2026年4月14日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 州  木津 干 瓢

     きつの可んへう

せっしゅうきつのかんぴょう


む可しハ大 坂 三津寺 前 より於本く干 瓢  を出

むかしはおおさかみつでらまえよりおおくかんぴょうをだ


須今 ハ其 地町  家と奈りぬ其 南  能一 村 を

すいまはそのちちょうかとなりぬそのみなみのいっそんを


木津と云 里 人 これを作 り実の里多る時 取 て輪切 尓し皮 を

               ミ         王

きつというさとびとこれをつくりみのりたるときとりてわぎりにしかわを


去 て細 くむきあげ竿 尓可けて日尓本須其 白 きこと雪

          さ本

さりてほそくむきあげさおにかけてにひほすそのしろきことゆき


のことし木津ハ可ん飛やうの名 物 也 凡  こ連をむく尓ハ剃 刀

                   およそ       可ミそり

のごとしきつはかんぴょうのめいぶつなりおよそこれをむくにはかみそり


を左  の手尓持 右 の手尓て輪切 の可んひやうをまハしてむく也

をひだりのてにもちみぎのてにてわぎりのかんぴょうをまわしてむくなり

(大意)

(補足)

「大坂三津寺」、『大阪市中央区心斎橋筋にある真言宗御室派の準別格本山の寺院。山号は七宝山。本尊は十一面観音菩薩。御堂筋に面しており、地元では「みってらさん」あるいは「ミナミの観音さん」の通称で親しまれている』。

 絵の構図がどこかでみたなとおもって数頁戻ってみたら、「美濃釣柿」でした。ピッタリ重ね合わせられるくらいそっくりです。

 輪切りにむいた干瓢を干す場所、竿につるしてあるものや、地面の筵(むしろ)の上のものなど、とても丁寧に(干す竿を引っ張り上げる綱にはちゃんとより目がはいってる)描かれています。こういったものは得意としているようですけど、干している右側の職人さんの脚の構えが逆ハの字になっていて、痛そう。

 おんぶされている赤ちゃん、アップにしてみると笑ってます。

 

2026年4月13日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

材 木 流 し能圖

ざいもくながしのず


山 より材 木 を切 出須尓ハ谷 川 へ落 して

やまよりざいもくをきりだすにはたにがわへおとして


奈可゛れ尓乗  して運 び出須杣 人 鳶 口 を

         しやう  者こ

なが れにじょうじてはこびだすそまびととびぐちを


も川てこれを引 まハし山 川 の早 起流  をとびまハること其

もってこれをひきまわしやまかわのはやきながれをとびまわることその


軽捷  あ多可も猿 のごとし或  ハ高 き可゛けより下 へ木を徒き

可る王ざ    さる

かるわざあたかもさるのごとしあるいはたかきが けよりしたへきをつき


おとし阿るひハ谷 川 の瀧 つせを自由 尓引 まハしてそ能

            多き

おとしあるいはたにがわのたきつせをじゆうにひきまわしてその


材 木 を筏   として乗 まハ須よく修 練 したる者多ら起也

     い可多゛          し由連ん

ざいもくをいかだ としてのりまわすよくしゅれんしたるはたらきなり

(大意)

(補足)

「瀧つせ」、『たきつせ 【滝つ瀬】〔「つ」は「の」の意の格助詞〕滝のように急な流れ。滝。「夕立の―うくる元の谷川」〈拾遺愚草〉』

「軽捷」、「軽」の偏「車」は「忄」や「丩」のようなかたち。

 わたしの住居のすぐ近所は、江戸時代江戸の町へ西川材(江戸の西の方からきた材木)という材木(杉・松・檜など)を名栗川、入間川を流して運んでいました。市立博物館にはそれらに関する詳しい史料・物品が展示されています。

 上流から下流に流すにあたって、川幅も広くなり、また天候の状況によってはおもいどおりにあやつれなかったりして、川岸の土手を壊してしまったり、農地に流木が入ってあらしてしまったりと、たくさん揉め事があったようです。それら裁判の記録が古文書として残っています。

 流れの速い川の中で丸太一本に乗っている人が二人描かれています。こんなことをしたら命がいくつあってもたりません。貯木場や川岸の静かなところで丸太をそろえるときにはこのようにのることもあったでしょうけど、材木を流すときは筏を組んで行うのがほとんどのようでした。または大雨を待ち、増水するときをねらっていっきに丸太を流すこともあったようです。

 

2026年4月12日日曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その7

P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

杣 人

そまびと


山 中  尓て木を切 て渡世春る者 を杣 といふおよそ奥 山 尓てハ

さんちゅうにてきをきりてとせするものをそまというおよそおくやまにては


い可奈る大 木 を切 たを須とても枝 奈ど打 ことハなく只

いかなるたいぼくをきりたおすとてもえだなどうつことはなくただ


者しめより根の所  をまさ可り尓て切 たを春奈り和哥尓ハ木曽能

はじめよりねのところをまさかりにてきりたおすなりわかにはきその


杣 人 を専 尓よ免り木曽ハ信 濃 国 尓て奥 ふ可起大 山 奈り杣 人 の

     せん

そまびとをせんによめりきそはしなののくににておくふかきおおやまなりそまびとの


分 入 山 の道 志るべ尓ハ小木 を切 可けて目印  と須古れ枝折 といふ

王けいる                           しおり

わけいるやまのみちしるべにはこぼくをきりかけてめじるしとすこれしおりという


和哥尓もよめり栞 の字杣 人 の道 志るべの事 奈る由 設 文 尓見え多り

       可ん

わかにもよめりかんのじそまびとのみちしるべのことなるよしせつぶんにみえたり

(大意)

(補足)

「」、『しおり しをり【栞・枝折り】〔動詞「枝折る」の連用形から〕

① 本の読みかけのところに挟んでしるしとする,細幅の紙片やひも。

③ 山道などで,木の枝を折っておいて道しるべとすること。また,その道しるべ。「―を尋ねつつも登り給ひなまし」〈今昔物語集28〉』

 なるほど、「栞」は「枝折り」からきているのですね、ひとつ賢くなりました。

 二人一組で横挽鋸を使い切り倒した木を切っています。裸足でこの作業はしなかったとおもいます。また左上、斧で松を切り倒そうとしてますが、切り口をこんなふうにすることはありません。絵師は実際に見てなかったようです。

 

2026年4月11日土曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

炭 焼  圖

春ミやきのづ

すみやきのず


炭 諸 国 より多 く出る中 尓日  向 國 ト紀州  熊 野より

すみしょこくよりおおくでるなかにひゅうがのくにときしゅうくまのより


出る毛の其 性  よろし摂 州  池 田奥 山 より出る毛の炭 の

でるものそのしょうよろしせっしゅういけだおくやまよりでるものすみの


名 物 也 又 和泉 の横 山 炭 名 品 也 

めいぶつなりまたいずみのよこやますみめいひんなり


是 ハ枝 炭 也 い徒゛連も山 尓炭 竈 を

                   可ま

これはえだすみなりいず れもやまにすみがまを


春えてやく也 春ミ可゛満ハ木薪 の出シ入 勝 手よ起所  尓す由る也

すえてやくなりすみが まはきまきのだしいれかってよきところにすゆるなり


哥 尓ハ小野能すミ可゛満をよめり小野ハ山 城 の国 愛宕 郡 なり

                          をたぎ

うたにはおののすみが まをよめりおのはやましろのくにおたぎぐんなり


此 穴 を四ツめと云  可まへすミ木をくべこむてい せいらう石

このあなをよつめという かまへすみぎをくべこむてい せいろうせき


炭 木を出須てい うハ屋

すみぎをだすてい うわや

(大意)

(補足)

 この説明文でも「品」と「所」のくずし字が使われています。やはりそっくりでまぎらわしいです。

「哥尓ハ」の歌を検索するとAIの概要が得られました。

『山城国愛宕郡小野(現在の京都市左京区上高野・八瀬周辺)は、平安時代から炭の産地(炭竈の里)として知られ、和歌や物語にその風景が詠まれています。代表的な歌は、曾禰好忠(そねのよしただ)が『新古今和歌集』などで詠んだものです。

「おのの原 たなびくくもは 炭かまの けぶりならね けふもふる雪」

(小野の原にたなびく雲は、炭竈の煙ではない、今日も降る雪よ)』。

「此穴を四ツめと云」、どこに穴があるか探してしまいますが、軒の下にある煙の出ている四つの穴。

 

2026年4月10日金曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

美濃釣  柿

ミの徒るし

みのつるしかき


志ぶ柿 のいま多゛熟  せぬうち尓取 て皮 をむき糸 を付

              じ由く

しぶがきのいまだ じゅくせぬうちにとりてかわをむきいとをつけ


て竿 尓可け日尓本春也 安藝 国 西 条  きおん坊 其味

 さ本         あき              あち

てさおにかけひにほすなりあきのくにさいじょうぎおんぼうそのあじ


春ぐれ多りといへと毛美濃徒゛るしよりちいさし美濃ハ味 ハひよき

                         あち

すぐれたりといえどもみのづ るしよりちいさしみのはあじわいよき


のミ尓阿ら須其 形  甚  多大 奈り本し上ケて三 寸 者゛可りの長 さなる

                     あ

のみにあらずそのかたちはなはだだいなりほしあげてさんすんば かりのながさなる


柿 あり其 生 の時 の大  さ思 ひやるへし◯くし柿 ころ柿 も皆 志ぶ柿 を

      奈ま    おゝき

かきありそのなまのときのおおきさおもいやるべし くしがきころがきもみなしぶがきを


以 て拵  由る也 串 柿 ハ丹 波よりお本く出 古ろ柿 ハ山 城

   こしら    くし

もってこしらゆるなりくしがきはたんばよりおおくでるころがきはやましろ


宇治名 物 也

うじめいぶつなり

(大意)

(補足)

「美濃」、「美」のくずし字は「る」+「欠」のようなかたち。

「糸を付て竿尓可け」、挿絵では糸ではなく縄のようなものを、螺旋にして柿のヘタをくくりつけています。うまい付け方です。付けおわった竿を二人で掛けている絵で、右側の男の人の脚の描き方がこの絵師の特徴で、上手ではありません。

「大さ思ひやるへし」、干しあがって三寸(約9cm)ぐらいですから、手のひらいっぱいくらいの大きさで、生でしたらもっと大きい。確かにでかいです。絵の中の柿も手のひらより大きく描かれています。

 柿の皮むき作業場は4本柱の壁なし藁葺き屋根の小屋ですが、屋根の妻部分に空気抜き(風で屋根が持ち上がらないように)があります。ここの部分といい、柿のザル、踏み台などこのようなところはとても丁寧です。

