつハ物ホ」が並べられています。

 二人の職人さんの前にあるのは轆轤(ろくろ)ではなさそうです。ということは作っている器のようなものは手びねりでこしらえているのでしょうか。

 

2026年5月20日水曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺牛 儈

てん王うしうしいち

てんのうじうしいち


備前 備 中  の国 お本く牛 を飼 て子を産 須則   

びぜんびつち う      うし 可い   うま す奈ハち

びぜんびっちゅうのくにおおくうしをかいてこをうますすなわち


これを大 坂 天 王 寺

これをおおさかてんのうじ


尓おくる天 王 寺孫 右衛門と云 者 牛 市 のつ可さ奈り此 人 の

         まご        うしいち

におくるてんのうじまごえもんというものうしいちのつかさなりこのひとの


印 形  奈个れバ諸 国 尓賣 買 すること叶 ハ春゛こと也

ゐんぎやう    しよこく うり可い

いんぎょうなければしょこくにうりかいすることかなわず ことなり


年 中  備前 備 中  より牛 を引

袮んぢ う

ねんじゅうびぜんびっちゅうよりうしをひき


来ること日々尓たえ須゛毎 年 霜 月 尓牛 市 阿り近 郷  の

           まい袮んしもつき       きん可゛う

くることひびにたえず まいねんしもつきにうしいちありきんご うの


百 姓   思 ひ\/ 尓

ひやくせ う

ひゃくしょうおもいおもいに


牛 を引 来 りて互   尓交 易 賣 買 春これを

   ひきき多  多可゛ひ 可うゑき

うしをひききたりてたが いにこうえきうりかいすこれを


牛 博  労 と云 春べて牛 を商  ふ尓

  者゛くろう         あき奈

うしば くろうというすべてうしをあきなうに


直段  相 定   る時 ハ互  尓牛 尓米 を可ましむ

袮多゛んあいさ多゛ま

ねだ んあいさだ まるときはたがいにうしにこめをかましむ


是 を賣 買 の證  拠とする可や

        せ うこ

これをうりかいのしょうことするかや

(大意)

(補足)

「近郷」、このくずし字はセットで覚えます。

「互」のくずし字、はじめて見たような。

 牛はまるまる肉付きよく、柄もみなことなって描かれています。牛の用途はもちろん食べるのではなくまた乳を絞るのでもなく(牛やヤギの乳を飲んでいたそうでもありますが)、農耕や大八車で荷をひかせたり、労働のためでした。

 鳥居や松、また家には縄のれんを描くなどやはり絵描きです。

 

2026年5月19日火曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

加賀笠

可ゞ可゛さ

かがが さ


菅 笠 国 々 よりお本く出れども中 尓も加賀を上  品 と須㐧 一

すげ可さく尓                     本ん

すげがさくにぐによりおおくでれどもなかにもかがをじょうぼんとすだいいち


菅 の色 白 く糸 ぬひこま可尓して其 格 好 よし哥 尓ハ難 波

   いろしろ いと          可川可う  う多  奈尓ハ

すげのいろしろくいとぬいこまかにしてそのかっこうよしうたにはなにわ


菅 笠 名 物 也 万 葉 集  に押 てるや奈尓波春可゛笠お起ふるし

          まんやうし う おし

すげがさめいぶつなりまんようしゅうにおしてるやなにわすがかさおきふるし


後 ハ誰 きん笠 な

のち 多可゛

のちはたがきむかさな


ら奈くに又 延 喜式 尓摂 津 国 笠 縫 氏とあり

      ゑんぎしき         ぬひ

らあくにまたえんぎしきにせっつのくにかさぬいしとあり


今 大 坂 玉 造  の東  深 江村 の

      多まつくり ひ可しふ可えむら

いまおおさかたまつくりのひがしふかえむらの


民 も川者ら菅 笠 をぬひて家業  と須い尓しへの伝 来 な類遍゛し

多ミ            可け う       でんらひ

たみもっぱらすげがさをぬいてかぎょうとすいにしえのでんらいなるべ し

(大意)

(補足)

「菅」、「艹」と「宮」で、「宮」のくずし字がちゃんと「友」のようになっています。

「押てるや〜」、『おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに(おしてるなにはすがかさおきふるしのちはたがきむかさならなくに)。照り渡る難波の菅で作った笠を着けもせず古びさせて、後に誰か着ける人がいるような笠でしょうか』

 子どもが猫をなでています。この本で猫はめずらしい。菅笠をおさめる竹籠、これを編むのも(菅笠より)大変だったはず。黒い着物を端折っている人の脚は相変わらずかえる脚で下手くそだけど、御婦人三人の線はやわらく描かれています。脇には針山と糸があり、縫い台もあって、こうやって一日中働いていたのでしょう。台の上にあるへの字の黒いものは菅笠の頭に取り付ける飾りかもしれません。

 

2026年5月18日月曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

松  煙 取  図

せ うゑんとりのづ

しょうえんとりのず


肥 松 の由ゑん奈り又 ハ灰 墨 とも云 これを取 尓ハ四方 障  紙

こへまつ         者いすミ       とる  し本うしやうじ

こえまつのゆえんなりまたははいずみともいうこれをとるにはしほうしょうじ


尓て可こひ其 中 尓ハ棚 を可き其 上 を土 尓てぬりて肥 松 尓火を

     その奈か  多奈     うへ つち

にてかこいそのなかにはたなをかきそのうえをつちにてぬりてこえまつにひを


つけてまどゟ 入 其 かゞりの个ふり上 の方 尓たまるを者きて取 也

                  うへ

つけてまどよりいれそのかがりのけぶりうえのほうにたまるをはきてとるなり


是 を松  煙 と云 本

           本ん

これをしょうえんというほん


油煙 といふハ油  火のかゞりの个ふり也

由ゑん    あふらひ

ゆえんというはあぶらひのかがりのけぶりなり


是 も棚 をこしらへ多 く油  火をともし障  紙

これもたなをこしらえおおくあぶらびをともししょうじ


尓てかこひて其 上 尓たまるを取 也◯又 太 平 墨 奈ど尓春る

                     多いへいずミ

にてかこいてそのうえにたまるをとるなりまたたいへいずみなどにする


下品  能松  煙 ハ肥 松 の煙  尓

げ本゛ん            个ふり

げぼ んのしょうえんはこえまつのけぶりに


あら須゛瓦  やきの竃 のごときに志つらひて松 の雑 木をたきて

    かハら   可ま             ざうき

あらず かわらやきのかまのごときにしつらいてまつのぞうきをたきて


其 上 尓たまる煤 を者らひ取 也

        すゝ

そのうえにたまるすすをはらいとるなり

(大意)

(補足)

 インクや鉛筆などが出現するまでは、紙と墨はなくてはならない必需品というものをこえた存在でした。墨は後半の説明にある竃の中で松を燃やしてその天井にできる煤をはらって作るものとばかりおもっていましたが、障子で囲った中からつくる製法は初耳で、ちょっと驚きです。

 今でも竃の中での製法は僅かですが続けられていて、それが「太平墨奈ど尓春る下品」の墨であるとは、現在では高級品扱いです。

 黒い着物の職人さんは鳥の羽毛のようなもので煤をはらっています。

 

2026年5月17日日曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

松 前 昆 布

まつまへこんぶ

まるまえこんぶ


奥 州  松 前 の海 中  の石 尓つきて生  須゛長 さ数丈  海 上  尓

をうし うまつまへ 可いち う いし    せ う  奈可゛すしやう可いしやう

おうしゅうまつまえのかいちゅうのいしにつきてしょうず ながさすじょうかいじょうに


う可び出るを長  柄の鎌 尓て舟 より是 を切 て取 阿げ

      奈可゛ゑ 可ま  ふ年  これ きり とり

うかびでるをなが えのかまにてふねよりこれをきりてとりあげ


人 家のや袮尓本す也 又 家 のや袮を昆 布尓てもふく也 ◯若 狭昆 布

しん可          いゑ               王可さ

じんかのやねにほすなりまたいえのやねをこんぶにてもふくなり わかさこんぶ


王可さ能海 より出 る尓あら須゛松 前 より伝 へて古ゝ尓てこしらへて売 也

    うミ                徒多           うる

わかさのうみよりいずるにあらず まつまえよりつたえてここにてこしらえてうるなり


名 物 と奈れり◯松 前 より乾 鱖 鯡  干海鼡串 鮑 ホ 多 くい徒゛る

               可らざけ尓しんい里こくし可い

めいぶつとなれり まつまえよりからざけにしんいりこくしがいなどおおくいず る

(大意)

(補足)

「乾鱖」、『からざけ【乾鮭】サケの腹を裂いて内臓を除き,塩をふらずに陰干しにしたもの』。

「ホ」はもちろん「等」の略字。

 ある日の浜の風景をきりとった画、現在でもかわってません。子どもをあやしておばあさんに見せています。その奥の部屋には小さな竈(かまど)があります。

 若かりし頃、何度か北海道を旅しました。霧多布だったかなぁ、どこだろう、切り立った岬に打ち寄せる波に2,30メートルくらいある長い身をまかせるように、たゆたゆとゆれる昆布を見たときは驚き、感動したものでありました。

 

2026年5月16日土曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

伊豫牛蒡

いよご本゛う

いよごぼ う


ふとくして其 味 よし長 さハ三 四 尺  も阿り

     そのあち              

ふとくしてそのあじよしながさはさんよんしゃくもあり


牛蒡 の名 物 也 城  州

    めいぶ川  じやうし う

ごぼうのめいぶつなりじょうしゅう


八幡 牛 蒡名 物 尓て其 名高 しといへとも其 大 いさ伊予

やハ多         その奈               よ

やわたごぼうめいぶつにてそのなたかしといえどもそのおおいさいよ


牛蒡 尓及 バ須◯牛蒡 の実を大 力 子と云 

    およ         多いりきし

ごぼうにおよばず ごぼうのみをだいりきしという


ねぶと腫 物 尓其 実を一 粒 のめハ

   者れもの

ねぶとはれものにそのみをひとつぶのめば


早 速 志由も川の口 阿きてうミを出須也

さつそく

さっそくしゅもつのくちあきてうみをだすなり


中 華 尓ハ牛蒡 の其 苗 のミを

もろこし        奈へ

もろこしにはごぼうのそのなえのみを


賞  翫  して其 根ハ人 お本く食  せぬよし本 草 綱 目 尓見由

しやうくハん  その袮      しよく    本んざう可うもく

しょうが んしてそのねはひとおおくしょくせぬよしほんぞうこうもくにみゆ


假使 項 羽の力  阿りとも鋤 なくてハ牛蒡  ぬき可゛多し

多とひ可うう ち可ら    すき    こ本゛う

たいいこううのちからありともすきなくてはごぼ うぬきが たし

(大意)

(補足)

「伊予牛蒡」、『愛媛県(伊予国)で古くから栽培されていたとされる、長さが約90〜120cmにも達する極めて太く長い巨大なごぼう』

「伊豫」、『いよ 【伊予】① 旧国名の一。愛媛県全域にあたる。予州』

「城州」、『じょうしゅう じやうしう 【城州】山城(やましろ)国の別名』『やましろ 【山城】① 〔古くは「山背」「山代」とも書かれた〕旧国名の一。五畿内の一。京都府の南東部に当たる。城州(じようしゆう)。② 京都府南部,木津川市の地名。木津川中流右岸を占め,野菜・タケノコ・茶などを産する』

「城州八幡」、『現在の京都府八幡(やわた)市の古い呼び名(山城国八幡)』。

「大力子」、『花の後の種子はゴボウシ(牛蒡子)、またはアクジキ(悪実)ダイリキシ(大力子)と称し薬用にする。 漢方では、発汗、利尿、解毒、消炎・排膿を目的に腫れ物の内服に用いる』。牛蒡の実が漢方薬に使われているとは、全く知りませんでした。

「ねぶと」、『ねぶと【根太】背中・腿部(たいぶ)・臀部(でんぶ)などにできるはれもの。黄色ブドウ球菌の感染により,毛包が炎症を起こし,膿(う)んで痛む。固根』

「賞翫」、『しょうがん しやうぐわん【賞翫・賞玩】(名)スル 〔古くは「しょうかん」とも〕① 事物の美しさ・良さなどを味わい楽しむこと。めでること。「織部の皿を―する」② 食べ物のうまさを味わうこと。賞味。「お俊が呉れし菓子―するに」〈いさなとり•露伴〉』。作者はこの言葉が好きなようで、たびたび出てきています。

 またまたでたぁ~、超巨大な蕪の画が以前にありました。今回は牛蒡です。こんなでかいのあるわけないだろ!っておもいつつ、じっとながめていると、う〜ん🤔・・・もしかしたら、ほんとにあったのかもしれないと、おもってきてしまう・・・、画の力!