 

2026年4月9日木曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

大 和御所 柿

やまとごしよ可き

やまとごしょがき


和州  御所 村 より出 柿 の極 品 奈り餘国 尓も此 種

                             た年

わしゅうごしょむらよりでるかきのごくひんなりよこくにもこのたね


ひろまりて多 し御所 より出る物 名 物 奈る故 尓御所 柿 といふ

ひろまりておおしごしょよりでるものめいぶつなるゆえにごしょがきという


京  木練 柿

   こ袮り

きょうこねりかき


山 城 の国 より出 これ柿 の上  品 なり其 外 諸 国 尓毛木練

やましろのくによりでるこれかきのじょうひんなりそのほかしょこくにもこねり


有 近 江美濃甲斐信 濃殊 尓お本し九  州  の地

                         

ありおおみみのかいしなのことにおおしきゅうしゅうのち


柿 の熟  春ること上 方 ゟ

          可ミ可多

かきのじゅくすることかみかたより


も早 し渋 柿 尓上  品 阿りさハし柿 と奈して甚  多よ起風 味なり

もはやししぶがきにじょうひんありさわしがきとなしてはなはだよきふうみなり


大 和椑

   志ふかき

やまとしぶがき


小柿 なり臼 尓て徒きて柿漆を取 て紙 ざいく尓用 由

            しぶ

こがきなりうすにてつきてしぶをとりてかみざいくにもちゆ

(大意)

(補足)

「御所柿」、『ごしょがき【御所柿・五所柿】カキの品種の一。奈良県御所(ごせ)の原産という。果実は扁球形で,種が少なく,甘みが強い。大和(やまと)柿』

「木練」、『こねり 【木練り】① 木になったまま熟すこと。② 「木練り柿(がき)」の略』

「さハし柿」、『さわしがき さはし―【醂し柿】渋を抜いた柿。湯や焼酎(しようちゆう)につけて渋を取り去る。たるがき』

「渋柿」、『しぶがき【渋柿】柿の品種のうち,実が熟しても甘くならず,味の渋いもの。醂(さわ)したり干したりして渋を抜いて食用とする。また,柿渋を採る原料とする。季秋』

 柿の種類が辞書にこんなにのっているとは驚きました。それほど日本ではたくさんの種類の柿が実り、食されていたということなのでしょう。最近では高値ですっかり高級品となって早々簡単に買うことができなくなってしまいました。

 柿の木に二人登って収穫しています。柿の木はゴルフのヘッドになるくらい緻密で硬い樹木で、粘りもそこそこあり何人かが登っても折れることはありません。

 

2026年4月8日水曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

黐    製 方

とりもちのせい者う

とりもちのせいほう


細葉冬青樹と云 木の皮 をけづりて池 水 尓徒け置

奈ゝミのき

ななみのきというきのかわをけずりていけみずにつけおき


久 しくして取 出し湯尓たきて黐   と春る也 本 薬

               とりもち

ひさしくしてとりだしゆにたきてとりもちとするなりほんやく


必 読 尓其 事 見え多り紀州  熊 野山 尓此 木お本し土人 取 てとり

ひつとく

ひつどくにそのことみえたりきしゅうくまのさんにこのきおおしどじんとりてとり


もちを製 し家 業 と春る也 其 木の者細  柔   にして青 く其 実ハ赤

   せい 可 けう          本そくやハら可        ミ

もちをせいしかぎょうとするなりそのきのはほそくやわらかにしてあおくそのみはあか


くして南 天 の子尓似多り木立 うるハしくして籬 奈ど尓して見事 也

        ミ    こ多ち       可き

くしてなんてんのみににたりこだちうるわしくしてかきなどにしてみごとなり


木の皮 を者ぐ所   とりもちの木池 尓つける所

きのかわをはぐところ とりもちのきいけにつけるところ

(大意)

(補足)

「黐」、『とりもちのき【鳥黐の木】① モチノキの別名。② ヤマグルマの別名』『とりもち【鳥黐】小鳥や昆虫を捕らえるため竿の先などに塗って用いる粘り気の強いもの。モチノキ・クロガネモチ・ヤマグルマなどの樹皮から採る』

「熊野山」、ここの「野」は「埜」になっています。

「籬」、『まがき【籬】① 竹・柴などを粗く編んで作った垣。ませ。ませがき』

 小学校6年生の時の思い出です。学年中いや学校中から嫌われている中年の女の音楽教師の授業のこと。歌の練習のとき(卒業式で歌う歌の練習だったようにおもいます)、ピアノの上においてある指揮棒を必ず使うのが癖でした。

 指揮棒の端をとって振ろうとしたそのとき、なんかおかしいことに先生は気づきました。反対の手で指揮棒の先をつかんで、もう一方の握っている手から指揮棒をはなそうとするのですが、とれません。だんだん取り乱してきて激しく振るようにして指揮棒がはなれたのはいいものの、右手のネバネバが今度はとれません。

 先生いらいらして、振り乱れた髪の毛をすくためにその右手をつい使ってしまいました。髪の毛から右手をはなそうとするのですが、離れるわけがありません。手ぐしのようにして髪の毛のなかに指を突っ込んでしまっているのですから。

 大声で何かわめきながら音楽室を出ていってしまいました。われら悪童たちは大声で気持ちよく卒業式で歌う歌を自分たちだけで歌ったのでした。

 とりもちというと、このことをどうしても思い出してしまいます。わたしの世代がとりもちを子どもの頃に使ったのが最後であるような気がします。蝉とりや、他の昆虫・小鳥など捕まえるのによく使いました。

 とりもちを産業として生産者がいたことに驚いています。使う人がそのたびに自分で作るものだとおもっていました。

 

2026年4月7日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

綠 礬製 法

ろう者せい本う

ろうはせいほう


礬  石 白 きハ明  者゛んと奈りあお起ハろう者と奈る

者゛んせき

ば んせきしろきはみょうば んとなりあおきはろうはとなる


山 より堀 出し多る石 をく多゛起小屋能中 尓て水 を可け

    本り

やまよりほりだしたるいしをくだ きこやのなかにてみずをかけ


くさら可してこれを釜 尓てたき其 あ王を本しふ多尓入 て本春也 中 尓毛

くさらかしてこれをかまにてたきそのあわをほしふたにいれてほすなりなかにも


性  のよ起を紺 手といふ丹 礬 の色 のごとし

       こんで   多ん者ん

しょうのよきをこんでというたんはんのいろのごとし


其 次 をあさぎ手と云 色 真青

              まあを

そのつぎをあさぎてといういろまあお


奈り下品 ハくろミなり紺 出浅 黄出のろう者ハ外科 の膏 薬 尓用 由る也 下

           こんであさぎで     げくハ

なりげひんはくろみなりこんであさぎでのろうははげか のこうやくにもちゆるなりげ


品 のろう者ハ染 物 尓用 由染 汁 尓是 を加  連ハくろミを出須といへども

ひんのろうははそめものにもちゆそめしるにこれをくわえればくろみをだすといえども


染 地よハるなり

そめぢ

そめじよわるなり

(大意)

(補足)

「綠礬」、『りょくばん【緑礬】硫酸鉄(Ⅱ)の七水和物の通称。硫酸鉄のこと』。『硫酸鉄、天然には緑礬(りよくばん)として産出。媒染剤・還元剤・防腐剤として用いるほか,青色顔料(紺青)・インクの原料に用いる』

「丹礬」、『たんばん【胆礬】〔「たんぱん」とも〕銅の硫酸塩鉱物。三斜晶系に属し,青色,半透明。化学的には,結晶水を五分子もった硫酸銅の結晶。板状または塊状・葡萄(ぶどう)状などを呈する。銅鉱山などに産する』

 緑礬(りょくばん)は薄緑色の半透明なきれいな色の鉱石です。石なのに水に溶けるのですね。顔料・外科の膏薬・染料と幅広く使われていたことがわかります。

女性が4人いて、うち3人が前帯、1人は後帯でこの方は歳が若そうです。江戸中期頃、未婚女性は後ろ結び、既婚女性は前結びとなっていたようで、後期になると区別なく後ろ結びが主流になったとありました。


 

2026年4月6日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

紺 青  緑 青 製 法

こんしやうろくせ うせい本う

こんじょうろくしょうせいほう


銀 山 銅 山 の精 氣より出  生  春る也 慶 長  年 中

         せいき

ぎんざんどうさんのせいきよりしゅっしょうするなりけいちょうねんじゅう


摂 州  多田の銀 山 より

せっしゅうただのぎんざんより


本り出須それよりして諸 国 尓お本く本り出須也 其 以前 ハ唐 より

ほりだすそれよりしてしょこくにおおくほりだすなりそれいぜんはとうより


王多る者゛可り尓て日本 尓ハ堀 出須事 なし

わたるば かりにてにほんにはほりだすことなし


然 シ元 明 天 皇 和銅 六 年

しかしげんめいてんのうわどうろくねん


上野  国 より紺 青  を献 上  し朱 雀院 長  久  二年 尓

かずさのくによりこんじょうをけんじょうしすざくいんちょうきゅうにねんに


摂 津 国 より紺 青  を献 上  春ること

せっつのくによりこんじょうをけんじょうすること


扶桑 略  記尓見え多れハ昔  より我 国 尓あること知 べし製 法 ハ山 より

ふそう里やくき

ふそうりゃくきにみえたればむかしよりわがくににあることしるべしせいほうはやまより 


掘 出し多るをうす尓てつきく多゛起水 飛春る也

ほりだしたるをうすにてつきくだ きすいひするなり

(大意)

(補足)

「紺青」、『① 鮮やかな明るい藍(あい)色。濃く深みのある青色。② 青色顔料の一。。日光や酸に強い。ベルリン青。ベレンス。プルシアン-ブルー。』

「元明天皇」、『げんめいてんのう ―てんわう 【元明天皇】[661〜721]第四三代天皇(在位[707〜715])。名は安閇(あべ)。天智天皇の皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘。草壁皇子の妃。文武・元正両天皇の母。在位中に,和同開珎鋳造,平城遷都や「古事記」「風土記」の編纂が行われた』

「朱雀院」、『すざくいん ―ゐん 【朱雀院】平安時代の後院の一。嵯峨天皇以後,代々の天皇が譲位後に住んだ御所。朱雀大路の西,三条の南に八町を占めていた』

「扶桑略記」、『ふそうりゃっき ふさうりやくき 【扶桑略記】歴史書。三〇巻,うち一六巻分と抄本とが現存。皇円著。平安末期成立。神武天皇から堀河天皇までを漢文・編年体で記す。六国史以下の国史・記録類,諸寺の僧伝・縁起などを抄録する。仏教関係の記事が多い』

「水飛」、『すいひ【水簸】土粒子の大きさによって水中での沈降速度が異なるのを利用して,大きさの違う土粒子群に分ける操作。陶土を細粉と粗粉に分けたり,砂金を採集する場合などに用いる』

 おもに日本画に用いられている紺青の製法についての説明です。

しかし、18世紀中頃に輸入されたベルリン藍ことベロ藍、歌川広重をはじめ北斎や同時代の絵師たちがさかんに使いました。

 

2026年4月5日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その23

P37 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅 山 ふ起金 渡 し方

可奈やま  可ね

かねやまふきがねわたしかた


ふ起あげ多る金 をこり尓作 りて荷物 とし京  大 坂

            つく

ふきあげたるかねをこりにつくりてにもつとしきょうおおさか


等 へ出春也 銅 鉄 皆 同 し◯鋼鉄 ハ鉄 をよくきたひ

                 者可ね

とうへだすなりどうてつみなおなじ はがねはてつをよくきたい


多る也 五車 韻 瑞 尓鋼  ハ堅 鉄 なりとあり刀 釼 をつくるゆえ耳

たるなりごしゃいんずいにはがねはけんてつなりとありとうじんをつくるゆえに


刃金 といふ

はがねという


むしろ包  便  る所

むしろつつみべんずるところ

(大意)

(補足)

「五車韻瑞」、『ごしゃいんずい ―ゐんずい 【五車韻瑞】

中国の韻書。一六〇巻。明の凌稚隆の撰。「韻府群玉」にならって経・史・子・集・賦の五部に分け,熟語と出典を示す』

「むしろ包便る所」、便は使のようにもみえますが、おくりがなが「る」なのでどうかと。

 ずいぶん大きな竿天秤です。ちゃんと目盛りが手を抜くことなく刻んであります。

 第一巻はこれで終わりです。

ことあるごとに絵師の人物等が稚拙であることを述べてきましたが、これはこのBlogの直前の「繪本寶能縷」の絵がきわめて美しかったからでもあります。

この絵師の役割は、鉱山で働く人々や職人さんたちがどのように協働しているのか、諸道具をどのように使っているのかがわかるように描き記したものと考えれば、充分にその役割ははたされているようにおもわれます。

 さて、第二巻は農林系加工品となります。

 

2026年4月4日土曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その22

P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

灰 吹

者いぶき

はいぶき


灰 吹 ハ竿 銅   を南 蛮 吹 尓して銀 を志本る也 灰 をこねて

     さをあ可ゝね

はいぶきはさおあかがねをなんばんぶきにしてぎんをしぼるなりはいをこねて


ふいごの口 へ土手をつきてふく也 故 尓灰 吹 といふ銀 の上  品 を南

                                    奈ん

ふいごのくちへどてをつきてふくなりゆえにはいぶきというぎんのじょうひんをなん


鐐  と云 又 軟 挺 とも云 尒雅 尓い者く白 金 古連を鈷といふ其 美なる

里やう     なんてい    じ可゛

りょうというまたなんていともいうじが にいわくしろがねこれをこというそのびなる


毛のを鐐  と云 云ゝ  又 印 子と云 ハ

               いんす   

ものをりょうといううんぬんまたいんすというは


准 南 王 劉  安 上  金 の上 尓劉  の字を

王い奈ん王う里 うあん

わいなんおうりゅうあんじょうきんのうえにりゅうのじを


き佐満せられ多る金 なり続 博 物 志尓見へ多り

            ぞく者くふ川し

きざませられたるきんなりぞくはくぶつしにみえたり


たゝら可べ 水 本゛うき尓てミづう川所   春者゛い 春者゛いおけ

たたらかべ みずぼ うきにてみずうつところ すば い すば いおけ


たてつち者゛

たてつちば

(大意)

(補足)

「灰吹」、『はいふきほう はひ―はふ 【灰吹き法】

金・銀などを精錬する方法。炉(反射炉の一種)の下面にくぼみをつけて灰を詰め,その上に載せた金・銀と鉛との混合物を加熱して鉛を溶かし出して灰に吸収させ,金・銀を採取する』。『はいふきぎん はひ― 【灰吹き銀】

灰吹き法で精錬した銀。室町中期以降,銀地金(ぎんじがね)として用いられた』

「南鐐」、『なんりょう ―れう【南鐐】

① 上質の銀。精錬された美しい銀。南挺(なんてい)。「―を以て作りたる金の菊形」〈義経記•6〉

② 二朱銀の通称。表面に「以南鐐八片換小判一両」と刻まれていた。南挺』

「尒雅」、『じが 【爾雅】

中国最古の辞書。三巻。経書,特に詩経の訓詁解釈の古典用語を収集整理したもの。紀元前二世紀頃成立。現存の書は釈詁・釈言・釈訓など一九編に分類されている。十三経の一』

「准南王劉安」、『りゅうあん りう―【劉安】

[前178頃〜前122]中国,前漢の学者。漢の高祖の孫。淮南王(わいなんおう)に封ぜられ,「淮南子(えなんじ)」を撰し,武帝から尊重されたが,のちに謀反が発覚し自殺した』

「続博物誌」、『はくぶつし 【博物志】

① 中国,晋(しん)代の民俗風物誌。一〇巻。張華著。山川・物産・外国・異人・異俗・獣鳥虫魚・薬物・服飾・器名などについて記した書。宋代の「続博物志」はこの書にならって李石が著したもの』

 右から2番目の職人さんが左手で、くじを引かせるような仕草をしています。これは説明文にあるように、小さな箒(ほうき)で水をうっているところなのでした。

 

2026年4月3日金曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その21

P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

鉄  蹈鞴

てつのたたら

てつのたたら


鉄 をふく尓ハふいご尓てハ湯尓奈り尓くし故 尓たゝら尓か

てつをふくにはふいごにてはゆになりのくしゆえにたたらにか


けて湯尓和可春なり

けてゆにわかすなり


哥 飛とすぢ尓者げむ心  の力  奈里満可゛ねもつゐ尓湯とぞ奈り个る

うたひとすじにはげむこころのちからなりまが ねもついにゆとぞなりける


満可゛ねふく志川゛のいとなミいと満なや身能い多づきも思 ひ志らずて

まが ねふくし ずのいとなみいとまなやみのいたずきもおもいしらずて

(大意)

(補足)

 大きな白い壁はもちろんたたら壁。こんなにおおきなふいごを使っていたのですね。

 左の三人はまぁ力をいれて踏んでいるように描かれています。この絵師は人物をうしろからとらえるのがとても苦手なようで(いままで見てきた絵でも同じです)、右側三人のとくにその左端の黒い半纏の職人の脚の構えがちとおそまつであります。

 

2026年4月2日木曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その20

P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

鉄 山 の繪

てつさんのえ


鉄 ハ掘 出し多る土 な可゛らに水 尓奈可゛して鉄 を取ルなり

てつはほりだしたるつちなが らにみずになが しててつをとるなり


あさき流  川 尓むしろを志起その上 ヘ本り多゛したる山 土 を

あさきながれかわにむしろをしきそのうえへほりだ したるやまつちを


奈可゛しかくれバ鉄 ハむしろの上 尓と満り土ハ皆 な可゛れ行 奈り◯

なが しかくればてつはむしろのうえにとまりつちはみなが れゆくなり


石 見備 中

いわみびっちゅう


備 後の三 ケ国 お本く鉄 あり備 中  に真金 ふくことといへる哥 あり古今

びんごのさんかこくおおくてつありびっちゅうにまがねふくことといえるうたありこきん


集  尓のせ多り延 㐂天 皇 の御 時 すで尓備 中  尓お本く可ねを堀 多ると

しゅうにのせたりえんぎてんのうのおんときすでにびっちゅうにおおくかねをほりたると


見へ多り可ねハ金 銀 銅 鉄 の惣 名  尓て鉄 ハ黒 金 奈り

みえたりかねはきんぎんどうてつのそうみょうにててつはくろがねなり


ゐごや

いごや

(大意)

(補足)

 説明文にふりがながまったくありません。表題「鉄山」の読みは、目次にあって「て川さん」。

「鉄」の旁が「失」のような「矢」のような、調べてみると俗字で「鉃」でも「てつ」でした。

「掘出し」、「堀」の旁は「屈」で、その中は「出」です。ちゃんと「出」のくずし字になっています。

「延㐂天皇」、『醍醐(だいご)天皇のこと。えんぎ【延喜】年号(901年7月15日〜923.閏4.11)。昌泰の後,延長の前』

 土砂に交じる砂鉄の取り出し方の説明です。日本全国各地に「たたら浜」というような地名がありますがみな砂鉄の砂でした。その地域では刀や鉄製品が作られていました。

 砂鉄から鉄を精製するのに大量の樹木が伐採されて森が破壊されてしまい、そこに住まう様々な生き物たちが抗議に立ち上がるというアニメがありました。

 

2026年4月1日水曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その19

P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

南 蛮 鞴(革匍)

奈ん者んふき

なんばんぶき


奈ん者゛んぶきハたゝら可べ尓つけ者ぐちをして二て うふいごにて

なんば んぶきはたたらかべにつけはぐちをしてにちょうふいごにて


ふく也 銅 よりな満里を志本゛り取 尓用 由る也 又 銅 より銀 を

ふくなりどうよりなまりをしぼ りとるにもちゆるなりまたどうよりぎんを


志本゛り取 尓もこれを用 由る也◯金 山 の下財 辛 苦して宝  を本り

                 可奈やま げさい志んく

しぼ りとるにもこれをもちゆるなりかなやまのげざいしんくしてたからをほり


出しての世和多り唯 おの連可゛口 を養  ふのミ多分 の利ハ皆 金 山 司乃

                        たふん

だしてのよわたりただおのれが くちをやしなうのみたぶんのりはみなかなやましの


徳 用 となれ里唐 の羅隠 可詩尓採 得 百  花  成 密 後 不知 

        とう らいん   とりゑてひゃくくハを?てミつのちす志ら

とくようとなれりとうのらいんがしに


辛 苦 為  誰   甘     といへる蜂 の身能上 と同 しかるへし

志ん??ため尓多れ可゛あま可らしむ    者ち

                 といえるはちのみのうえとおなじかるべし


つけ者ぐち たゝらかべ 二て うふいご

つけはぐち たたらけべ にちょうふいご

(大意)

(補足)

 その17の「真鞴大工所作」のフイゴと異なる漢字が使われています。フォントがありませんが偏と旁は「革」+「匍」。

「採得百花成密後不知辛苦為誰甘」、『百花を摘み集めて蜜を作り、その苦労が誰のためなのかも知らず、ただ甘く味わう』。百花を集めて蜜を作り上げた後、いったい誰のために苦労し、誰のために甘い蜜を造っているのか?