 むしろの上で作業しているのはごぼうの実をとって、干しているのでしょうか。

 

2026年5月15日金曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 和三輪素 麺

やまとミ王そうめん

やまとみわそうめん


名 物 なり細 きこと糸 能ことく白 きこと雪 能

めいふ川  本そ   いと    しろ   ゆき

めいぶつなりほそきこといとのごとくしろきことゆきの


ごとし由で天ふとら須゛余国 より出 るそうめん

           よこく  いづ

ごとしゆでてふとらず よこくよりいずるそうめん


の及 ぶ所  尓阿ら須゛又 阿波より出るもの名 産 奈り三輪そうめん尓

 およ ところ     ま多あ王      めいさん  ミ王

のおよぶところにあらず またあわよりでるものめいさんなりみわそうめんに


おとら須゛それ三輪ハ大 己 貴 のみこと能神 社 有 御神 躰 ハ山 尓て

          於本あ奈むち     しんじや阿りこしん多い やま

おとらず それみわはおおあなむちのみことのじんじゃありごしんたいはやまにて


鳥 居者゛可り尓て社  ハなく参 詣 の人 お本き由へ三輪の町 繁 昌  也

とりゐ      やしろ   さんけい           まち者んぜ う

とりいば かりにてやしろはなくさんけいのひとおおきゆえみわのまちはんじょうなり


旅 人 をとむる者多ごや尓も名 物 奈りとてそうめん尓てもて奈須也

多びびと

たびびとをとむるはたごやにもめいぶつなりとてそうめんにてもてなすなり

(大意)

(補足)

「三輪」、「車」偏が特徴的なくずし方です。

「雪」、ふりがながなければ読めません。

「阿波より出るもの名産奈り」、徳島県つるぎ町(旧半田町)の名産「半田そうめん(阿波半田手延そうめん)」のことでしょうか。これもうまいです。

「大己貴のみこと」、『おおあなむちのかみ おほあなむち― 【大己貴神・大穴牟遅神】大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。おおなむちのかみ』

 現在でもまったく同じ工程の作業で手延べ素麺を作っていることに驚きます。延ばして素麺を乾燥させている画が見事です。

 うしろの木は柳でしょうか、新芽のようにみえます。素麺は乾燥して寒い時期(上半身裸の職人さんもいます)に作りますから、2月か3月頃の制作風景ではないでしょうか。

 

2026年5月14日木曜日

日本山海名物圖繪巻之四 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

住吉宝市

すミよした可らのいち

すみよしたからのいち


播 州  住 吉 太 神 宮 毎 年 九月 十  三 日 

     すミよしたいしんぐうまい袮ん

ばんしゅうすみよしたいしんぐうまいねんくがつじゅうさんにち


宝  の市 とて大 神 事

          じんじ

たからのいちとてだいじんじ


有 社 務社 司大  祢宜のこら須゛出  仕尓て神 供 阿り大 坂

  しゃむしやし多゛い袮ぎ     し由川し  じんぐう

ありしゃむしゃしだ いねぎのこらず しゅっしにてじんぐうありおおさか


堺  其 外 の村 ゝ より参 詣 の人 おび多ゝし

さ可ひ           さんけい       

さかいそのほかのむらむらよりさんけいのひとおびただし


商  人ま須物 尺 奈とを専    尓

あきんと  ものさし   もつ者゜ら

あきんどまずものさしなどをもっぱ らに


賣 参 詣 の人 吉 兆  なりとて買 て帰 る也

うる       きつて う    可 い可へ  

うるさんけいのひときっちょうなりとてかいてかえるなり


委   ハ住 吉 名 勝 志尓見由

くハしく すミよしめうせうし

くわしくはすみよしめいしょうにみゆ

(大意)

(補足)

 おなじような画をみたなとおもって調べたら「日本山海名物圖繪巻之三その8住吉浦汐干」でした。

「神供」、『じんく【神供】〔「じんぐ」「じんぐう」とも〕① 神への供え物。お供物(くもつ)。② 密教で,護摩(ごま)をたくとき,壇を設けて十二天ならびに鬼神などに供物をささげること』

「住吉名勝志」、「勝」のふりがなの「せ」と「う」の間にもう一字あるのですけど、よくわかりません。

 住吉大社は商売繁盛のご利益もあって、(画の左下で売っている)升や物差しは「正直に量る」という意味で縁起が良いとされ、商売人から庶民まで買い求めたとのことであります。

 松の葉が扇子の骨のように見えてきます。

 

2026年5月13日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その21

P38 国文学研究資料館蔵

(読み)

晒  臘

さらしらう

さらしろう


蝋 ハ黄櫨の木の実也 蒸 籠 尓てむしたゞら可し

   ハじ      せいろう

ろうははじのこのみなりせいろうにてむしただらかし


臼 尓てつき蝋 と須薩 摩 国 備 中  国 奥 州  会 津等

うすにてつきろうとすさつまのくにびっちゅのくにおうしゅうあいずとう


より多 く出春外 諸 国 尓もあり又 唐 よりわ多るなり

よりおおくだすほかしょこくにもありまたからよりわたるなり


さらし蝋 ハ京  大 坂 尓て右 の黄蝋 をさらして白 蝋 と春る也

さらしろうはきょうおおさかにてみぎのきろうをさらしてはくろうとするなり

(大意)

(補足)

「黄櫨の木」、ハゼノキの別名。

「たゞら可し」、『ただらか・す 【爛らかす】ただれるようにする。ただらす。日葡』『ただ・れる【爛れる】① 炎症や傷などのため,皮膚や肉が破れ,くずれる。「薬品で―・れた皮膚」「腰もかがまり目も―・れにけり」〈竹取物語〉』

 ここでは櫨の実を、柔らかくしてくずれるくらいに蒸し上げるの意、だとおもいます。

 若い頃何度か会津を旅しました。そのときにお土産で購入した絵蝋燭をいまでも大事にしています。また十数年前の京都旅行ではお店の名前は忘れましたが小さな和蝋燭をお土産に購入しました。

 和蝋燭は櫨の実がとれれば、ここに記されている通りの手順で個人でもそれほど難しくなく作ることができます。

 

2026年5月12日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その20

P36P37 国文学研究資料館蔵

(読み)後半

差 引 春る也 虎 市 にハ別 尓取 引 場と云 毛の一 ケ所 有 て

さしひきするなりとらいちにはべつにとりひきばというものいっかしょありて


古ゝ尓てけし合 須奈り米 市 のことハ米 穀 賣 買 出  世車  と

ここにてけしあいすなりこめいちのことはべいこくうりかいしゅっせぐるまと


云 書 尓くハしく見え多れハ爰 尓ハ略  須やりくり両  替 の手代 小者

いうしょにくわしくみえたればここにはりゃくすやりくりりょうがえのてだいこもの


毎 夜よひの間  に諸 方 をまハりてすめ合 尓行 也

まいよよいのあいだにしょかたをまわりてすめあいにゆくなり


爰 尓顕  須所  能繪これ也

   あらハ

ここにあらわすところのえこれなり


出入 四ツ切  かバやき 米 相 場表  の躰

でいりよつぎり かばやき こめそうばおもてのてい

(大意)

(補足)

「米穀賣買出世車」、『宝暦8年(1758年)頃に刊行された、江戸時代の堂島米市場における米相場の売買法や心得を解説した書物です。赤松閣(東白)が撰し、米取引で財を成すための極意を車に例えて図解した、当時の投資家向け教本』。

 ここの画は文中にもあるとおり『両替の手代小者毎夜よひの間に諸方をまハりてすめ合尓行也爰尓顕須所能繪』なので、月代(さかやき)の髷はかバやき屋の親父の他3人だけです。あとはみな若衆髷(わかしゅまげ)というのかな、それに筆を差しています。

 提灯のおおいをおろし明るくして何をしているのかとよく見ると、おちんちんを見せているアホがいます。また相撲でもしているのか背負投げのようなもので取っ組み合って遊んでいます。提灯にはみな屋号が入っていて「すめ合」に右往左往。

「すめ合」、『江戸時代における「両替屋(りょうがえや)」の業務において、「すめ合(すめあい)」は、毎晩のように諸方(各方面)を回って取引をまとめる行為を指す言葉。両替屋の手代や小者が、夜の間に得意先などを回って、商取引の債権・債務の相殺や、資金の融通(すめ合い)を行うこと。江戸時代の商業において、手形を用いて商人同士の貸し借りを相殺する、実質的な金融の安定化機能(手形清算)の一部』。

 かバやき屋、ひらいたうなぎをまるまる一匹焼いていますけど、当時大坂ではこんなふうにしていたのかねぇ?

 

2026年5月11日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その19

P36P37 国文学研究資料館蔵

(読み)前半

大 坂 北 濱 米 市

おおさかきたはまこめいち


正  米 市 阿り帳  合 米 市 有 正  米 市 とハ

しょうまいいちありちょうあいこめいちありしょうまいいちとは


現 米 の賣 買 奈り帳  合 米 とハ通 用

げんまいのばいばいなりちょうあいまいとはつうよう


米 尓て差 引 して利損 を者かる也 帳  合 米 ハ

まいにてさしひきしてりそんをはかるなりちょうあいまいは


加賀二百  俵  筑 前 三 百  俵  を一商と

                      ひとあき奈い

かがにひゃっぴょうちくぜんさんびゃっぴょうをひとあきないと


定 む又 虎 市 といふあり是 ハ二十 石 徒゛ゝの賣 買 也 やりくり

さだむまたとらいちというありこれはにじっこくず つのばいばいなりやりくり


両  替 屋五十 軒 あり帳  合 米 を引 請 て高 下の直段 を

りょうがえやごじっけんありちょうあいまいをひきうけてこうげのねだんを

(大意)

(補足)

「大坂北濱米市」、『江戸時代に大坂の北浜(のちの堂島)で栄えた米の取引市場であり、淀屋が創始した「淀屋の米市」を起源とします。1697年に堂島へ移転して堂島米会所となり、世界で初めての「組織的な先物取引」が行われた場所として知られています』。

 電信などない時代、どのように遠方まで相場の値段を知らせあったのか調べたことがあります。飛脚などよりもっと早い方法を使っていました。のろしです。それらをいくつもつなぎあって、あっという間に西にも東にも相場の状況は届いていたのでした。もうひとつは伝書鳩、これもははやかったとおもいますが、のろしほどの信頼性はなかったかもしれません。

この「北」のくずし字は学んでないとまず読めません。「北」という漢字とは別物と考えたほうがよいかとおもいます。

「正米」、『しょうまい しやう―【正米】① 取引所で実際に取引される米。また,その取引。実米。 ↔空米(くうまい)

② 本物の米。現物の米。「―を年に二百俵貰ふて」〈福翁自伝•諭吉〉』

「帳合米」、『ちょうあいまい ちやうあひ― 【帳合い米】江戸時代,大坂堂島の米市場で行われた米売買の方法。売買と同時に米の受け渡しをすることなく帳面の上だけで売買する』

「虎市」、『とらいち‐そうば‥サウば【虎市相場】 江戸時代、大坂の堂島米市場で行なわれた米相場の一つ。百石以下の取引ができなかった帳合相場に対し、十石以上ならどれだけでも扱えるところに利点があった。初め堂島新地の竹藪の中で行なわれたところからともいう。虎市。』

 絵の右上隅、出入四ツ切とある札のところに立つ丁髷兄さん(丁稚小者ではなさそう)、この出入四ツ切の意味に悩みました。よくわからないので推理するしかありません。ここの出入り口は夜の四ツ、つまり22時頃までしかダメですよという意味なのかなと、う〜ん🤔・・・


 