 著者はここまで淡々と職人たちの働く様子や諸道具について述べてきましたが、ここでは彼らの過酷な現場と生活の辛苦にふれています。唐の羅隠の詩が胸にしみます。

 つけ者ぐちから流れ出る金属の細かな様子が上手に描かれています。

 

2026年3月31日火曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その18


P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

金 山 淘 汰  繪

きんさん可ね由り

きんさんかねゆりのえ


金 山 ハ本り出し多る者く石 をく多゛起て石 う春にて飛き可

きんさんはほりだしたるはくいしをくだ きていしうすにてひきか


らう春尓てつき猫 田奈可゛しに可けてその上 を板 ゆりに可くる也

らうすにてつきねこだなが しにかけてそのうえをいたゆりにかくるなり


此 者多らき人 ハ賃 をとら春゛衣 裳 尓志ミ付 多る金 の粉 を取 て

         ちん

このはたらきにんはちんをとらず いしょうにしみつきたるきんのこなをとりて


その日能いと奈ミと春る也 昔  ハとぢ金 といふて黄 金 一 可多満りに

             む可し

そのひのいとなみとするなりむかしはとじきんというておうごんひとかたまりに


可多満里多る可゛出个れとも今 ハそれハ甚  多゛まれ尓て

                   者奈ハ

かたまりたるが でけれどもいまはそれははなはだ まれにて


唯 者くいし者゛可りなりい尓しへミちのく山 尓こ可゛ね

多ゝ

ただはくいしば かりなりいにしえみちのくやまにこが ね


花 さくといへるハとぢ金 奈るべし

はなさくといえるはとじきんなるべし


板 取  猫 田流 し

いたどり ねこだながし

(大意)

(補足)

 数頁前に「銀山淘汰の繪」があって、そこでは「金山の板由りのごとく」と今回の内容が先取りされていました。

 現在でも金鉱石(鉑石)から金をとる方法は、このときとほとんど変わらず、変わったのは人力ではなく動力によることくらいです。

 猫田流しの職人が座っている椅子の脚がきちんと描かれていたり、から臼で砕いている繪がちゃんと砕きおわったものが細かくなっていたり、この絵師は人物は下手ですが、このようなところは丁寧です。

 

2026年3月30日月曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その17

P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

真鞴 大  工所 作

まぶき多゛いく

まぶきだ いくしょさ


満ぶ起といふハ銅 より白 め殻 実をぬきとりて正  味者゛

           しろ 可らミ

まぶきというはどうよりしろめからみをぬきとりてしょうみば


可り尓仕あげてう春銅 尓遍ぐ也 ふいごハ二挺  ふいごなり哥 ニ

かりにしあげてうすどうにへぐなりふいごはにちょうふいごなりうたに


満可゛ねふくとよめるハまぶきのことなりべし

まが ねふくとよめるはまぶきのことなりべし


古今 集  大 哥 所  の御 哥

こきんしゅうおおうたどころのおんうた


ま可ねふく吉備の中 山 帯 尓せる細 谷 川 乃音 のさやけき

まがねふくきびのなかやまおびにせるほそたにかわのおとのさやけき


吉備の中 山 ハ備 中  也 今 も備 中  より多 く鉄 を出せり

きびのなかやまはびっちゅうなりいまもびっちゅうよりおおくてつをだせり


たゝら可遍 ふいごハ壁 のうらに有

たたらかべ ふいごはかべのうらにあり

(大意)

歌「ま可ねふく吉備の中山帯尓せる細谷川乃音のさやけき」。

『鉄(くろがね)を精錬する煙が漂う吉備の中山、その山を帯のようにぐるりと巡って流れる細谷川の、水の音がなんと澄み切って清らかなことよ』。

 吉備の中山の麓をとりまくような煙のながれは、まるで川のよう。その下には細谷川がまるで煙をなぞるように静かに流ています。細谷川の静かな水の音の中にかすかにふいごの音がきこえます。

(補足)

表題「真ぶき」の漢字を鞴(ふいご)で代用。

「所作」、「作」のくずし字は特徴的で忘れません。

「白め」、『しろめ【白鑞・白目】

スズに鉛を少し混ぜた合金。スズの細工物の接合剤,銅容器のさび止めなどに用いた。しろみ。しろなまり。はくろう』。ここでは銅精製途中の不純物である錫や鉛のこと。

「殻実」、『スラグslag金属製錬の際,溶融した金属から分離して浮かび上がるかす。非鉄金属の場合は鍰(からみ)という。道路の路盤材,セメントの原料などにする。溶滓(ようし)(ようさい)。鉱滓(こうし)(こうさい)。のろ』

「まぶき」、『まぶき【真吹き】

中世後期に行われた製銅法。木炭粉末を粘土でこねて作った容器に銅の鈹(かわ)を入れ,羽口(はぐち)から風を吹き込み,溶融して不純物を酸化させ粗銅を得る』

「大歌所(おおうたどころ)の御歌(おんうた)」、『おおうたどころおんうた おほ― 【大歌所御歌】大歌所が収集・管理し,教習した歌。古今和歌集巻二〇に部立ての名の一つとして立てられ,その一部が収められている。宮中儀式で用いられた伝統的な歌謡(神楽歌、風俗歌、東歌など)』

「吉備の中山帯尓せる」、山と帯がくっついていて峯に見えてしまいます。

「音」のくずし字は難しい。

「たゝら可遍 ふいごハ壁のうらに有」、これらの様子は前頁「鉛」、前々頁「銅山床屋」にもありました。

 水銀、鉛、銅など諸金属精錬での人体への影響被害に対処するのは、つい最近である昭和の時代になってからでした。

 

2026年3月29日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その16

P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

奈まり

なまり


説 文 にい者く鉛  ハ青 金 奈り錫 の類 と云々管 子尓い

        奈まり あを可ね  すゝ るい

せつもんにいわくなまりはあおがねなりすずのるいといいかんしにい


者く山 上 尓鉛  あれ者その下 尓銀 あり山 上 尓銀 あれ者゛

わくやまかみになまりあればそのしもにぎんありやまかみにぎんあれば


その下 尓丹 ありといへ里此 丹 ハ丹 砂 とてす奈者ち朱 砂 のこと也

                            し由しや

そのしもにたんありといえりこのたんはたんしゃとてしなわちしゅしゃのことなり


今 繪の具尓用 由る丹 ハ別 尓鉛  を焼 てこしら由る也

いまえのぐにもちゆるたんはべつになまりをやきてこしらゆるなり


又 白粉  も鉛  をやきて制 する奈り各 別 法 有り別 巻尓志る春

  おしろい

またおしろいもなまりをやきてせいするなりかくべっぽうありべっかんにしるす


◯鉛  ハ山 より本り出し湯尓王可して流 せ者゛竿 と成ル也

 なまりはやまよりほりだしゆにわかしてながせば さおとなるなり


土 形 をこしらへ底 尓筋 をつけて其 上 へ王可し多る鉛  を奈可゛春也

つちがたをこしらへそこにすじをつけてそのうえへわかしたるなまりをなが すなり


な満里竿 可ね てご 大 工

なまりさおがね てご だいく


(大意)

(補足)

「説文」、『せつもんかいじ 【説文解字】

中国の現存最古の字書。後漢の許慎の撰。100年頃成る。当時の九千余字の漢字を部首別に配列し,六書(りくしよ)の説により造字法・意義・音を解説したもの。中国文字学の基本的文献。説文』

「管子」、『かんし くわんし 【管子】

② 中国古代の政治論文集。管仲の著と伝えられるが,一人の作ではなく戦国時代から漢代にかけて成立したとみられる。現存七六編。経済政策や富国強兵策などを記す』

 方鉛鉱販売のHPからの借用です。

『方鉛鉱は鉛の鉱石としてもっとも重要な鉱物です。方鉛鉱の鉛含有率が86%と高く、鉛の融点が低いため、精錬技術の未発達な古代でも、たき火に方鉛鉱を放り込むだけで金属鉛が得れました。方鉛鉱は、閃亜鉛鉱を伴って、熱水鉱脈、黒鉱鉱床、ミシシッピバレー型鉱床、接触交代鉱床などに広く産出されます。銀白色で、6面体、8面体およびその集形の自由結晶を作っています』

 子どものころ、わたしの兄が所有していました。キラキラしてきれいでした。

また若かりし頃のこと妻の実家に遊びにゆくと、漁師の義父が漁に出れないとき、タコ漁の道具を作ってました。鉛の棒(竿)を、白雪鍋に入れて七輪で溶かし湯にします。それを木型に流しこんで重りをたくさんこしらえていました。

 奈満里竿かねを何本か束にまとめていますが、これは重いはずです。

白粉を鉛を焼いて作るとありますが、江戸時代の歌舞伎役者を始め、広く使われていましたから、鉛の中毒がひどく、江戸時代の乳幼児死亡率が高かった原因のひとつとされているとありました。

 

2026年3月28日土曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その15

P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅 山 床 家

    とこや

どうやまとこや


釜 家にて焼 多るあ可ゞ袮を湯尓和可して丸 銅 尓仕あぐる所

  や

かまやにてやきたるあかがねをゆにわかしてまるどうにしあぐるところ


を床 家といふ也 銅 を湯尓王可春時 銅 うへ尓吹いで多るを

をとこやというなりどうをゆにわかすときどううえにふいでたるを


可王をりといひ又 そこ尓古り可多満り多るをとこ志゛りと云 て

かわおりといいまたそこにこりかたまりたるをとこじ りというて


二 品 あり又 石 土 の湯となり多るを可らみといふ又 どぶともいふ

ふたしなありまたいしつちのゆとなりたるをからみというまたどぶともいう


和可し多るあ可ゞ袮を飛や春所  をどぶ可゛といふ奈り

わかしたるあかがねをひやすところをどぶが というなり


たゝら壁  ねこ者ぐち 衣莚   まへでこ弐人  吹 大 工 二挺  ふいご

たたらかべ ねこはぐち いむしろ まえでこににん ふきだいく にちょうふいご


どぶ可゛銅 を飛や春所

どぶが どうをひやすところ

(大意)

(補足)

「二品」、「品」と「所」のくずし字はそっくりです。文章の流れから読むしかありません。

「石土」、「土」のくずし字も、こんなわずか3画の簡単な漢字なのに、わかりずらい。

「たゝら壁」、この「壁」、読めません。「土」の部分のくずし字が「土」にはみえます。

「衣莚」、読みは適当です。看板のように首からぶら下げて、防熱服のかわりです。

 5,6人の職人さんが諸道具のところで描かれていた道具を手にしています。

 

2026年3月27日金曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その14

P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

釜 家の繪図

可まや

かまやのえず


銅 山 より本り多゛し多る者く石 をく多゛起床 にて焼 釜 にて

どうざんよりほりだ したるはくいしをくだ きとこにてやきがまにて


やく也◯毛ろこし尓てハ銅 を重  宝 と春ること漢 書 尓見多り

やくなりもろこしにてはどうをちょうほうとすることかんしょにみたり


律 歴 志尓いハく凡  律 度量  尓銅 を用 由る者 ハ其 物 多ゝ至精 尓

りつれきしにいわくおよそりつどりょうにどうをもちゆるものはそのものただしせいに


して燥 湿 寒 暑 の多め尓節 を変 せ春゛霜 露風 雨の多め尓形  を

してそうしつかんしょのためにふしをへんぜず そうろふううのためにかたちを


あら多め春゛とあり古れ尓よ川て唐 船 売 買 交 易 尓あ可ゞねを

あらためず とありこれによってとうせんばいばいこうえきにあかがねを


多川とむと見へ多り

たっとむとみえたり


くちずミ 焼 木 尓可゛満 焼 可満

くちずみ やきぎ にが ま やきがま

(大意)

(補足)

「漢書」「律暦志」、『『漢書』律暦志(りつれきし)は、前漢の歴史書『漢書』の志(専門分野別の書)の一つ』。

「律度量」、『度は長短,量は多少,衡は軽重』。

「尓可゛満」、変体仮名の「尓」、「丹」のどちらにもみえますし、「舟」のくずし字にもにています。う〜ん🤔・・・、変体仮名の尓にしておきましょう。しかしどうも気になるので目次を確かめてみると、答えは「舟(ふ奈)可ま」でした。

 天秤棒とセットの重りを分銅ともいいます。「銅」を使っているわけですけど、その理由がここで述べられています。

 

2026年3月26日木曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その13

P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

山  神 祭

やまのかみまつり


山 の神 ハ山 口 に所  をゑらびて社  を勧  請  春

                            やしろ く和んじやう

やまのかみはやまくちにところをえらびてやしろをか んじょうす


神 ハおの\/能願 ひ

かみはおのおののねがい


によりて定  り多ること奈しまつ里の日ハ京  大 坂 より芝 居見世物

によりてさだまりたることなしまつりのひはきょうおおさかよりしばいみせもの


奈どを取 よせいとに起゛や可にい者ひまつることなり近 邊 の

などをとりよせいとにぎ やかにいわいまつることなりきんぺん


在 \/村 \/より参 詣 の男 女 くんじ由春れ者゛物 う里諸 あきんど

ざいざいそんそんよりさんけいのだんじょくんじゅしれば ものうりしょあきんど


お保くあ川まりて其 にぎ者ひ諸 社 の大 神 事尓こと奈ら春゛

おおくあつまりてそのにぎわいしょしゃのおおしんじにことならず


神 前 尓て可奈らす神 事春まふ有 近 邊 のすまふ取 どもお保く

しんぜんにてかならずしんじすまうありきんぺんのすまうとりどもおおく


あ川まりて尓起゛や可なり祭  ハ九月 九  日奈り

あつまりてにぎ やかなりまつりはくがつここのかなり

(大意)

(補足)

「くんじ由」、『くんじゅ【群集・群衆】

(名)スル 〔「くん」は漢音。「くんじゅう」「ぐんじゅ」とも〕

人が群れをなして集まること。また,その人々。「人多く―したり」〈平家物語・2〉』

「春まふ」「すまふ」、『すま・う すまふ 【争ふ】

③ つかみあって争う。また,相撲をとる。「振離さんとて―・ひしかど」〈当世書生気質・逍遥〉』

 相撲取りのまわしの柄がことなっていておしゃれ。また当時のまわしはちいさな前掛けみたいな感じ(前垂れずっと小さくした?)でしめているのがわかります。さがりはありませんね。

 

2026年3月25日水曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その12


P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

銀 山 淘 汰 の繪

ぎんさん可ねゆり

ぎんざんかねゆりのえ


銀 山 の鉑 石 上 の繪尓あらハ春ごとく打 く多゛起て粉 と奈して

ぎんざんのはくいしうえのえにあらわすごとくうちくだ きてこなとなして


水 尓てゆる也 金 山 の板 由りのごとし但  銅 ハ水 ゆ里尓春ること奈く

みずにてゆるなりかなやまのいたゆりのごとしただしどうはみずゆりにすることなく


直 尓焼 釜 にてやく也 淘 汰 の仕やうハ半 切 桶 尓水 を汲 入

すぐにやきかまにてやくなりかねゆりのしようははんぎりおけにみずをすいいれ


可奈め鉑 を鉢 尓い連水 にて由れハ土石 ハ皆 半 切 桶 の水 尓おちて

かなめはくをはちにいれみずにてゆればどせきはみなはんきりおけのみずにおちて


銀 ハ鉢 の中 にのこるなりたいていハ金 山 の板 ゆりと同 じこと奈り

ぎんははちのなかにのこるなりたいていはかなやまのいたゆりとおなじことなり

(大意)

(補足)

 金山諸道具の頁に可ねゆり板はありましたが半切桶はありませんでした。きっと大きなタライがそうだとおもいます。

 働いている御婦人たちみな前帯になっています。


2026年3月24日火曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その11

 

P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

鉑 石 く多゛く繪

者くいし


山 より本り出し多る鉑 石 をもち出してうちく多゛く

          者くいし

やまよりほりだしたるはくいしをもちだしてうちくだ く


これを可奈めといふ故 尓その槌 を可奈めつちと云 也

         由へ   つち       いふ

これをかなめというゆえにそのつちをかなめつちというなり


鉑をく多゛くハお保くハ女  の所 作なり鉑 を入 て背 負うつ者物 を

               志よさ        せへおふ

はくをくだくはおおくはおんなのしょさなりはくをいれてせ おうつわものを


ゑぶといふゑぶの正 字はいま多゛詳   奈ら春゛又 者くも鉑 の字正 字尓

               つまひら可

えぶというえぶのせいじはいまだつまびらかならず またはくもはくのじせいじに


あら春゛鉑 ハ金 鉑 銀 鉑 の者くなり字彙尓い者く鋛古猛切音硫金銀鉄

あらず はくはきんぱくぎんぱくのはくなりじいにいわく


璞也 とあり本 字ハ鋛奈るべし

 なりとありほんじは なるべし


可奈め槌

かなめつち

(大意)

(補足)

「字彙」、『じい じゐ 【字彙】中国の字書。一二集。他に首・末二巻。明の梅膺祚(ばいようそ)の撰。画引き字書の最初のもの』

「鋛古猛切音硫金銀鉄璞也」をDeepLに放り込むと代案として「鎚古は猛く音を刻み、硫黄・金・銀・鉄は未加工のままである」、「古の鋛、猛き音、硫黄、金、銀、鉄、未加工の石もまた然り」などとかえしましたが、どうも意味不明です。

 ここでも三人の職人さんたち、紋がそでや肩にあります。

ゑぶに満杯にしたら、40〜50kgはあるでしょうか。

腰につけているのは円座。手にしているのはてぶです。


2026年3月23日月曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その10

P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

金 山 鋪 の中 能繪

可奈やましきのうちのゑ

かなやましきのうちのえ


鋪 口 より段 ゝ 本り入 上 と両  方 とにハ皆 鋪 口 の繪能ことく

しきくち  多ん\/    うへ         ミ奈

しきくちよりだんだんほりいりうえとりょうほうとにはみなしきぐちのえのごとく


矢をい連て大 石 のくづれぬやう尓する也

やをいれておおいしのくずれぬようにするなり


下財 ハ皆 あ多まをつゝみ腰 尓円 座をつけさゞい可゛ら尓油  を入

げざい ミ奈

げざいはみなあたまをつつみこしにえんざをつけさざいが らにあぶらをいれ


飛やうそく尓火をともして持 行 也 此 火尓てあ可りを取 て者多らく也

            もち由く

ひょうそくにひをともしてもちゆくなりこのひにてあかりをとりてはたらくなり


風 廻 し口 奈个れ者此 火ともり可゛多し又 水 王く時 ハ戸樋尓て

                              とひ

かぜまわしぐちなければこのひともりが たしまたみずわくときはといにて


水 を引 上ゲ大 切 口 へおと春也 金 本り鉑 石 を取者゛

                   可ね

みずをひきあげおおきりぐちへおとすなりかねほりはくいしをとれば


ゑぶ引 者古び出春也 石 目とて大 金 有 所  ハ个゛んのう尓て打者川゛春なり

                  可ね

えぶひきはこびだすなりいしめとておおがねあるところはげ んのうにてうちはずすなり


ゑぶ引  かね本り所   大 可゛ね者川゛春てい

えぶひき かねほりどころ おおが ねはず すてい


可けや尓て孫 八 を打 こむ 水 ひくてい

かけやにてまごはちをうちこむ みずひくてい

(大意)

(補足)

「飛やうそく」、『ひょうそく ひやう―【秉燭】

油皿の一種。中央に臍(ほぞ)のようなものがあり,それに灯心を立てて点火するもの。』

 この本の絵師は人物描写は稚拙ですけど、ここで使用している道具、ゑぶの竹籠や円座の縄模様などは得意なようです。

 職人さんたちの着物の肘や背中にそれぞれ異なる紋が入っています。職人集団の区別のためでしょうか?