2026年5月10日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その18

P34P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

薩 摩大 嶋 黒 砂糖

さつま於ゝしまくろさとう

さつまおおしまくろさとう


甘 蔗 と云 草 俗 尓砂糖 黍 と云 莖 ハ竹 尓

可んしや           きび   くき

かんしゃというくさぞくにさとうきびというくきはたけに


似て葉ハ黍 尓似多り実奈し古 根ゟ 苗 を

    きび

にてははきびににたりみなしふるねよりなえを


生  春゛此 葉を取 てよくたゝきく多゛きて煎 じつめ石 灰 を加 へてか多め

しょうず このはをとりてよくたたききだ きてせんじつめせっかいをくわえてかため


多るを黒 砂糖 と須百  姓  多 くこれをつくりて年 貢尓納 む菓子を

                          袮んぐ

たるをくろざとうとすひゃくしょうおおくこれをつくりてねんぐにおさむかしを


製 春るに専   これを用 由唐 より王多る黒 砂糖 よりハ

     もつ者ら

せいするにもっぱらこれをもちゆとうよりわたるくろざとうよりは


色 も黒 く味 阿しゝ唐

いろもくろくあじあししとう


尓て白 砂糖 氷  砂糖 をこしら由る毛皆 此 草 也

にてしろざとうこおりざとうをこしらゆるもみなこのくさなり


日本 尓てハ黒 の外 ハ白 ハ不出来

にほんにてはくろのほかはしろはできず

(大意)

(補足)

「甘蔗」、『かんしょ【甘蔗】〔「かんしゃ(甘蔗)」の慣用読み〕サトウキビの別名』。この歳までサトウキビは「かんしょ」だとおもってました。

 いちいち指摘しなくてもよいとはわかってはいるのですけど、一番左端の男の人の座り方、腰から下が前向きに見えます。気になって気になって・・・

 ちょうど頁をまたいでしまっている、絞り器。いろいろな作業に使われていて、日本の伝統的な器具だとおもいます。

 ちょうど今、我が家では白砂糖ではなく、茶色いサラサラの「沖縄の砂糖」を使っています。ヨーグルトにかけたり、トーストのとけたバターの上にかけたり、おいしいです。

 

2026年5月9日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その17

P32P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

塩 浜

し本者ま

しおはま


海 邊の鹵 地をけづり能 奈らして平  可奈らしめ海 より

    可多           太いら

うみべのかたちをけずりよくならしてたいらかならしめうみより


うし本をくミてこれへま起可けよく日尓可ハ可しさらへ

うしおをくみてこれへまきかけよくひにかわかしさらえ


尓て可き奈らしよくされたる時 桶 へいれて水 尓たれ其 水 を

にてかきならしよくされたるときおけへいれてみずにたれそのみずを


釜 尓うつして松 葉尓てたく也 海 より潮  をくむ皆 女  の所 作

                    うし本

かまにうつしてまつばにてたくなりうみよりうしおをくむみなおんなのしょさ


なりあるひハ所  尓よりて樋 を可けて潮  を塩 濱 へ取 も阿り

             と由

なりあるいはところによりてとゆをかけてうしおをしおはまへとるもあり


諸 国 海 邊より多 く塩 出るといへ共 播 州  赤穂 の塩 を名 物 と須

                          あこ

しょこくうみべよりおおくしおでるといえどもばんしゅうあこうのしおをめいぶつとす

(大意)

(補足)

「鹵地」、『鹵地(ろち)とは、塩分を多く含み、作物が育たないやせた土地(塩鹹地:えんかんち)を指す言葉です。天然の塩が産出する土地、特に内陸部の荒れ地を指す場合が多く、転じて「不毛の地」という意味でも用いられます。「鹵」は「塩」を意味し、古代中国では特に西方の内陸部にある塩分を含んだ土地を指した』。用例は「鹵獲(ろかく)」など

「さらへ」、『さらえ さらへ【杷・杈・欋】→さらい(杷)に同じ』『木または竹製の農具。柄が長く,先に歯のついた熊手(くまで)のような形のもの。木製のものは土をかきならすのに用い,竹製のものはごみ・落ち葉などをかき集めるのに用いる』。一番下の女の人が肩にしょっているT字のものがそれ。

 砂の上に塩水をまいて日に干してあるのを細かいツブツブで描いてあり、これはこの絵師の得意技なのですけど、彫師の腕の見せ所です。格子で掘るより大変そうです。

 職人たちの着物の柄が皆異なっていますけど、こんなのはどうってことないのかもしれません。


 

2026年5月8日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 坂 瓦  屋町 瓦  師

    可ハらや

おおさかかわらやまちかわらし


大 坂 東  高 津西 高 津の地青 土 尓して性  よし

おおさかひがしたかつにしたかつのちあおつちにしてしょうよし


瓦  尓やきて色 うつくしくつよし古  へ仁 徳 天 王 の

かわらにやきていろうつくしくつよしいにしえにんとくてんのうの


旧  都尓て「高 きや尓の本゛りて見れバ个ふり多川民 の可満どは

きゅうとにて たかきやにのぼ りてみればけぶりたつたみのかまどは


賑  ひ尓个りとよまセ給 ふ古跡 尓て今 も瓦  やの煙  多え須゛賑  し

                                  尓ぎハ

にぎわいにけりとよませたもうこせきにていまもかわらやのけむりたえず にぎわし


聖  徳 太 子天 王 寺建 立  の時 も此 地の土 をとらせて

しょうとくたいしてんのうじこんりゅうのときもこのちのつちをとらせて


瓦  と奈さし免

かわらとなさしめ


給 ふと也 此 所  の瓦  日本 最 上  尓て

なもうとなりこのところのかわらにほんさいじょうにて


諸 国 の城 館  尓も皆 此 瓦  を用 ひらる

     しろや可多

しょこくのしろやかたにもみなこのかわらをもちいらる

(大意)

(補足)

「青土」、「青」のくずし字はどうも苦手です。色は虹の7色赤橙黄緑青藍紫を基本としてくずし字を学びますが、青は毒のようにみえてしまって、う〜ん🤔。

「可満どは」、この「は」は変体仮名「波」かもしれません。

 左から二人目の職人さんの脚、なんとも奇妙な構え、腰から下が前を向いているようです。部屋の外には薪や枝葉が山盛りです。

 

2026年5月7日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

豊 後 河 太郎

ぶんごの可王


形  五六 歳 の小  児のごとく遍 身尓毛阿りて猿 尓似て眼春る

                 そうミ

かたちごろくさいのしょうじのごとくそうみにけありてさるににてめする


どし常 尓濱 邊へ出て相撲 を取 也 人 を恐 るゝこと奈しされ

           すもう

どしつねにはまべへでてすもうをとるなりひとをおそるることなしされ


共 間ぢ可くよれバ水 の中 に飛 入 也 時 としてハ

どもまじかくよればみずのなかにとびいるなりときとしては


人 にとりつきて水 中  へ引 入レて其

ひとにとりつきてすいちゅうへひきいれてその


人 を殺 春事 阿り河 太郎 と相撲 を取 多る人 ハ

ひとをころすことありかわたろうとすもうをとりたるひとは


たとへ勝 ても正  氣を失  ひ

たとえかちてもしょうきをうしない


大 病  をうくると云 志きミ能抹 香 水 尓てのましむれバ

                まつ可う

たいびょうをうくるというしきみのまっこうみずにてのましむれば


正  氣尓成 と也 河太郎

しょうきになるとなりかわたろう


豊 後 国 尓多 し其 外 九  州  の中 所  々  尓有 関 東 尓多 し

ぶんごのくににおおしそのほかきゅうしゅうのうちところどころにありかんとうにおおし


関 東 尓てハ河 童  と云 也

       可ハ王らハ

かんとうにてはかわわらわというなり

(大意)

(補足)

「开」+「久」のフォントはありませんでした。

「志きミ能抹香水尓てのましむれバ」、『シキミ(樒)はアニサチンなどの毒を含み、特に猛毒である果実が中華料理で多用される八角に似ているため、誤食されやすい危険な有毒植物である』ので、この文章を信じてはいけません。

 川の土手に流れ留めの杭をつけた籠があります。川漁にも見えますが、これは土手の擁護のためで、中に石がはいっているはずです。

 河童(かっぱ)は明治になっても、広く信じられている生き物でした。昔は河で命を失う人たちが多く、亡骸が行方不明になり、それらは河童の仕業と信じられていたことと無関係ではないとおもいます。

 

2026年5月6日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

天 王 寺干 蕪

     本し可ぶら

てんのうじほしかぶら


摂 州  東  成 郡 天 王 寺領  内 かぶらの名 産 也 百  姓

せっしゅうひがしなりぐんてんのうじりょうないかぶらのめいさんなりひゃくしょう


おほく可ぶらを植 て奈ま奈るをも市 尓出 須

                   い多

おおくかぶらをうえてなまなるをもいちにいだす


然 し専   本し可ぶらとと奈して是 を賣 極 月 より正  月

し可 もつ者ら

しかしもっぱらほしかぶらととなしてこれをうるごくげつよりしょうがつ


までの間  ハ竹 垣 を高 くこしらへて是 を本春也 又 此 を所  木津

までのあいだはたけがきをたかくこしらえてこれをほすなりまたこれをところきづ


今 宮 といふあ多り専   干 蕪 を出す木津今 宮 のかぶらハ真 丸 く

                                まんまる

いまみやというあたりもっぱらほしかぶをだすきづいまみやのかぶらはまんまるく


天 王 寺ハ少 し細 長 し木津今 宮 ハ天 王 寺能可ぶら尓ハ及 バ須゛

         本そ

てんのうじはすこしほそながしきづいまみやはてんのうじのかぶらにはおよばず

(大意)

(補足)

「極月」、12月の異名。1月から11月まで、それぞれきいたこともないような異名がついています。

「宮」のくずし字はよくでてきて特徴的。「宀」or「亠」+「五のくずし字」のような形です。

 この本の絵師、長谷川光信は人物や生き物の描写はとんでもなく下手くそですが、細かいところの描写は執拗で得意なようです。ここでは竹竿に干してある蕪、まるで蕪ひとつを判子にしたものをポンポンポンと竹竿にそって押していったように(ほんとうにそうしたかも)描いています。

 何もかも手作業だけしかなかった時代、今でも基本的農作業は同じです。

 干蕪はおじやおかゆにいれたらおいしそう♫

 

2026年5月5日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 刕  平 野飴

     ひらのあめ

せっしゅうひらのあめ


大 坂 天 王 寺の東  平 野ノ町 より出る飴 名 物 也

                       あめ

おおさかてんのうじのひがしひらののまちよりでるあめめいぶつなり


風 味よし小  児尓

ふうみよししょうじに


用 ひて毒 奈し薬  地黄 煎 奈り◯飴 の製 法 ハもち米 をこハ

        く春りぢ王うせん

もちいてどくなしくすりじおうせんなり あめのせいほうはもちごめをこわ


めし尓むし米 一 升  尓水 一 升  のつもり尓て

めしにむしまいいっしょうにみずいっしょうのつもりにて


右 の強 めしを水 尓つけ置 大 麦 の

   こハ

みぎのこわめしをみずにつけおきおおむぎの


もやしの粉 米 一 升  尓六 合 のつもりを以 て

もやすのこなこめいっしょうにろくごうのつもりをもって


右 のめし能上 尓ふり可け棒 尓て

みぎのめしのうえにふりかけぼうにて


よくつきませ翌  日布 袋  尓てこれをこし釜 尓入 てぬるき火尓て袮り

      あくる

よくつきまぜあくるひぬのぶくろにてこれをこしかまにいれてぬるきひにてねり


つめる也 袮り前 可多なるハ志るあめ也 袮りつめ多るを地黄 煎 といふ

つめるなりねりまえかたなるはしるあめなりねりつめたるをじおうせんという

(大意)

(補足)

「地黄煎」、『じおうせん ぢわう―【地黄煎】① 地黄の根を煎じた汁。薬用。② 地黄を加えて練った水飴(みずあめ)。くだり飴。「摺粉に―入れて焼(たき)かへし」〈浮世草子・世間胸算用3〉』

 浅草に見世前でトントコトントコ拍子よく飴を切って販売している飴屋さんがあります。どうやらその起源がこの平野飴だそうです。

 近所の二人組がお土産に買ったのでしょうか、飴を経木(きょうぎ)に包んでいます。

 