 

2026年3月22日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その9


P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

金 山 鋪 口

かなやましきくち


金 銀 銅 鉄 皆 本り可多ハ同 じ仕上 ハすこしづゝのち可゛いあり金 山

きんぎんどうてつミ奈        しあげ             かなやま

きんぎんどうてつみなほりかたはおなじしあげはすこしずつのちが いありかなやま


本里入ル口 を鋪 口 といふ四 本 枕  をたてゝ上 と右 左  の三 方 尓

       しきくち       まくら       みぎひだり

ほりいるくちをしきくちというよんほんまくらをたててうえとみぎひだりのさんぽうに


乱 株 を入るゝ也 此 乱 株 を矢といふ三 方 

らんくい             や       

らんくいをいるるなりこのらんくいをやというさんぽう


とも尓矢の数 ハ十  六 本 づゝ奈り

     可ず

ともにやのかずはじゅうろっぽんずつなり


上 の矢の上 尓和多春木をけ志やう木といふ此 鋪 口 を四川どめといふ

うえのやのうえにわたすきをけしょうきというこのしきぐちをよつどめという


此 王きの方 尓風 廻 し口 をあくるなりあれハいき出しなり

このわきのほうにかぜまわしくちをあくるなりあれはいきだしなり


是 尓て鋪 の中 能あ可りを取ル也 大 切 口 ハ水 ぬき也

これにてしきのなかのあかりをとるなりおおきりくちはみずぬきなり


役 所 小屋堀 子能小屋ハ鋪 の外 尓あり

やくしょごやほりこのこやはしきのそとにあり


風 廻 し口  四ツ畄メ口  水 ぬき也 大 切 口  山 神  宮

かぜまわしくち よつどめくち みずぬきなりおおきりくち やまじんぐう

(大意)

(補足)

「右左」、ふつうは左右(さゆう)ですけど、ここでは右左となっています。

「矢の数ハ十六本づゝ奈り」、上と左右の矢を数えてみると、ちゃんと16本ずつでした。

「乱株」、辞書に「くい」は『杭・杙・株』があって、ここでは「株」を採用。

 鉱山やトンネル堀は水との戦いといいます。この画でも左下に小川のような水抜きの大切り口があります。

 

2026年3月21日土曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その8

P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

金 山 諸 道 具

可奈やま志よどうぐ

かなやましょどうぐ


金 銀 銅 鉄 通 して可奈山 と云 い者由る金 ハき可゛ね銀 者

きんぎんどうて川つう    やま いふ    きん     ぎん

きんぎんどうてつつうじてかなやまといういわゆるきんはきがねぎん は


志ろ可ね銅 ハあ可ゞね鉄 ハくろ可゛ね鉛  ハ青 可゛ね也

                   なまり

しろがねどうはあかがねてつはくろが ねなまりはあおが ねなり


いづ連もすこしづゞか王りめあ連ども大 やうハ同 じこと也

いずれもすこしずつかわりめあれどもたいようはおなじことなり


金 を本り入ルあ奈を鋪 といひ鋪 より本り

可ね        しき   しき

かねをほりいるあなをしきといいしきよりほり


出し多る鉑 をく多゛きて焼 釜 尓てや起湯尓王かして丸 可ね尓仕上 る也

    者く      やき可ま    ゆ     まる   しあぐ

だしたるはくをくだ きてやきがまにてやきゆにわかしてまるがねにしあぐるなり


此 所  を床 屋と云 それ\/尓用 由る道 具絵図のことし

          いふ     毛ち  とうぐゑづ

このところをとこやというそれぞれにもちゆるどうぐえずのごとし


此 道 具を通 じて床 屋道 具という也

  とうぐ つう  とこやとうぐ

このどうぐをつうじてとこやどうぐというなり


上 の繪尓あらハ春銅 山 鍛冶のきたひこしら由る所  なり

   ゑ

うえのえにあらわすかなやまかじのきたいこしらゆるところなり


か王遍ぎ 可王古き 者り 口 とり ま多 かね遍ぎ からみ引

かわへぎ かわこき はり くちとり また かねへぎ からみひき


猫田  奈で木 可ねゆり板  水 さ可゛し 炭 出し どぶ可き

ねこだ なでぎ かねゆりいた みずさが し すみだし どぶがき


可らみ可き 木作  也  可ねとり ゆぬき げし 本゜川者

からみかき きづくりなり かねとり ゆぬき げし ぽ っは


さゞい火と本゛し た可ね 可奈め砕 づち 孫八   竹 水 とゆ ゑぶ

さざいひとぼ し たがね かねめさいずち まごはち たけみずとゆ えぶ


山 づち てぶ ゆ里者゛ち げんのう 升  だ川 木水 とゆ

やまづち てぶ ゆりば ち げんのう ます だつ きみずとゆ

(大意)

(補足)

「金山諸道具」、金のくずし字、「人」の下が「弓」にも「己」にもみえます。

「道」のくずし字がたくさんでてきました。これだけ出てくればもう忘れません。

「銅山鍛冶のきたひこしら由る所」、「きたひ」ってなんでしょう。

「さゞい火と本゛し」、形状が栄螺(さざえ)の貝殻のようなのでこの名前なんでしょう。

 諸道具が丁寧詳細に描かれていて、このうちのいくつかが前回の絵の中にあります。

 

2026年3月20日金曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その7

P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅 山 鍛冶

可奈やま可ぢ

かなやまかじ


鋪 の中 尓て用 由る道 具あま多阿り皆 山 尓てこしら由るなり

しき 奈可  もち

しきのなかにてもちゆるどうぐあまたありみなやまにてこしらゆるなり


故 尓鍛冶屋を多てゝその職  人 を可ゝへ

由へ 可ぢ       志よく尓ん

ゆえにかじやをたててそのしょくにんをかかえ


あら多尓道 具をこしら由るのみ尓あら春゛

あらたにどうぐをこしらゆるのみにあらず


そ古ねやぶれ多るを奈於しつくらふ奈里

そこねやぶれたるをなおしつくろうなり


其 道 具能品 ゝ ハ次 尓絵図あり見合 春へし

その         つぎ ゑづ

そのどうぐのしなじなはつぎにえずありみあわすべし


◯山 の役 人 あま多阿り

 やまのやくにんあまたあり


鋪 役人 床 屋 手子 山 留 役人 焼 出  鉑 持  鍛冶

しき   とこや てご やまどめ   やき多し 者く毛ち 可ぢ


釜 大 工 素吹 大工 間吹 大工

可まだいく すぶき   まぶき

(大意)

(補足)

「由」が変体仮名「ゆ」としてたくさん使われています。「由」の縦棒がギザギザのようになるのが特徴。

「道具」、道のくずし字はくずし字を学び始めたときに必ずえっ!とおもうような特徴的なかたちです。

「品ゝ」、品のくずし字は所とほとんど同じなので、文章の流れから判断するしかありません。

 長谷川光信の人物全体の動作の所作や仕草などいまひとつというよりもそれ以前のレベルで、当時の絵師のなかでは下手くそな部類に入ると思います。表情、特に目の表現が独特です。

 鉄を真っ赤にする炉の中の絵が奥の隅の縦棒を入れればよかったのにとおもいます。

それぞれ職人が何をやっているのかがよくわかって興味深い。

 

2026年3月19日木曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その6

P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅  山 諸 色 渡  方 の圖

あ可ねやま志よしき王多し可多 づ

あかねやましょしきわたしかたのず


山 口 尓可り屋をかまへ金 銀 米 銭 炭 薪  味噌塩

やまぐち   や    きんぎんこめぜにすミたきゝミそし本

やまぐちにかりやをかまえきんぎんこめぜにすみたきぎみそしお


油  醤  油 一 さい所 帯 方 の入 用 物 をとゝのへ

あぶら志やうゆう    せ たい可多 いりやう毛の

あぶらしょうゆ いっさいしょたいかたのいりようものをととのへ


置 山 の者多らき人 尓割 賦し遣つ春也

おき          王つふ

おきやまのはたらきにんにわっぷしけっすなり


東 国 尓てハ古連を臺 所  といひ西 国 尓てハ勘 場と

とうこく      だいところ   さいこく   可ん者゛

とうごくにてはこれをだいどころといいさいごくにてはかんばと


いふ銅  山 一 切 の入 用 物 此 所  より和多春奈里

  あ可ねやまい川さい  

いうあかねやまいっさいのいりようものこのところよりわたすなり


これ尓よ川て諸 商 人 お本く入 来 り

      志よあきひと

これによってしょあきひとおおくいりきたり


その尓きハひ市 のごとく下 者多らき春る毛のゝ妻 子ハ

            し多         さいし

そのにぎわいいちのごとくしたばららきするもののさいしは


古れよりぜ尓可ねを可けとりてそのいと奈ミを

これよりぜにかねをかけとりてそのいとなみを


弁 春゛るなり

べん

べんず るなり


薪 賣  野菜 賣  元 方 へ銭 を取 尓ゆくてい

まきうり やさいうり もとかたへぜにをとりにゆくてい


(大意)

(補足)

「銭」のくずし字は頻出。「釒」+「お」のようなかたち。

「遣つ春」、「け」の変体仮名「遣」はあまりでてきません。遣わす(つかわす)のくずし字で、でてくるほうが多いとおもいます。

「割賦」、『わっぷ【割賦】〔「わりふ」の転〕

① 借金の返済・代金の支払いなどを月賦・年賦など,何回かに分けて行うこと。かっぷ。割賦償還。

② 割り当てること。配当。』

「弁春゛る」、『べん・ずる【弁ずる・辨ずる】② ものごとをうまく処理する。すませる。「多々(たた)益々(ますます)―・ず」』

「野菜」、「野」のくずし字はあらかじめ学んでないと読めません。

 女性二人は前帯になってますね。また手ぬぐいで髪の毛をおおっています。

 米俵、薪、野菜、帳場の帳面やその奥の品々、醤油樽とその薦(こも)、などなどひとつひとつをこれでもかと丁寧に省略することなく描いています。

 

2026年3月18日水曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その5

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

金 山 堀 口 の圖

可奈やま本りくち づ

かなやまほりぐちのず


金 山 の堀 口 を鋪 口 とも

可奈やま 本りくち しきくち

かなやまのほりくちをしきくちとも


又 ハ真府ともいふ吉 日 をゑらび

ま多 まぶ

またはまぶともいうきちじつをえらび


神 まつりをして普請 尓とりかゝる也

かみあつりをしてふしんにとりかかるなり


可奈山 の者多ら起人を

かなやまはたらきびとを


下財 といふ凡  金 銀 銅 鉄 通 して金 山 といふ

げざい   およそきんぎんとうてつ川う  可奈

げざいというおよそきんぎんどうてつつうしてかなやまという


我 朝  尓金 の出ることハ

和可て う 可ね

わがちょうにかねのでることは


人 王 四十  六 代 孝 謙 天 皇 天 平 勝  宝 年 中 尓

尓ん王う        こう个んてん王うてんへいせ う本うねんちう

にんおうしじゅうろくだいこうけんてんのうてんぺいしょうほうねんじゅうに


者じめて陸奥の国 より本り

    むつ く尓

はじめてむつのくによりほり


出春白 銀 ハ人 皇 四十  代 天 武天 皇 の御時

  志ろ可ね 尓ん王う      てんむてん王う おんとき

だすしろがねはにんのうしじゅうだいてんむてんのうのおんとき


者じめて対馬 の国 よりほり

    つしま く尓

はじめてつしまのくによりほり


出春銅 鉄 ハ神 代より有 と云 伝 へ多り

  登うて川 可ミよ  あり いゝつ多

だすどうてつはかみよよりありといいつたへたり


とめ木

とめぎ


志きより土 を持 出春てい

しきよりつちをもちだすてい


山 口 寸 法 本る所

やまくちすんぽうほるところ

(大意)