2026年5月4日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

漆   製 法

うるしのせい本う

うるしのせいほう


漆  の木尓鎌 尓て切 目をつくれバ其 切 目より汁 ふき出るを竹

うるしのきにかまにてきれめをつくればそのきれめよりしるふきでるをたけ


遍゛ら尓てこそげ取 也 こそげ入れるうつ者物 尓茶 の濃きせんし汁 を

べ らにてこそげとるなりこそげいれるうつわものにちゃのこきせんじじるを


入 くるミ能油  を加 えて其 上 へ漆  をこそげいるれバ

いれくるみのあぶらをくわえてそのうえへうるしをこそげいるれば


漆  やけ春゛してよしといへり

うるしやけず してよしといえり


凡  漆  を取 尓ハ至  て本そき木ハ汁 奈し

およそうるしをとるにはいたってほそききはしるなしまたかくべつのろうぼくも


又 格 別 の老 木 も王るし和州  吉 野

またかくべつのろうぼくもわるしわしゅうよしの


紀州  熊 野うるし能名 所 也 其 外 諸 国 より出 うるし能木の実ハ

きしゅうくまのうるしのめいしょなりそのほかしょこくよりでるうるしのきのみは


取 て蝋 尓春る也

とりてろうにするなり

(大意)

(補足)

 国産漆を維持または増産に向けて植林をすすめているそうですが、現状はほぼ100%中国産です。国産漆は目玉がとびでるほどに高価です。

 日本には昔から漆のように日本の気候に適したすぐれた塗料が使われていました。漆や柿渋や米糠油などなど。しかしウレタンなど化学塗料が大量に廉価で(しかもそのれらの性能はすぐれていて)輸入され出回ると、その手軽さからあっというまに、国産塗料を駆逐してしまいました。

 化学塗料が安価に大量に販売されている中にあって、なんとか自然塗料を絶えさせないためには、塗料の使い分けを積極的にすすめていくしかないとおもいます。

 当時はこの画のように小さな切れ目を入れて汁をとっていたようでうが、その後は幹に螺旋になるように切れ目を入れていたようです。

 

2026年5月3日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その11

P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

京  西 陣 織 屋

   尓しぢんおりや

きょうにしじんおりや


京  都尓て織 出須織 物 甚  多゛功 奢 尓て唐 織 尓まけ須゛

                   可うしや

きょうとにておりだすおりものはなはだ こうしゃにてからおりにまけず


中 尓も羽二 重ハもろこし尓もまさりてこまや可也 其 品ゝ

なかにもはぶたえはもろこしにもまさりてこまやかなりそのしなじな


大概   緞 子 繻 珍  金 襴  縮 緬  紗綾  綸 子

 可゛い どんす しゆちん きんらん ちりめん さあや 里んず

たいがい どんす しゅちん きんらん ちりめん さあや りんず


繻 子 毛 織 紋絹   光後 茶宇  光絹   竜  紋  熨斗目

し由す もうる もん个ん ぬめ ちやう 者ぶ多へ 里 うもん のしめ

しゅす もうる もんけん ぬめ ちゃう はぶたえ りゅうもん のしめ


天鵞 絨 錦   綾  紗  茶 丸  白 呂 兜羅綿

びろうど 尓しき あや しや ちやまる しろろ とろめん

びろうど にしき あや しゃ ちゃまる しろろ とろめん


片 色  練  絵絹  篩  絹

可多いろ 袮り ゑきぬ ふるひきぬ

かたいろ ねり えきぬ ふるいきぬ


高 機

た可者多

たかばた


金 緞 今

きんいり

きんいりいま


織 の類  此 機

おりのたぐいこのはた


尓ておる也 空

      そら

にておるなりそら


引 とて上 の方

びきとてうえのほう


尓て地紋を

にてじもんを


あやどる奈り

あやどるなり

(大意)

(補足)

「空」のくずし字はすっかり忘れていたのか、はじめてのような気もします。

「空引」、『空引機(そらびきばた)は、複雑な紋織物を織るために古代から明治時代まで使われた日本の伝統的な手織機です。高機(たかばた)の上部に鳥居状の大きな枠(綜絖:そうこう)を持ち、紋を出すために糸を引き上げる操作が特徴です。ジャカード機が普及する前に、西陣織などで用いられた高度な機です』とAIの概要です。

 説明文にもあるように、小僧が上にのって紋を出しているようです。機織りの職人と二人一組で織り出すのでしょうか。

 緯糸をバンバンと打ち込む大きな櫛みたいのは「筬(おさ)」というそうです。それを吊り下げている上部のところが位置を変えられるように出っ張りが6個あるのがわかります。

 職人の膝下に、織りだしている生地の柄ができあがりつつあります。

 膨大な張ってある経糸ととおして、向こう側が透けて見える箇所があって、彫師、摺師の腕の見せ所です。

 とんでもなく精巧な織り機です。

 

2026年5月2日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その10

 

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

江戸浅 草 紫菜

  あさくさのり

えどあさくさのり


此 のり元ト武州  品 川 の海 尓生  春゛品 川 の町 尓て製 多るを

こののりもとぶしゅうしながわのうみにしょうず しながわのまちにてせいたるを


品 川 のりと云 浅 草 のりハ品 川 尓て取 多るを此 所  尓て

しながわのりというあさくさのりはしながわにてとりたるをこのところにて


製 し多る也 浅 草 のり仕上ケ宜 しくきよら可尓して名 物 也 

せいしたるなりあさくさのりしあげよろしくきよらかにしてめいぶつなり


其 外 下 総 の

そのほかしもうさの


葛西 のり出雲 の十六島  皆 々 名 物 也

かさい      うつぶるい

かさいのりいずものうっぷるいみなみなめいぶつなり


猶 餘国 よりも多 く出ツ通 して紫 菜 と云

                 あまのり

なおよこくよりもおおくいずつうじてあまのりという


又 河 苔 と云 も有 駿 府冨士川 より出るを冨士のりと云

  可ハのり

またかわのりというもありすんぷふじがわよりでるをふじのりという


下 野 日 光 山 の川 ゟ

しもつけにっこうさんのかわより


出るを日 光 のりと云 肥後の菊 地川 ゟ 出ルを菊 池のり

でるをにっこうのりというひごのきくちがわよりでるをきくちのり


同 国 水 前 寺のり何 れも河 のり也

どうこくすいぜんじのりいずれもかわのりなり


品 川 の沖 尓て取

しながわのおきにてとる


のりのち起゛れて

のりのちぎ れて


磯 へ打 よするを

いそへうちよするを


子共 の仕事 尓

こどものしごとに


是 を春くひ取 て

これをすくいとりて


浅 草 能商  人 へ賣 也

あさくさのしょうにんへうるなり

(大意)

(補足)

 「のり」はもちろん「海苔」ですが、ここの「紫菜」は当て字でも雰囲気があります。

「あまのり」とも読ませています。

「水前寺」のくずし字がすぐに読めたら、もう超初心者卒業まじか♫

 まだ養殖は行われてなかったようで、すべて天然海苔でした。

 

2026年5月1日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

堺  庖  丁

さ可ひ本゛うちやう

さかいぼ うちょう


泉 州  堺  の津山 上 文 珠 四郎 庖 丁  鍛冶の名 人 也 正  銘

せんしゅうさかいのつやまがみもんじゅしろうぼうちょうかじのめいじんなりしょうめい


黒 打 と云 刃金 のき多ひよく切 あぢ格 別 よし出刃

       者可年                で者゛

くろうちというはがねのきたいよくきれあじかくべつよしでば


薄 刃 指 身庖 丁  ま奈箸  た者゛こ庖 丁

うす者゛さしミ       者゛し

うすば さしみぼうちょうまなば したば こぼうちょう


何 れも皆 名 物 也◯荘 子尓いハく

            そうじ

いずれもみなめいぶつなりそうじにいわく


庖 丁  能 解 牛  庖 丁  ハもと料  理人 の名也

     よくとくうしを

ほうちょうよくとくうしをほうちょうはもとりょうりにんのななり


其 人 つ可ひ多る刃物 奈れバ

         者

そのひとつかいたるはものなれば


とてつゐ尓庖 丁  を刃物 の名と奈せりむ可し何 人 可さ可しくもろこし能

           者

とてついにほうちょうをはもののなとなせりむかしなんびとかさかしくもろこしの


故事をとりて名付 そめけん今 ハ俗 尓通 して其 名ひろま礼り

こじをとりてなずけそめけんいまはぞくにつうじてそのなひろまれり


(大意)

(補足)

「正銘」、『しょうめい しやう―【正銘】〔由緒正しい銘がある意〕ほんもの。「正真―のダイヤモンド」』

「庖丁解牛」、『『荘子』養生主篇に登場する寓話「庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)」は、料理人の丁(てい)が文恵君(ぶんけいくん)のために、牛の骨と肉の隙間を見極めて自在に牛を解体する話。技術を超えた「道(どう)」の境地に達することで、刃を傷めることなく、余裕を持って物事を成し遂げ、生を養う(養生)知恵を伝えている』とAIの概要より。

 看板は「黒折 山上文殊四郎 正銘」。

 

2026年4月30日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

住 吉 浦 汐 干

すミよしうらし本ひ

すみよしうらしおひ


三 月 朔 日 ごろゟ 十 日比 まで大 汐 尓てさし引 多 し

さんがつついたちごろよりとおかころまでおおしおにてさしひきおおし


取 分 三 月 三 日ハ

とり王けさんがつみっかは


潮 干とて貴賤 群 集 する也 堺  住 吉 浦 

しおひとてきせんぐんじゅするなりさかいすみよしうら


凡  三 里者゛可りひ可多と

およそさんりば かりひがたと


成 見 物 の男 女 沖 に出て蛤   を取 也

           おき

なるけんぶつのだんじょおきにでてはなぐりをとるなり


又 所  の人 ハ多 く取 て見 物 の人 へも賣 奈り

またところのひとはおおくとりてけんぶつのひとへもうるなり


春べて潮 干ハ入 海 の分 ハ何 方 も同 し事 也

すべてしおひはいりうみのぶんはいずかたもおなじことなり


然  共 堺  浦 住 吉 浦 の塩 干其 名高

しかれどもさかいうらすみよしうらのしおひそのなたか


し尼  崎 浦 の塩 干甚   よし砂 海 にて貝 類 を取 こと自由 也

しあまがさきうらのしおひはなはだよしすなうみにてかいるいをとることじゆうなり


江戸にてハ品 川 の汐 干

えどにてはしながわのしおひ


尓ぎや可奈り此 浦 尓ハ比目魚多 くして塩 の多まり尓居るを

            ひらめ

にぎやかなりこのうらにはひらめおおくしてしおのたまりにいるを


見 物 の人 取 てたのしミと須

けんぶつのひととりてたのしみとす

(大意)

(補足)

「さし引」、『② 増減すること。㋐ 潮の満ち干。㋑ 体温の上がり下がり。』

 この本が出版されたのが宝暦4年で『1754年(宝暦4年)の旧暦3月3日は、現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると1754年4月24日』なので、ちょうど今頃となります。蛤をとって、そのままひな祭りの蛤のお吸い物にしたのかもしれません。

 人の多さもさることながら、着物の柄がほとんどことなっているのに驚かされます。にているものもどこか違っています。

 松林にかくれて、大きな鳥居がみえます。一人ひとりを見ているとあきませんね。

 

2026年4月29日水曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

池 田 炭

いけ多゛すミ

いけだ すみ


摂 州  池 田炭 ハ一 倉 と云 里 尓て檞  尓てやきて池 田能市 尓

           ひとくら       くぬき

せっしゅういけだすみはひとくらというさとにてくぬぎにてやきていけだのいちに


出須也 此 炭 竈  ハ地を本りて其 上 尓むろを造 り跡 先 に

だすなりこのすみかまどはちをほりてそのうえにむろをつくりあとさきに


口 をあけ中 へくぬ木をつミ入 てやく也 やき可げんを見てふ多を春るなり

くちをあけなかへくぬぎをつみいれてやくなりやきかげんをみてふたをするなり


ふ多おそ个れハ炭 損 じてあしく又 早 个れバふ春本゛りて阿しゝとかく

ふたおそければすみそんじてあしくまたはやければふすぼ りてあししとかく


ふ多の可げん大 事也 凡  焼 炭 諸 国 より多 く

ふたのかげんだいじなりおよそやきすみしょこくよりおおく


出 といへ共 池 田を最 上  と須

           さい

でるといえどもいけだをさいじょうとす

(大意)

(補足)

「」、『ふすぼ・る 【燻る】① 燃えないで煙がたつ。くすぶる。「明王の御頂より,猛火―・りいで,五体をつつめたまふ」〈曽我物語7〉② (煙などのために)すすける。すすけて黒ずむ。「以ての外に―・りたる持仏堂にたてごもり」〈平家物語3〉』

 調べてみると、現在でも生産されていました。お茶炭で有名なんですね。切り口が菊の花のように美しいのも特徴なようで、ここの絵でも切り口に蓮の穴のように白く見えています。

 

2026年4月28日火曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

讃 岐平 家蟹

さぬきへいけ可尓

さぬきへいけがに


蟹 の甲 尓目鼻 口 阿り人 の面  のごとし俗 説 尓平

可尓 かう  者奈       おもて

かにのこうにめはなくちありひとのおもてのごとしぞくせつにへい


家の一 門 讃 岐の国 八嶋 の浦 尓て源   九郎 義 経 尓

けのいちもんさぬきのくにやしまのうらにてみなもとくろうよしつねに


せめ本ろぼさる其 怨 㚑  かにと成 多るとて平 家蟹 といふ愚案

         おん里やう

せめほろぼさるそのおんりょうかにとなりたるとてへいけがにというぐあん


春゛る尓此 蟹 の類 諸 国 尓阿り播 州  尼  崎 尓武 文 蟹 と云 有

                                         多けぶん

す るにこのかにのるいしょこくにありばんしゅうあまがさきにたけぶんかにというあり


秦  の武 文 の怨 㚑  奈りと云 又 嶋 村 蟹 といふ有 豊 後長 門尓ハ

者多゛

はだ のたけぶんのおんりょうなりというまたしまむらかにというありぶんごながとには


清 経 蟹 と云 皆 俗 説 奈り中美尓も鬼 蟹 とて此可尓阿り

きよつ年             うら

きよつねかにというみなぞくせつなりうらにもおにがにとてこのかにあり


讃 岐圓 座和柔  尓して奇麗 なりこの国 の名 物 也

   ゑんざやハら可   きれい

さぬきえんざやわらかにしてきれいなりこのくにのめいぶつなり

(大意)

(補足)

「中美」、『場所:「中美(なかみ/なかうら)」という地域(特定の沿岸部)。

内容: 中美にもこの「鬼蟹」が存在し、平家の怨霊が宿っているという伝承がある』、AIの概要でした。

 平家蟹が、蕪や大根のときもそうでしたが、巨大!

漁師の足元の網の目の細かさ、また円座の縄のより、これを彫ったのかとおもうとクラクラしてきます。

 

2026年4月27日月曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

樟  脳 製 法

しやうのうせい本う

しょうのうせいほう


く春能木と云 毛の二品 阿り樟 ハ木の心 赤 黒 く香  徒よし楠 ハ香

              く春   しん

くすのきというものにしなありくすはきのしんあかぐろくかおりつよしくすはかおり


すく奈し木の心 赤 黒 可ら須゛是 尓ハ大 木 多 しくさりてハ岩 と

すくなしきのしんあかぐろからず これにはたいぼくおおしくさりてはいわと


成 也 樟  脳 ハ樟 の根を者徒り取 て其 こけらを

          くす

なるなりしょうのうはくすのねをはつりとりてそのこけらを


釜 尓て煎 春゛る也 小屋の内 尓

かまにてせんず るなりこやのうちに


廿   四釜 を可けニ通  尓する也 一 通  尓十  二釜 づゝ

にじゅうしかまをかけにとおしにするなりひととおしにじゅうにかまずつ


せ奈可合 せ尓して間  三 尺  者゛可り

せなかあわせにしてあいださんじゃくば かり


あけ其 間  を往 来 春るやう尓こしら由る也 

あけそのあいだをおうらいするようにこしらゆるなり


釜 のふ多ハ鉢 也 釜 と鉢 との間  を

かまのふたははちなりかまとはちとのあいだを


土 尓ぬりていきのおざるやう尓する也 

つちにぬりていきのおざるようにするなり


其 ふ多へたまり多る露 則   樟  脳 奈り

そのふたへたまりたるつゆすなわちしょうのうなり


釜 ぬししやうのう改  むるてい

かまぬししょうのうあらたむるてい

(大意)

(補足)

 説明文には一列12釜でそれが二列で24釜をかけるとあります。しかし絵では一列に5釜で、そのおくに同じ(ものとおもわれる)一列があるようなので全部で10釜になります。

 わたしが何か勘違いしているのかもしれません。う〜ん🤔・・・

 

2026年4月26日日曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

越 前 奉 書 紙

    本うしよ

えちぜんほうしょし


奉 書 余国 よりも出れども越 前 尓及 ぶ物 奈し

ほうしょよこくよりもでれどもえちぜんにおよぶものなし


越 前 奉 書 其 品 多 し・大 廣・御前 廣・本 政

                         本んまさ

えちぜんほうしょそのしなおおし おおひろごぜんひろほんまさ


・間 政 ・上  判・真草 ・半草  ・刮 ・外 口・大 鷹・中 た可・小引

 あいまさ      まくさ 者んくさ こそ

 あいまさ じょうはんまくさ はんくさ こそ そとぐちおおたかなかたか こびき


・つや奈し・雲 紙・尺 長 ・間尓あひ・鳥 の子・薄 やう・中 やう

          たけ奈可

 つやなし くもがみたけなが まにあい とりのこ うすよう なかよう


何 れも紙 の性  よくつや有 てつよし凡  日本 より紙 お本く出る中 尓

いずれもかみのしょうよくつやありてつよしおよそにほんよりかみおおくでるなかに


越 前 奉 書 美濃ノ奈をし関 東 の西 ノ内 程 村 

                        本ど

えちぜんほうしょみののなおしかんとうのにしのうちほどむら


長 門ノ岩 国 半 紙尤   上  品 也

ながとのいわくにはんしもっともじょうひんなり

(大意)

(補足)

「奉書」「越前奉書」、「書」のくずし字がことなっていますが、どちらも「書」。

「西ノ内」、『にしのうちがみ【西の内紙】和紙の一。コウゾで漉(す)いたやや厚手のもの。茨城県常陸大宮市西野内で産した。傘紙・版画用紙などに用いられ,明治時代に投票用紙に指定され知られた』

「程村」、『ほどむらがみ【程村紙】楮(こうぞ)で作った厚手上質の和紙。栃木県那須烏山市(下野国程村)で産する。西の内紙に似る。明治期には輸出もされ書画の印刷用に用いられた』

「岩国半紙」、『いわくにばんし いはくに―【岩国半紙】岩国地方に産する,コウゾを原料とした上質の半紙。天正年間(1573〜1592)につくり始められた。岩国紙(いわくにがみ)』

「美濃ノ奈をし」、『みのがみ【美濃紙】楮(こうぞ)で漉(す)いた和紙。古く奈良時代から用いられた。美濃の武儀郡(現在の美濃市)から多く産出され,中世以降全国に普及。紙質は丈夫で厚く虫食いにも強く,文書の写し・書状の包み・障子紙などに用いる。書院紙。直紙(じきし)。みの』

 おかしな脚の構えの絵もなく、作業工程や出荷の様子も丁寧に描かれています。ここに描かれている作業をするまでが実は大変な時間と手間がかかっています。詳しくはこのBlogでもアップしてある『紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)』をご覧ください。

 わたしの在住している地域で有名な和紙に『埼玉県小川町周辺で生産される「小川和紙」は、1300年の歴史を持つ伝統的な手漉き和紙です。特に楮(こうぞ)100%の「細川紙(ほそかわし)」は、強靭で毛羽立ちにくい最高級の障子紙や書道・工芸用として知られています』があります。

 

2026年4月25日土曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

越 前 福 井石 橋

ゑちぜんふくゐいし者し

えちぜんふくいいしばし


橋 半 分 は石 尓てつくり半 分 ハ木尓て徒くれ里甚

はしはんぶんはいしにてつくりはんぶんはきにてつくれりはなはだ


奇観  奈り橋 づめ尓当 国 の名 物 とて蓑 笠 を

きくハん                  ミの可さ

きか んなりはしずめにとうごくのめいぶつとてみのかさを


賣 商  人 有 ◯凡  石 橋 ちいさきハ諸 国 尓阿れ共 大 奈るハまれ也

うるしょうにんあり およそいしばしちいさきはしょこくにあれどもだいなるはまれなり


京  三 條  の大 橋 ハ橋 杭 を石 尓てせらる是 太 閤 秀 吉 公 

              者しくい

きょうさんじょうのおおはしははしくいをいしにてせらるこれたいこうひでよしこう


増 田

ました


右衛門  ?  長 盛 に命 じて奉行  たらしむ

うえもんのじょうながもりにめいじてぶぎょうたらしむ


則   ぎ本゛うし由尓銘 阿り

           めい

すなわちぎぼ うしゅにめいあり


又 甲 州  尓奇異の石 橋 あり徂徠 先 生 の峡  中  紀行 尓見え多り

        きゐ       そらい

またこうしゅうにきいのいしばしありそらいせんせいのきょうちゅうきこうにみえたり

(大意)

(補足)

「京三條の大橋ハ橋杭」、ふたつの「橋」の「呑」の部分がことなっています。

「奇異」、「異」は「己」+「大」。

「ぎ本゛うし由」、『ぎぼうしゅ【擬宝珠】→ぎぼし(擬宝珠)1に同じ』

「峡中紀行」、『江戸中期の儒学者・荻生徂徠が宝永3年(1706年)に甲斐国(山梨県)を訪れた際の紀行文』

 今までとは違う絵師が描いたのではないかとおもうくらい(実際、違うかもしれません。脚の構えが今までのものとはことなっています)の出来栄えです。

橋の中央は石ではなく木になっているのがわかります。橋詰ではなるほど箕や笠を売っています。いろいろな身分の人が描かれています。水量も豊富。

 

2026年4月24日金曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

仙 臺  馬 市

せん多゛いむまいち

せんだ いむまいち


毎 年 三 月 上  旬  より四月 中  旬  まで

まいとしさんがつじょうじゅんよりしがつちゅうじゅんまで


仙 臺 芭 蕉  の辻 ゟ

    者゛せを

せんだいば しょうのつじより


国 分 町 上 中 下 町 と三 段 尓分 ちて一 日 可゛ハり尓

こくぶんまちかみなかしもまちとさんだんにわかちていちにちが わりに


馬 市 の行  事を

うまいちのぎょうじを


徒とむ市 者じまりて五七 日 ハ江府馬 寮  より宮 使来 りて

つとむいちはじまりてごしちにちはえふうまりょうよりぐうしきたりて


御 物 を撰 む其 次 ハ

ぎょぶつをえらむそのつぎは


国 司の乗 馬 小荷駄を撰 む其 後 ハ朝 五 ツより

こくしののるうまこにだをえらむそののちはあさいつつより


暮 七 ツ時 を限 りて賣買

くれななつどくをかぎりてうりかい


市 阿り馬主 馬 を引 来 れハ買 主 これを見て

いちありばぬしうまをひききたればかいぬしこれをみて


仲 買 尓頼 ミて其 阿多ひを

なかがいにたのみてそのあたいを


定 むる也 仲 買 馬主 を打  擲  して其 阿たひの

              ちやうちやく

さだむるなりなかがいばぬしをちょうちゃくしてそのあたいの


高 下を定 め賣 買 春ること也

こうげをさだめうりかいすることなり


中 買 共 馬主 をせ可゛ミて直段 まけさせる 馬主

なかがいどもばぬしをせが みてねだんまけさせる ばぬし


馬 買 主  行  司帳  尓とむる 仲 買 者゛んぞう

うまかいぬし ぎょうじちょうにとむる なかがいば んぞう

(大意)

(補足)

 7頭もの馬を登場させて市の喧騒の様子を描いています。牛みたいな柄の馬もいます。「仙台馬市」で調べるとたくさんヒットして、江戸時代でも全国的に有名な馬市であったようです。

 建物が独特です。 

2026年4月23日木曜日

日本山海名物圖繪巻之三 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

日 光 膳 椀

    ぜん王ん

にっこうぜんわん


下 野  国 日 光 山 江戸ゟ 三 十  一 里阿り此 所  より出る

しもつけのくににっこうさんえどよりさんじゅういちりありこのところよりでる


椀 膳 堅 地尓てつよし雑 用 尓便 りありとて

わんぜんかたじにてつよしざつようにたよりありとて


諸 人 賞  翫 する也 ◯心越禅師題詞 刀鋸刪出方圓器。

しょじんしょうかんするなり


膠漆塗来斤玉光。分与世間通貨宝。太平風雨拝君王

(大意)