(補足)

 序文と本文のあいだに目次がありましたが、本文とほとんど重なっているところが多かったので省略しました。

 5巻の内容は、1巻に鉱山、2巻に農林系加工品、3・4巻に物産、5巻に水産に関することが記されています。

 「堀口」の掘に部品として出があります。ちょうど本文の最後の2行の文頭に「出春」があって、「出」のくずし字がならんでいます。右側の「出」が「掘」の中の出とおなじくずし字になっています。また土と出の形がにているので注意です。

 この本の絵師長谷川光信は、どう贔屓目に見ても、腕はイマイチ、稚拙です。この鉱山で働いている人々をみてもそれはあきらか、どこか小学生の絵日記をおもわせます。

 この本の価値は、本の題名通り、日本各地の名産を上手い下手は勘案しないで、描写したことにありそうです。

 画面の中央付近で丸太の皮を剥いでいる人の道具は手斧(ちょうな)というもの、現在ではあまり使われなくなりましたが、それでも宮大工さんたちにはなくてはならない道具です。

 

2026年3月17日火曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その4

P04 国文学研究資料館蔵

(読み)

知之者旦暮遇」之


 一箇 事 辞ス尓日阿里主 人 只 恁   乞ふに

 ひとつことじすにひありしゅじんただひたすらこうに

 心  裏 おろ\/蒲 柳  欝\/  と撓  天

 こころうちおろおろはくりゅううつうつとたわみて

八十一叟半時庵

時寶曆四年季夏一旬


(大意)

 この序をおわるにあたって、わたしがただただ読者にお願いすることは

自身の心うちはおろおろして、柳の細い枝がたわんでいるように、

心もとないということである。

八十一老人 半時庵にて

宝暦4年初夏

(補足)

 平瀬鉄斎の生没は不明なようです。

本書は宝暦4年(1754)に出版。43年後の寛政9年(1797)に求板で再版されています。それなりに根強く読者がいたものとおもわれます。

 

2026年3月16日月曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その3

P03 国文学研究資料館蔵

(読み)

之心  を継 天両  意を毅  春借  閲 し帝

のこころをつぎてりょういをつよくすしゃくえつして

たとしへなし風 月 之道 清 起流 れも片 とし天

たとしえなしふうげつのみちきよきながれもへんとして

月  也 又 思 ふ雙 林 ノ一 僧 茗  種 之妙  与里陸 氏を

しょうなりまたおもうそうりんのいっそうみょうしゅのみょうよりりくしを

欺  き宴 弗 募  天禅 指空 シ貞  徳 句幸 二記之

あざむきたゆまずつのりてぜんしむなしじょうとくくこうにこれをしるす

千 世 萬 代 飛ら可ん桃 の今年 より且 天 平  二十  一 年

せんせいまんだいひらかんもものことしよりかつてんぴょうにじゅういちねん

二月 丁 巳東 方 異邦 ノ官 人 不賑福-達一-機

にがつていしとうほういほうのかんじんにぎわず????

一以千有余載扶桑時今治治世世不啻

????????????????

(大意)

 AIの概要の現代語訳(大意)でも、意味不明でした。

わたしもよくわかりませんでした。

(補足)

 読みはいい加減なので、間違いだらけだとおもいます。

 

2026年3月15日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その2

P02 国文学研究資料館蔵

(読み)

聖 帝 之武起御ン徳 十千世を頂   さ類盤阿

せんていのぶきおんとくとちせをいただかさるはあ

らし民 侶 之営 日 尓当 類有 又 好 而楽 而

らじみんりょのえいじつにあたるありまたこうじらくじ

耽 類有 耽  てなら須と云 事 なし既 尓成 怒

ひたるありひたってならずということなしすでになりぬ

日本 山 海 名 物 圖繪ト号  リ這之平 瀬氏鉄 齋 翁

にほんさんかいめいぶつずえとなずけりこのひらせ てっさいおう

日ゝ尓編ミ夜ゝに緝 ムおもへ者古人 古人 之一 癖

ひびにあみよよにあつむおもへばこじんこじんのいっぺき

を愛 せ類可古とし強 て子之手を執 天

をあいせるがごとししいてこのてをとりて

是 をといひ残 須尓も阿らされと母孝 子先 考

これをといいのこすにもあらざれどもこうしせんこう

(大意)

AIの概要のおおよその現代語訳を試してみました。

『聖帝(平和な世をもたらす天子)の武力や徳によって十千世(長い年月)も(安泰な世を)頂戴している。世の民の営みは日々に満ち溢れ、また(趣味などを)好み楽しんでふけっている者もいるが、ふけりすぎてどうにもならなくなるということはない。

(そういう太平の時代に)既に成し、怒(いか)る(※ここは「成る」の強調、あるいは崩しの読み違いの可能性あり)日本山海名物図絵と号(名づ)け、この平瀬鉄斎翁が、日々編み、夜々にならべまとめる。

思えば、古人が(名画や特産物といった)一癖(こだわりのある癖)を愛した(古風を)倣いとして、無理やり我が子のように(この本を)手にとって、これを言い残す(伝え残す)ということではないけれど、亡き父(母)や、亡き父(先考)へ』

(補足)

 AIの概要の大意、大したもんですね。変体仮名の読みに苦労してます(し間違いもあります)けど、まぁ全体の意味ははずしていません。まずは何が記されているかがわかることですから、この程度でも目的は充分に達せられています。

 文章自体は楷書ですから、くずし文字に悩まされることもありません。変体仮名は学ばなければなりませんけど。

 AIをちょっとけなしましたが、わたしの読みも間違っているところはあるはず、謙虚に学ばなければと心しています。

 

2026年3月13日金曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その1

表紙 国文学研究資料館蔵

P01

(読み)

画工 長谷川 光 信

がこうはせがわみつのぶ

編 者 平 瀬鉄 齋

へんしゃひらせてっさい

日本 山 海 名 物 圖繪

にほんさんかいめいぶつずえ

P01

陸奥  守   従 五位  上    百濟王         敬   福  カ郡

むつのかみ じゅごいのじょう くだらのこにきし きょうふくがぐん

内 少田郡 仁黄金 在 ト奏 氏獻  此遠聞  食 驚  伎

ないおだぐんにこがねありとほうじけんぜしをきこしめしおどろき

悦  波世給 布

よろこばせたもう

 大 伴  宿 禰家 持

 おおとものすくねやかもち

皇   能御代さ可へんと東  なるみち能く山 耳

すめろぎのみよさかえんとあずまなるみちのくやまに

古可年花 咲  金 寶 之盡 さ類姫 氏 国 ノ神 邦

こがねはなさく きんぽうのつくさるひめじのくにのしんぽう

(大意)

(聖武天皇が奈良の大仏を建立していましたが、大仏を鍍金する黄金が不足してました)ちょうどそのとき、奥州で敬福が金鉱山発見し産出して献上したところ、大変に喜ばれたという。その内容を大伴家持が歌にしています。

(補足)

 約1ヶ月弱、次は何を読もうかとあれこれ探し回り準備しておりました。

今回から日本山海名物圖繪巻之一から巻之五まで全五巻を読んでいきます。

 巻之五の奥付に

『画工 松翠軒長谷川光信

寶暦四年甲戌初夏吉日

寛政九年丁己初春求板 平瀬徹齋撰』 

とあります。

 宝暦4年は1758年、寛政9年は1806年。しばらく前に司馬江漢の西遊日記をアップしましたが、年代的には司馬江漢の活躍した時代と重なって、江漢も目を通しているはずです。

 このBlogをはじめたのは「変体仮名を読めるようにする」ということからで、それは今でも変わることはありません。

 変体仮名の学習者として、翻刻などした文章はほとんどが現代仮名遣いにされてしまっていて、どの音がまたは字が変体仮名のどれにあたるのかが不明確で変体仮名を学ぶのには不都合であります。

 なので、原文で使われている変体仮名の元字をそのまま、わたしのBlogでは表記するようにしています。

 表紙絵は笹の上を飛ぶ丹頂鶴。これから日本のあちこち飛んで見て回りましょうとの意でしょうけど、洒落るつもりはありませんが、絵が単調です。

 P01では軸のように絵があります。山海なので海に帆掛舟二艘、奥に山とは、出だしの絵としてはこれまた寂しすぎ、なんか文句ばかりですけど・・・

 

2026年2月19日木曜日

繪本寶能縷 その15

P12 国文学研究資料館蔵

(読み)後半

朝 大己貴    神

て うをあ奈むちの

ちょうおあなむちのかみ


活 玉依 姫 尓

いく満よりひめ

いくまよりひめに


通  給 ふ時 父

可よひ

かよいたもうときふ


母志らんとて

ぼしらんとて


績 麻を針

うミを

うみおをはり


を以 て神 人 の

をもってしんじんの


短裳 に係 て

もすそ 可け

もすそにかけて


旦  糸 のすじを

あし多いと

あしたいとのすじを


尋  もこめし尓

多づね

たずねもこめしに


三諸 山 尓畄  ると

ミもろ

みもろやまにとどまると


いへり

いえり


勝 川 春  章  画

かつかわしゅんしょうえ

(大意)

(我が)国では大己貴神が活玉依姫に通われる時

父母は相手が誰であるか知ろうとして

績麻を針にとおし、神の短裳に縫い付けた。

翌朝、糸のあとをたぐっていくと

三諸山にたどりついたいう

(補足)

「大己貴神」『おおあなむちのかみ おほあなむち― 【大己貴神・大穴牟遅神】

大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。おおなむちのかみ』

「活玉依姫」、『活玉依媛 いくたまよりひめ. 記・紀にみえる美女。 陶津耳(すえつみみ)の娘。「古事記」では活玉依毘売とかく

「績麻」、『うみお ―を【績麻】青麻(あおそ)を裂いてつなぎ,糸としたもの。うみそ。』

「旦」、『あした。あさ。あけがた』

「三諸山(みもろやま)」、『奈良県大和三輪山(みわやま)』

 娘さんは横座りのようですが、右の御婦人は立膝のようにみえます。当時、女性は立膝であってもお行儀が悪いということはなかったようです。娘さんは長煙管で先につめているところのようです。反物に臭いや汚れがついてしまいそうですけどねぇ、心配。

 御婦人が反物を広げて検分してます。反物の巻いてある方、左手にしている方、は裏地になります。絵師・彫師・摺師はちゃんと裏地のようにかき分けているところが、たいしたものだなと感心させられます。