(補足)

「心越禅師」、『東皐心越(とうこう しんえつ、崇禎12年8月21日(1639年9月18日) - 元禄8年9月30日(1695年11月6日))は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。詩文・書画・篆刻など中国の文人文化、独立性易とともに日本篆刻の祖とされる』。

「雑用尓便りありとて」、う〜ん🤔・・・意味がいまひとつ不明です。

 漢文はDeepLが、『刀と鋸で円形の器を削り出し 漆を塗れば玉のような輝きを放つ

 これを世の通貨として分かち合い 太平の世、風雨の中、君王に拝礼する』と翻訳しました。

 手動の轆轤(ろくろ)が目を引きます。紐をかけて手で回しますが、脚で回すものもありました。隣の部屋で眼鏡をかけた方は右手にヘラをもち椀に漆を塗っています。その奥の女性は食器棚のような箪笥に塗りたての漆椀をおさめていますが、これは漆風呂といって、漆を乾かす箱です。

 ここでは3つの工程を描いていますが、実際はこの数十倍以上の時間と工程がかかります。

 

2026年4月22日水曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その17

P32 国文学研究資料館蔵

(読み)

尾張 大 根

お者り多いこん

おわりだいこん


大 根 甚  多大 き尓して風 味かろく大 上  品 也

              ふうミ

だいこんはなはだおおきにしてふうみかろくだいじょうひんなり


日本 尓天大 根 の㐧 一 奈るへし江戸ねりま

にほんにてだいこんのだいいちなるべしえどねりま


大 根 大 きさ尾張 大 根 尓おとら須゛然  共 風 味ハ尾張 より毛

だいこんおおきさおわりだいこんにおとらず しかれどもふうみはおわりよりも


者る可尓於とれり江 州  伊吹 大 根 又 名 物 なり尾張 大 根 尓

はるかにおとれりこうしゅういぶきだいこんまためいぶつなりおわりだいこんに


おとら須゛摂 州  倉 橋 江口 木津等 より出る大 根 又 名 物 奈り

          くら者し

おとらず せっしゅうくらはしえぐちきづとうよりでるだいこんまためいぶつなり

(大意)

(補足)

「江州」、『近江国』。

「摂州」、『摂津国。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部』。

 練馬大根がこの当時から、名前があがるほど有名とは知りませんでした。

それにしても、この尾張大根、いくらなんでも大きさ強調しすぎ!かついでいる人の2,3倍はある。この大きさ二本を2人でかつげるわけがありません。

 幕末に海外からいろいろな人たちが日本にやってくるようになって、日本の春画が他の浮世絵や錦絵とともに人気となりました。そしてそこに描かれている日本人の男根(大根ではありません)の巨大さに、一時は日本人ものはこれほどにすばらしく大きいのだと信じられたという話があります。

 前頁のでかいかぶらも強調したいあまりに大きく描かれていそうです。

 

2026年4月21日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

近江蔓菁

あふミかふら

おおみかぶら


近 江かぶら甚  多゛大イ奈り至  て大 奈るハ壱 荷尓

                          可

おおみかぶらはなはだ だいなりいたってだいなるはいっかに


五 ツ六 ツ奈りでハ荷ひ可゛多し初  て古ゝに来て

いつつむっつなりではかいが たしはじめてここにきて


見る人 ハきもを徒ぶ須こと也 余国 より出るものハこれ本ど尓

みるひとはきもをつぶすことなりよこくよりでるものはこれほどに


大 奈るハなし又 摂 州  天 王 寺可ぶら名 産 也 近 江可ぶら能

だいなるはなしまたせっしゅうてんのうじかぶらめいさんなりおおみかぶらの


古゛とく大 きくハ阿ら袮ども其 味 すぐれて美奈り本し

ご とくおおきくはあらねどもそのあじすぐれてびなりほし


可ぶらとなして三 ケ 津へ出須人 のあま年く志り多る名 物 也

かぶらとなしてさんがのつへだすひとのあまねくしりたるめいぶつなり

(大意)

(補足)

「壱荷」、『か【荷】(接尾)助数詞。(一人が肩で担ぐほどの量の)荷物を数えるのに用いる。「酒樽三―」〔天秤棒で担ぐ二つの荷物を一組とし,それを一荷と称したことに由来する〕』

「三ケ津」、『さんがのつ 【三箇の津】→三津(さんしん)』『さんしん【三津】古く,内外航路の重要な港であった筑前の博多津(はかたのつ),薩摩の坊の津,伊勢の安濃津(あのつ)の三つの港をいう。三箇(さんが)の津(つ)』、ここでは『江戸時代には京・大坂・江戸の「三都(さんと)」や、役者の番付などで使われる表現としても知られてた』。

 本当に、こんなに巨大なかぶらがあったのかどうかちょっと信じられませんけど、どうなんでしょう?

 縄をまとめている母親のそばで遊ぶ子どもたち、風車に馬のおもちゃ。こちらの農家は裕福だったのかもしれません。

 通りがかりの旅人のような二人、こちらをむいて笠をかぶっている人の胸に数枚の札みたいのがぶら下がっています。なんでしょうねぇ?

 

2026年4月20日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

江戸四 日市 ノ蜜柑 市

えどよっかいちのみかんいち


江戸の市中  尓賣 ハお本く駿 河ゟ

えどのしちゅうにうるはおおくするがより


出紀州  み可んも大 坂 より舟 廻 し

できしゅうみかんもおおさかよりふなまわし


尓て下 る也 江戸四 日市 の廣 小 路尓籠 入 のみ可ん山 のごとく

にてくだるなりえどよっかいちのひろこうじにかごいりのみかんやまのごとく


尓高 くつミて毎 日 \/  賣 買 の商  人 群 集 春江戸ハ日本

にたかくつみてまいにちまいにちうりかいのしょうにんぐんじゅすえどはにほん


㐧 一 の都 會 尓て繁 昌  の津奈れバ京  大 坂 尓まさりて賑 ハへ里

     とくハい  者んしやう                 尓ぎ

だいいちのと かいにてはんじょうのつなればきょうおおさかにまさりてにぎわえり

(大意)

(補足)

「江戸四日市」、『古くは日本橋と江戸橋の間、川より南の大路をいい、毎月四の日に市がたつ町でした。明暦(めいれき)の大火(1657年)の後、町屋(まちや)を移転させ、川沿いに二町半(約272.5m)にわたり石を積んで、高さ4間(約7.2~7.8m)の土手蔵(どてぐら)を築いて防火壁としました。その後、この地を元四日市町(もとよっかいちちょう)、川沿いを四日市河岸(よっかいちがし)と呼び、様々な市が立つなど、繁盛(はんじょう)の地となりました』。 

 江戸名所図会四日市長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)。

 この本は宝暦4(1754)年に出版されているので、ここの画は四日市河岸。

 すべて籠で運搬したのですから、いったいどれくらいの籠が使われたことか!河岸のあわただしい賑やかさが伝わってきます。

 

2026年4月19日日曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

紀伊 國 蜜柑

きいのく尓ミ可ん

きいのくにみかん


紀州  駿 河肥後ノ八 代 より出るみ可ん皆 名 物 奈り

          やつしろ

きしゅうするがひごのやつしろよりでるみかんみなめいぶつなり


中 尓も紀州  尤   すぐれ多り皮 あつくして其 味 あまし

                        そのあぢ

なかにもきしゅうもっともすぐれたりかわあつくしてそのあじあまし


京  大 坂 の市中  尓賣 毛のお本くハ紀州  奈り山 より出春尓籠 尓

きょうおおさかのしちゅうにうりものおおくはきしゅうなりやまよりだすにかごに


入 て風 のあ多らぬやう尓認  めて来る也 

いれてかぜのあたらぬようにしたためてくるなり


一 籠 尓百  入 二百  入 三 百  入

ひとかごにひゃくいりにひゃくいりさんびゃくいり


阿り籠 の大 きさハ何 連も同 しこと也 み可んの大 き奈るハ数 春く奈し

ありかごのおおきさはいずれもおなじことなりみかんのおおきなるはかずすくなし


其 外 餘國 尓も少  々  ハ有 加賀越 前 等 の雪 國 尓ハみ可んの木なし

そのほかよこくにもしょうしょうはありかがえちぜんとうのゆきぐににはみかんのきなし

(大意)

(補足)

 ここでは柿のときと同じようにみかんの木にはしごをかけてとっています。現在ではこれほどには大きくせず収穫しやすいように大きさをととのえています。

 蜜柑の大きな木を製材した材木の表面はとてもすべすべしてなめらかです。そして硬い。

 黒羽織を着た現場責任者のような人、むいた蜜柑を左手に、右手には一房持って、味見しているように見えます。

 蜜柑収穫まっさかりです。

 

2026年4月18日土曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

焙 籠

本いろ

ほいろ


上 の繪尓見え多る茶 の葉を湯出て日尓本し多るを

              由で

うえのえにみえたるちゃのはをゆでてひにほしたるを


本いろ尓可けてあぶる也 此 後 ハ煎 春る時 のほいろ尓ハ阿ら須

ほいろにかけてあぶるなりこののちはせんずるときのほいろにはあらず


宇治御茶 師御通  御用 凡  三 十  三 人 上林味卜 上林春松

うじおちゃしおとおりごようおよそさんじゅうさんにん


上林平入 上林三入 長井貞甫 酒多宗有 尾崎有庵


星野宗以 堀真朔 長茶宗味 辻善徳


茶 ノ保育炉 保育 又 ハ雪 洞 共 云 俗 尓助 炭 と云

   本いろ 本いろ   せつとう       じよたん

ちゃのほいろ ほいろまたはせつどうともいうぞくにじょたんという


抹 茶 臼  図

ひきちやうすのづ


(大意)

(補足)

「宇治御茶師御通御用」、『江戸幕府の制度で、宇治の茶師(碾茶生産者)が将軍家へ献上する新茶の運搬・御用を務める「御茶師」のうち、江戸城で用いる雑用や、西の丸用などの日常的なお茶を調達・納入した下位の茶師階級、またはその役割を指す』。

「凡三十三人」、『御茶師の人数は増減がありますが、18世紀頃の記録では御物御茶師が11家、御袋御茶師が 9 家、御通御茶師 13 家とされています』。なるほど33になります。

 絵に動きがあっておもしろい。臼でゴリゴリした挽茶の細かいものがつぶつぶで描かれていますけど、彫師・摺師泣かせかもしれません。

 わたしの育った街の商店街にお茶屋さんが数軒ありました。そのうちの一軒がいつもドラム缶を横にしたような器具でほうじ茶を炒っていたのですが、その香りがあたりにただよっていて、あれはたまりませんでした。なんどもなんどもスーハースーハーしたものでありました♫

 詳しい内容が「学習院大学学術成果リポジトリhttps://glim-re.repo.nii.ac.jp › shigaku_8_47_70『江戸時代の宇治茶師』」にあります。 

2026年4月17日金曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その12

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

茶 名 物 大概

          可い

ちゃめいぶつたいがい


宇治莖 茶  近 江滋賀  来 筑 前 岩 上  大 和吉 野川 上

  くき      し可゛らき     いハ可ミ

うじくきちゃ おおみしが らき ちくぜんいわがみ やまとよしのがわかみ


駿河ノ安倍 美濃ノ虎渓  近 江越 渓  播 州  粟 賀  仙 霊

   あべ    こけい    ゑつけい      あハ可゛のせんれい

するがのあべみののこけい おおみえっけい ばんしゅうあわがののせんれい


山 城 高 雄 本 葉  同 薄 葉 丹 後ノ草 山

    た可をの本ん者    うす者

やましろたかおのほんば  どううすば たんごのくさやま


同 高 泉 寺 同 明 石 伊勢川 俣  

          あけし   可王者多

どうこうせんじ どうあけし いせかわはた


伊予ノ金 甑   美濃輪違   江 州  一  山  同 厂 音  

   可奈こしき   王ち可ひ      ひとつやま   可り可゛年

いよのかなこしき みのわちがい こうしゅうひとやま  どうかりが ね


同 山吹  同 初 緑

   ふき   者川ミとり

どうやまぶきどうはつみどり


同 春 風 同 㐂撰  駿 河足 久保 日  向茶 数 品 阿り

        きせん    あしく本  

どうはるかぜどうきせん するがあしくぼ ひゅうがちゃすうひんあり


志め木尓て志めて水 氣をとり日尓本すてい

しめきにてしめてみずけをとりひにほすてい


ゆで阿げ多る葉を志め木尓て志める所

ゆであげたるはをしめぎにてしめるところ


(大意)

(補足)

 有名なお茶どころの国と茶銘柄を列記しています。現在でも引き続き生産しているところもあれば、完全に消滅しているところもあるようです。

 老婆は重いものは持てないので、茶葉を日に干す仕事です。他の3人の御婦人の着物の線が今までとはことなって、どこかやわらかくなっているようにみえるのは気のせいでしょうか。

 左隅「志め木尓て志め」て、水が桶からふた筋流れているところのつもりなのでしょうけど、紐のように見えなくもない。

 

2026年4月16日木曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その11

 

P20P21 国文学研究資料館蔵
(読み)
茶 製 法
ちやこしらえ

茶 の葉を徒ミて是 を折敷 尓いれ箸 尓てち里
ちゃのはをつみてこれをおしきにいれはしにてちり

赤 葉くもの春奈どよくゑりて後 釜 尓て由で阿げ
あ可者
あかはくものすなどよくえりてのちかまにてゆであげ

それを桶 尓いれて志め木尓て志め水 氣をとりて日耳
それをおけにいれてしめぎにてしめみずけをとりてひに

本春なり次 の絵と合せ見るべし 凡  茶 つミ茶 よりハ皆 女  能
ほすなりつぎのえとあわせみるべしおよそちゃつみちゃよりはみなおんなの

所 作奈り宇治能茶 つミとて遠 国 までも其 名高 し故 尓
しょさなりうじのちゃつみとておんごくまでもそのなたかしゆえに

他国 の人 ハ可奈ら須゛見 物 尓来 りていと尓ぎや可奈ること奈り
たこくのひとはかならず けんぶつにきたりていとにぎやかなることなり
(大意)
(補足)
 母は埼玉県北部の農家の生まれで、2022年に102歳で亡くなりましたが、よくお茶の話をしてくれました。母の家でも近所の農家でも、自分の家で飲むお茶は自分の畑で作るのが当たり前だったそうで、実家からはなれてはじめて茶葉を買ったそうです。わたしは小さい頃よく母の実家に何か月もあずけられたことがたびたびあって、祖母からこれがうちのお茶の木だよといわれたのをおぼえています。一坪くらいの所に数本お茶の木が植わっているだけでした。
 折敷(四角いお盆)でゴミなどとりながらおしゃべりの声が聞こえてきそうです。

2026年4月15日水曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その10

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

宇治茶 摘

うじちやつミ

うじちゃつみ


日本 尓茶 をう由ることハ人 王 八 十  二代 後鳥羽院 の御 宇

                                 う

にほんにちゃをうゆることはにんのうはちじゅうにだいごとばいんのぎょう


に始 まる京  建 仁 寺の開 山 栄 西 和尚  渡唐 の時

        けん尓んじ     ゑゝさい

にはじまるきょうけんにんじのかいざんえいさいおしょうととうのとき


茶 の種 を毛ろこしゟ 取 可へ里て筑 前  国 脊振 山 に植 らる是 を岩

                         せふり

ちゃのたねをもろこしよりとりかえりてちくぜんのくにせふりやまにうえらるこれをいわ


上 茶 と云 又 栂   尾明 恵上  人 尓其 種 を

可ミ       と可゛のをめいゑ

かみちゃというまたとが のをめいえしょうにんにそのたねを


まいらせられ多るを上  人

まいらせられたるをしょうにん


山 城 の宇治と梶  尾と尓植 らる今 梶 ノ尾尓ハ茶 多えて宇治の

やましろのうじととがのおとにうえらるいまとがのおにはちゃたえてうじの


茶 甚  多゛者びこ連り四月 尓葉を徒ミて煎 茶 を製 須

ちゃはなはだ はびこれりしがつにはをつみてせんちゃをせいす


(大意)

(補足)

「人王」、『にん-わう 【人皇・人王】神代に対し、人代になってからの天皇のこと。神武天皇以後の天皇』

「後鳥羽院」、『ごとばてんのう ―てんわう 【後鳥羽天皇】[1180〜1239]第八二代天皇(在位[1183〜1198])。名は尊成(たかひら)。高倉天皇の皇子。土御門(つちみかど)天皇に譲位後,三代にわたって院政を行う。1221年(承久3)北条義時追討の院宣を発して鎌倉幕府打倒を試みたが失敗(承久の乱)。隠岐(おき)に配流され,その地で没した』

「御宇」、『ぎょう 1【御宇】〔宇内(うだい)を統御するの意〕

天子の治世の期間。御代(みよ)。「宇多天皇の―」』

「栄西」、『えいさい 【栄西】〔「ようさい」とも〕[1141〜1215]鎌倉初期の禅僧。日本の臨済宗の開祖。備中の人。字(あざな)は明庵。葉上房・千光国師と号す。比叡山で天台の教義を学び,二度入宋し,臨済禅を伝え帰る。幕府の帰依をうけ鎌倉に寿福寺を建立。京に建仁寺を創建して天台・真言・禅の三宗兼学の道場とし禅宗の拡大に努めた。また,茶を宋より移入し「喫茶養生記」を著した。著「興禅護国論」など』

「煎茶」、文中では「前」+「火」です。「㷙」のフォントはあるのですが。

「栂尾」、漢字変換「とがのお」ででてきます。「栂」の読み「つが」がなまったものでしょうか。

 現在の茶摘み風景とはまったくことなります。お茶の木の育て方も果実を育てているみたい。椅子に腰掛けてなんとなく優美。女性の仕事だったんですね。お茶をするお盆を頭にのせてます。茶摘みの葉は胸の前の小さな籠に入れてます。

 日よけの葦簀(よしず)が大きな屋根になってます。質感が出ていて上手です。

 

2026年4月14日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 州  木津 干 瓢

     きつの可んへう

せっしゅうきつのかんぴょう


む可しハ大 坂 三津寺 前 より於本く干 瓢  を出

むかしはおおさかみつでらまえよりおおくかんぴょうをだ


須今 ハ其 地町  家と奈りぬ其 南  能一 村 を

すいまはそのちちょうかとなりぬそのみなみのいっそんを


木津と云 里 人 これを作 り実の里多る時 取 て輪切 尓し皮 を

               ミ         王

きつというさとびとこれをつくりみのりたるときとりてわぎりにしかわを


去 て細 くむきあげ竿 尓可けて日尓本須其 白 きこと雪

          さ本

さりてほそくむきあげさおにかけてにひほすそのしろきことゆき


のことし木津ハ可ん飛やうの名 物 也 凡  こ連をむく尓ハ剃 刀

                   およそ       可ミそり

のごとしきつはかんぴょうのめいぶつなりおよそこれをむくにはかみそり


を左  の手尓持 右 の手尓て輪切 の可んひやうをまハしてむく也

をひだりのてにもちみぎのてにてわぎりのかんぴょうをまわしてむくなり

(大意)

(補足)

「大坂三津寺」、『大阪市中央区心斎橋筋にある真言宗御室派の準別格本山の寺院。山号は七宝山。本尊は十一面観音菩薩。御堂筋に面しており、地元では「みってらさん」あるいは「ミナミの観音さん」の通称で親しまれている』。

 絵の構図がどこかでみたなとおもって数頁戻ってみたら、「美濃釣柿」でした。ピッタリ重ね合わせられるくらいそっくりです。

 輪切りにむいた干瓢を干す場所、竿につるしてあるものや、地面の筵(むしろ)の上のものなど、とても丁寧に(干す竿を引っ張り上げる綱にはちゃんとより目がはいってる)描かれています。こういったものは得意としているようですけど、干している右側の職人さんの脚の構えが逆ハの字になっていて、痛そう。

 おんぶされている赤ちゃん、アップにしてみると笑ってます。

 

2026年4月13日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

材 木 流 し能圖

ざいもくながしのず


山 より材 木 を切 出須尓ハ谷 川 へ落 して

やまよりざいもくをきりだすにはたにがわへおとして


奈可゛れ尓乗  して運 び出須杣 人 鳶 口 を

         しやう  者こ

なが れにじょうじてはこびだすそまびととびぐちを


も川てこれを引 まハし山 川 の早 起流  をとびまハること其

もってこれをひきまわしやまかわのはやきながれをとびまわることその


軽捷  あ多可も猿 のごとし或  ハ高 き可゛けより下 へ木を徒き

可る王ざ    さる

かるわざあたかもさるのごとしあるいはたかきが けよりしたへきをつき


おとし阿るひハ谷 川 の瀧 つせを自由 尓引 まハしてそ能

            多き

おとしあるいはたにがわのたきつせをじゆうにひきまわしてその


材 木 を筏   として乗 まハ須よく修 練 したる者多ら起也

     い可多゛          し由連ん

ざいもくをいかだ としてのりまわすよくしゅれんしたるはたらきなり

(大意)

(補足)

「瀧つせ」、『たきつせ 【滝つ瀬】〔「つ」は「の」の意の格助詞〕滝のように急な流れ。滝。「夕立の―うくる元の谷川」〈拾遺愚草〉』

「軽捷」、「軽」の偏「車」は「忄」や「丩」のようなかたち。

 わたしの住居のすぐ近所は、江戸時代江戸の町へ西川材(江戸の西の方からきた材木)という材木(杉・松・檜など)を名栗川、入間川を流して運んでいました。市立博物館にはそれらに関する詳しい史料・物品が展示されています。

 上流から下流に流すにあたって、川幅も広くなり、また天候の状況によってはおもいどおりにあやつれなかったりして、川岸の土手を壊してしまったり、農地に流木が入ってあらしてしまったりと、たくさん揉め事があったようです。それら裁判の記録が古文書として残っています。

 流れの速い川の中で丸太一本に乗っている人が二人描かれています。こんなことをしたら命がいくつあってもたりません。貯木場や川岸の静かなところで丸太をそろえるときにはこのようにのることもあったでしょうけど、材木を流すときは筏を組んで行うのがほとんどのようでした。または大雨を待ち、増水するときをねらっていっきに丸太を流すこともあったようです。

 

2026年4月12日日曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

杣 人

そまびと


山 中  尓て木を切 て渡世春る者 を杣 といふおよそ奥 山 尓てハ

さんちゅうにてきをきりてとせするものをそまというおよそおくやまにては


い可奈る大 木 を切 たを須とても枝 奈ど打 ことハなく只

いかなるたいぼくをきりたおすとてもえだなどうつことはなくただ


者しめより根の所  をまさ可り尓て切 たを春奈り和哥尓ハ木曽能

はじめよりねのところをまさかりにてきりたおすなりわかにはきその


杣 人 を専 尓よ免り木曽ハ信 濃 国 尓て奥 ふ可起大 山 奈り杣 人 の

     せん

そまびとをせんによめりきそはしなののくににておくふかきおおやまなりそまびとの


分 入 山 の道 志るべ尓ハ小木 を切 可けて目印  と須古れ枝折 といふ

王けいる                           しおり

わけいるやまのみちしるべにはこぼくをきりかけてめじるしとすこれしおりという


和哥尓もよめり栞 の字杣 人 の道 志るべの事 奈る由 設 文 尓見え多り

       可ん

わかにもよめりかんのじそまびとのみちしるべのことなるよしせつぶんにみえたり

(大意)

(補足)

「」、『しおり しをり【栞・枝折り】〔動詞「枝折る」の連用形から〕

① 本の読みかけのところに挟んでしるしとする,細幅の紙片やひも。

③ 山道などで,木の枝を折っておいて道しるべとすること。また,その道しるべ。「―を尋ねつつも登り給ひなまし」〈今昔物語集28〉』

 なるほど、「栞」は「枝折り」からきているのですね、ひとつ賢くなりました。

 二人一組で横挽鋸を使い切り倒した木を切っています。裸足でこの作業はしなかったとおもいます。また左上、斧で松を切り倒そうとしてますが、切り口をこんなふうにすることはありません。絵師は実際に見てなかったようです。

 

2026年4月11日土曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

炭 焼  圖

春ミやきのづ

すみやきのず


炭 諸 国 より多 く出る中 尓日  向 國 ト紀州  熊 野より

すみしょこくよりおおくでるなかにひゅうがのくにときしゅうくまのより


出る毛の其 性  よろし摂 州  池 田奥 山 より出る毛の炭 の

でるものそのしょうよろしせっしゅういけだおくやまよりでるものすみの


名 物 也 又 和泉 の横 山 炭 名 品 也 

めいぶつなりまたいずみのよこやますみめいひんなり


是 ハ枝 炭 也 い徒゛連も山 尓炭 竈 を

                   可ま

これはえだすみなりいず れもやまにすみがまを


春えてやく也 春ミ可゛満ハ木薪 の出シ入 勝 手よ起所  尓す由る也

すえてやくなりすみが まはきまきのだしいれかってよきところにすゆるなり


哥 尓ハ小野能すミ可゛満をよめり小野ハ山 城 の国 愛宕 郡 なり

                          をたぎ

うたにはおののすみが まをよめりおのはやましろのくにおたぎぐんなり


此 穴 を四ツめと云  可まへすミ木をくべこむてい せいらう石

このあなをよつめという かまへすみぎをくべこむてい せいろうせき


炭 木を出須てい うハ屋

すみぎをだすてい うわや

(大意)

(補足)

 この説明文でも「品」と「所」のくずし字が使われています。やはりそっくりでまぎらわしいです。

「哥尓ハ」の歌を検索するとAIの概要が得られました。

『山城国愛宕郡小野(現在の京都市左京区上高野・八瀬周辺)は、平安時代から炭の産地(炭竈の里)として知られ、和歌や物語にその風景が詠まれています。代表的な歌は、曾禰好忠(そねのよしただ)が『新古今和歌集』などで詠んだものです。

「おのの原 たなびくくもは 炭かまの けぶりならね けふもふる雪」

(小野の原にたなびく雲は、炭竈の煙ではない、今日も降る雪よ)』。

「此穴を四ツめと云」、どこに穴があるか探してしまいますが、軒の下にある煙の出ている四つの穴。

 

2026年4月10日金曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

美濃釣  柿

ミの徒るし

みのつるしかき


志ぶ柿 のいま多゛熟  せぬうち尓取 て皮 をむき糸 を付

              じ由く

しぶがきのいまだ じゅくせぬうちにとりてかわをむきいとをつけ


て竿 尓可け日尓本春也 安藝 国 西 条  きおん坊 其味

 さ本         あき              あち

てさおにかけひにほすなりあきのくにさいじょうぎおんぼうそのあじ


春ぐれ多りといへと毛美濃徒゛るしよりちいさし美濃ハ味 ハひよき

                         あち

すぐれたりといえどもみのづ るしよりちいさしみのはあじわいよき


のミ尓阿ら須其 形  甚  多大 奈り本し上ケて三 寸 者゛可りの長 さなる

                     あ

のみにあらずそのかたちはなはだだいなりほしあげてさんすんば かりのながさなる


柿 あり其 生 の時 の大  さ思 ひやるへし◯くし柿 ころ柿 も皆 志ぶ柿 を

      奈ま    おゝき

かきありそのなまのときのおおきさおもいやるべし くしがきころがきもみなしぶがきを


以 て拵  由る也 串 柿 ハ丹 波よりお本く出 古ろ柿 ハ山 城

   こしら    くし

もってこしらゆるなりくしがきはたんばよりおおくでるころがきはやましろ


宇治名 物 也

うじめいぶつなり

(大意)

(補足)

「美濃」、「美」のくずし字は「る」+「欠」のようなかたち。

「糸を付て竿尓可け」、挿絵では糸ではなく縄のようなものを、螺旋にして柿のヘタをくくりつけています。うまい付け方です。付けおわった竿を二人で掛けている絵で、右側の男の人の脚の描き方がこの絵師の特徴で、上手ではありません。

「大さ思ひやるへし」、干しあがって三寸(約9cm)ぐらいですから、手のひらいっぱいくらいの大きさで、生でしたらもっと大きい。確かにでかいです。絵の中の柿も手のひらより大きく描かれています。

 柿の皮むき作業場は4本柱の壁なし藁葺き屋根の小屋ですが、屋根の妻部分に空気抜き(風で屋根が持ち上がらないように)があります。ここの部分といい、柿のザル、踏み台などこのようなところはとても丁寧です。

 

2026年4月9日木曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 和御所 柿

やまとごしよ可き

やまとごしょがき


和州  御所 村 より出 柿 の極 品 奈り餘国 尓も此 種

                             た年

わしゅうごしょむらよりでるかきのごくひんなりよこくにもこのたね


ひろまりて多 し御所 より出る物 名 物 奈る故 尓御所 柿 といふ

ひろまりておおしごしょよりでるものめいぶつなるゆえにごしょがきという


京  木練 柿

   こ袮り

きょうこねりかき


山 城 の国 より出 これ柿 の上  品 なり其 外 諸 国 尓毛木練

やましろのくによりでるこれかきのじょうひんなりそのほかしょこくにもこねり


有 近 江美濃甲斐信 濃殊 尓お本し九  州  の地

                         

ありおおみみのかいしなのことにおおしきゅうしゅうのち


柿 の熟  春ること上 方 ゟ

          可ミ可多

かきのじゅくすることかみかたより


も早 し渋 柿 尓上  品 阿りさハし柿 と奈して甚  多よ起風 味なり

もはやししぶがきにじょうひんありさわしがきとなしてはなはだよきふうみなり


大 和椑

   志ふかき

やまとしぶがき


小柿 なり臼 尓て徒きて柿漆を取 て紙 ざいく尓用 由

            しぶ

こがきなりうすにてつきてしぶをとりてかみざいくにもちゆ

(大意)

(補足)

「御所柿」、『ごしょがき【御所柿・五所柿】カキの品種の一。奈良県御所(ごせ)の原産という。果実は扁球形で,種が少なく,甘みが強い。大和(やまと)柿』

「木練」、『こねり 【木練り】① 木になったまま熟すこと。② 「木練り柿(がき)」の略』

「さハし柿」、『さわしがき さはし―【醂し柿】渋を抜いた柿。湯や焼酎(しようちゆう)につけて渋を取り去る。たるがき』

「渋柿」、『しぶがき【渋柿】柿の品種のうち,実が熟しても甘くならず,味の渋いもの。醂(さわ)したり干したりして渋を抜いて食用とする。また,柿渋を採る原料とする。季秋』

 柿の種類が辞書にこんなにのっているとは驚きました。それほど日本ではたくさんの種類の柿が実り、食されていたということなのでしょう。最近では高値ですっかり高級品となって早々簡単に買うことができなくなってしまいました。

 柿の木に二人登って収穫しています。柿の木はゴルフのヘッドになるくらい緻密で硬い樹木で、粘りもそこそこあり何人かが登っても折れることはありません。

 

2026年4月8日水曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

黐    製 方

とりもちのせい者う

とりもちのせいほう


細葉冬青樹と云 木の皮 をけづりて池 水 尓徒け置

奈ゝミのき

ななみのきというきのかわをけずりていけみずにつけおき


久 しくして取 出し湯尓たきて黐   と春る也 本 薬

               とりもち

ひさしくしてとりだしゆにたきてとりもちとするなりほんやく


必 読 尓其 事 見え多り紀州  熊 野山 尓此 木お本し土人 取 てとり

ひつとく

ひつどくにそのことみえたりきしゅうくまのさんにこのきおおしどじんとりてとり


もちを製 し家 業 と春る也 其 木の者細  柔   にして青 く其 実ハ赤

   せい 可 けう          本そくやハら可        ミ

もちをせいしかぎょうとするなりそのきのはほそくやわらかにしてあおくそのみはあか


くして南 天 の子尓似多り木立 うるハしくして籬 奈ど尓して見事 也

        ミ    こ多ち       可き

くしてなんてんのみににたりこだちうるわしくしてかきなどにしてみごとなり


木の皮 を者ぐ所   とりもちの木池 尓つける所

きのかわをはぐところ とりもちのきいけにつけるところ

(大意)

(補足)

「黐」、『とりもちのき【鳥黐の木】① モチノキの別名。② ヤマグルマの別名』『とりもち【鳥黐】小鳥や昆虫を捕らえるため竿の先などに塗って用いる粘り気の強いもの。モチノキ・クロガネモチ・ヤマグルマなどの樹皮から採る』

「熊野山」、ここの「野」は「埜」になっています。

「籬」、『まがき【籬】① 竹・柴などを粗く編んで作った垣。ませ。ませがき』

 小学校6年生の時の思い出です。学年中いや学校中から嫌われている中年の女の音楽教師の授業のこと。歌の練習のとき(卒業式で歌う歌の練習だったようにおもいます)、ピアノの上においてある指揮棒を必ず使うのが癖でした。

 指揮棒の端をとって振ろうとしたそのとき、なんかおかしいことに先生は気づきました。反対の手で指揮棒の先をつかんで、もう一方の握っている手から指揮棒をはなそうとするのですが、とれません。だんだん取り乱してきて激しく振るようにして指揮棒がはなれたのはいいものの、右手のネバネバが今度はとれません。

 先生いらいらして、振り乱れた髪の毛をすくためにその右手をつい使ってしまいました。髪の毛から右手をはなそうとするのですが、離れるわけがありません。手ぐしのようにして髪の毛のなかに指を突っ込んでしまっているのですから。

 大声で何かわめきながら音楽室を出ていってしまいました。われら悪童たちは大声で気持ちよく卒業式で歌う歌を自分たちだけで歌ったのでした。

 とりもちというと、このことをどうしても思い出してしまいます。わたしの世代がとりもちを子どもの頃に使ったのが最後であるような気がします。蝉とりや、他の昆虫・小鳥など捕まえるのによく使いました。

 とりもちを産業として生産者がいたことに驚いています。使う人がそのたびに自分で作るものだとおもっていました。

 

2026年4月7日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

綠 礬製 法

ろう者せい本う

ろうはせいほう


礬  石 白 きハ明  者゛んと奈りあお起ハろう者と奈る

者゛んせき

ば んせきしろきはみょうば んとなりあおきはろうはとなる


山 より堀 出し多る石 をく多゛起小屋能中 尓て水 を可け

    本り

やまよりほりだしたるいしをくだ きこやのなかにてみずをかけ


くさら可してこれを釜 尓てたき其 あ王を本しふ多尓入 て本春也 中 尓毛

くさらかしてこれをかまにてたきそのあわをほしふたにいれてほすなりなかにも


性  のよ起を紺 手といふ丹 礬 の色 のごとし

       こんで   多ん者ん

しょうのよきをこんでというたんはんのいろのごとし


其 次 をあさぎ手と云 色 真青

              まあを

そのつぎをあさぎてといういろまあお


奈り下品 ハくろミなり紺 出浅 黄出のろう者ハ外科 の膏 薬 尓用 由る也 下

           こんであさぎで     げくハ

なりげひんはくろみなりこんであさぎでのろうははげか のこうやくにもちゆるなりげ


品 のろう者ハ染 物 尓用 由染 汁 尓是 を加  連ハくろミを出須といへども

ひんのろうははそめものにもちゆそめしるにこれをくわえればくろみをだすといえども


染 地よハるなり

そめぢ

そめじよわるなり

(大意)

(補足)

「綠礬」、『りょくばん【緑礬】硫酸鉄(Ⅱ)の七水和物の通称。硫酸鉄のこと』。『硫酸鉄、天然には緑礬(りよくばん)として産出。媒染剤・還元剤・防腐剤として用いるほか,青色顔料(紺青)・インクの原料に用いる』

「丹礬」、『たんばん【胆礬】〔「たんぱん」とも〕銅の硫酸塩鉱物。三斜晶系に属し,青色,半透明。化学的には,結晶水を五分子もった硫酸銅の結晶。板状または塊状・葡萄(ぶどう)状などを呈する。銅鉱山などに産する』

 緑礬(りょくばん)は薄緑色の半透明なきれいな色の鉱石です。石なのに水に溶けるのですね。顔料・外科の膏薬・染料と幅広く使われていたことがわかります。

女性が4人いて、うち3人が前帯、1人は後帯でこの方は歳が若そうです。江戸中期頃、未婚女性は後ろ結び、既婚女性は前結びとなっていたようで、後期になると区別なく後ろ結びが主流になったとありました。