 現在の生糸産業を調べてみました。「AIの概要」によると、

『現在の日本の生糸(きいと)産業は、かつての主要産業としての面影はなく、極めて厳しい存続危機的状況にあります。かつて世界一を誇った生産量は激減し、国内に流通する生糸のほとんどは輸入に頼っているのが現状』

とあって、詳しく調べれば調べるほど、危機的ではなく、もう終わっているという状況で「5年後に蚕糸業はなくなる」というほどでありました。

 興味のある方は「蚕糸業をめぐる事情令和8年1月農林水産省」という冊子で最新の状況が報告されています。

 

2026年2月18日水曜日

繪本寶能縷 その14

P12 国文学研究資料館蔵

(読み)前半

かゐこやしない草 㐧 十  二

かいこやしないそうだいじゅうに


扨 縫 針 の者じめハ

さてぬひ者り

さてぬいばりのはじめは


いづ連といふことを

いずれということを


志ら袮とも衣

     い

しらねどもい


裳  の製   しゟ

しやう こしらへ

しょうのこしらえしより


道 なるへし唐

      とう

みちなるべしとう


の大 昊 と申

 多いこう

のたいこうともうす


帝  九  針 を作

ミ可どきゅうはりをつくる

みかどきゅうはりをつくる


といふ又 礼 記

     らいき

というまたらいき


のうち尓針

のうちにはり


尓紉  て縫 ん

 をつけ ぬハ

におつけてぬわん


とあり我

   和可

とありわが


(大意)

 さて、縫い針がいつからつかわれていたかはわからないのだが、

衣服を作り始めた頃からだろうと考えられる。

中国の大昊(太昊)という帝(みかど)は九針を作ったという。

また、礼記には針に糸を通し縫ったようだとある。

(我が国では)

(補足)

「縫針」、『ぬいばり【縫い針】衣服を縫うのに用いる針』

「唐の大昊という帝」、唐には「大昊」という皇帝はいないので、ここの「大昊」は「古代の黄河流域にあった部族連合と巴(中国語版)の伝説上の祖先」でしょうか。唐は唐土とおなじで中国ということ。

「九針を作」、実際に9針を縫ったというのではなく、中国語では九は縁起の良い数字、あるいは皇帝や天を象徴する数字なので、太昊という帝(みかど)がそのような針仕事をされたということでしょう。

「紉」、『縫い合わせる、つづる、縄(なわ)、結ぶ、針に糸を通すという意味を持つ漢字です。音読みでは「ジン」「ニン」、訓読みでは「なわ」「むすぶ」と読み、「縫紉(ほうじん)」』

 原本は昨日の㐧十一までで、ここの㐧十二はオリジナルということになります。

商家の女将さんと娘さんに売り込みにやってきたのは、右奥に「丸に井桁三(まるにいげたさん)」の紋が見えますので「三井越後屋呉服店」のようです。

 ちりめんの反物を手に商い中、後ろの反物は「本しこみ」とあるのでしょうか、よくわかりません。娘さんの前に出しているのは、仕立て上がりの着物の図面だとおもいます。このような売り込みもしたのですね。

 

2026年2月17日火曜日

繪本寶能縷 その13

P11 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P11

(読み)後半

尓て波雅 産 

   王可む

にてはわがむ


㚑 を祭 るべき

すび

すびをまつるべき


もの可又 㐧 廿   二

ものかまただいにじゅうに


代 雄 略  天 皇 の

  由う里やくてんのう

だいゆうりゃくてんのうの


御后  ミつ可ら

 きさ起

おきさきみずから


養  蚕し給 ふ事

こ可゛ひ

こが いしたもうこと


日本 紀尓見へ多り

にほんきにみえたり


唐 土 尓てハ

もろこし

もろこしにては


黄  帝 能后

くハうてい きさ起

こ うていのきさき


西 陵  氏を始  と

せい里やうし 者じめ

せいりょうしをはじめと


春ること

すること


通 鑑  尓出 多り

つう可゛ん いて

つうが んにいでたり


勝 川 春  章  画

かつかわしゅんしょうえ

(大意)

雅産㚑(わがむすび)を祭るべきではないだろうか。

また第二十二代雄略天皇のお后みずから養蚕なさったことが

日本書紀にある。中国では、黄帝の后西陵氏が始めたと

通鑑にみることができる。

(補足)

「雄略天皇」、「略」の漢字の偏である「田」と旁である「各」が上下になっています。

「養蚕」、『こがい ―がひ【蚕飼い】

蚕(かいこ)を飼うこと。養蚕。季春「―する此頃妻のやつれかな」正岡子規』。「養」もまた、「良」の部分が旁の位置にきて、その上の部分が左側つまり偏に位置しています。

 くずし字ではこのように、漢字の部品の位置を意識的に変えて記されていることがよくみられます。

「通鑑」、『「資治通鑑(しじつがん)」の略』。『しじつがん しぢつがん 【資治通鑑】

中国の編年体の通史。二九四巻。北宋の司馬光編著。1084年完成。紀元前403年(戦国時代の始まり)から五代末の959年までの歴史を膨大な史料を駆使し,一貫した見識のもとに記す。書名は君王の政治に資する鑑(かがみ)となる書の意で,神宗から賜ったもの』。

 原本では機織りして生地になった部分と糸の部分をきちんと描きわけています。しかし、この本ではなぜか垂直方向は細かく糸として描かれていますが、水平方向は一面白一色になってしまっています。手抜きとはおもえないのですけど、どうしたことでしょう?

 桜の花がらの着物がきれいです。

 

2026年2月16日月曜日

繪本寶能縷 その12

P11 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P11

(読み)前半

かゐこやしない草 㐧 十  一

かいこやしないそうだいじゅういち


蚕  乃神 を祭 る

可いこ 可ミ まつ

かいこのかみをまつる


事 日 本 の古 しへ

古とひのもと い尓

ことひのもとのいにしえ


を考   れ者゛軻遇

 可んぐふ   可ぐ

をかんぐうれば かぐ


突智埴 山 姫 尓

つち者尓  ひめ

つちはにやまひめに


逢 て雅  産 㚑

あひ 和可゛む春び

あいてわが むすび


を産 此 神

 うむこの

をうむこのかみ


乃頭  尓蚕  と

 可しら 可いこ

のかしらにかいこと


桑 となれりと

くハ

くわとなれりと


神 代  巻 尓見へ

じんだいのまきにみえ


多れ者゛本 朝

      てう

たれば ほんちょう

(大意)

桑の神を祭ることを、古の日本をふりかえって考えてみると

軻遇突智(かぐつち)が埴山姫(はにやまひめ)に逢って、

雅産霊(わがむすび)を産み、この神の頭に蚕と桑の葉が生ったと、

日本書紀の神代の巻に記されているので、わが国では

(補足)

「軻遇突智」、『かぐつち 【軻遇突智】記紀神話の神。伊弉諾尊(いざなきのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)との間に生まれた火の神』

「埴山姫」、『埴山姫(ハニヤマヒメ)はイザナミが火の神カグツチを産んだ際に火傷を負い、その火傷が原因が死ぬ間際に水の神ミズハノメと共に産み落とされたとされる土の神で、土に関連する農業や陶磁器製造業、造園業、土木関係などの職業と特に縁が深いとされている女神』

「雅産霊」、『雅産霊命(わくむすびのかみ/わくむすび)は、日本神話に登場する食物と生成の神。古事記では和久産巣日神、日本書紀では稚産霊と表記され、イザナミが火の神カグツチを生んだ際に誕生。頭や身体から蚕や桑、五穀を生み出したことから、農業、豊作、蚕の守護神として信仰される』

「神代巻」、『じんだいのまき。日本書紀において、天地開闢から神の時代、神武天皇即位前までの神話を扱った巻。第1巻・第2巻に相当』

 原本では、機織り機が精緻に図面のように描かれています。見取り図そのもの。木工職人がこれを見れば、そのまますぐに組み立てられるとおもいます。

 一番手元の経糸を吊り下げている部分、上部のところが前後に調節できるよう凹凸が刻まれています。

 また右手に持っているのは「杼(ひ)」(shuttle)、右から左へ、バタンと経糸をかえして、左から右へ、を繰り返します。

 わたしの母は1920年、農家の生まれでした。機織りを教え込まれて、少女の頃に自分の普段着の着物生地を織って、その切れ端を大事にしていました。

 

2026年2月15日日曜日

繪本寶能縷 その11

P10 国文学研究資料館蔵 

絵本直指寳(えほんねざしだから)P10

(読み)

かゐこやしない草 㐧 十

かいこやしないそうだいじゅう


蔟   より糸 を

ま由者り  いと

まゆはりよりいとを


於ろし色 白 く

   いろ

おろしいろしろく


いさ起よきを

いさぎよきを


細 糸 のま由とし

本そいと

ほそいとのまゆとし


いろ黒 きを

いろくろきを


粗 糸 の

あらいと

あらいとの


ま由とす

まゆとす


真綿 丹

ま和多

まわたに


引 ても

ひき

ひきても


上  中  下を

じょうちゅうげを


ゑらミ

えらみ


和可ち

わかち


形 を

なり

なりを


津くりて

つくりて


束  綿

多ハ年和多

たばねわた


幾 者゛く

いく

いくば く


把とするなり

はとするなり


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ

(大意)

(補足)

「真綿」、『まわた【真綿】

糸にできない屑繭(くずまゆ)を引き伸ばし乾燥した綿。軽くて強く,暖かい。引き綿・布団綿としたり,紬糸(つむぎいと)の原料とする。絹綿。』

「束綿」、『たばね‐わた【束綿】

越前国(福井県)から産出された真綿。色はきわめて白く、品質が上等であったため多く進物などに利用された。』

「把」、『たば 【束・把】

いくつかのものをひとまとめにしたもの。まとめてたばねたもの。細長いものや平たく薄いものをまとめる場合にいう。「稲の―」「札―」「薪(まき)を―にする」』

 ここの娘4人は、美人画であっても、タスキをきりりと締め、力強くせっせせっせと働いている雰囲気を出しています。

 二人の娘が白布のようなものを引っ張って伸ばしているのが真綿です。繭を割って、煮て柔くなっているので、だましだまし破れないように少しずつ全体に伸ばして布状にしていきます。この当時は大きなナスの形のようなのが出来上がりのようで、それを干して完成でした。

 現在では額縁のような四角のものに引っ掛けて雑巾程度の大きさにして乾燥させて完成です。布団や座布団の中にそれら布状のものを重ね入れて、真綿布団や真綿座布団になります。「綿」とありますが、もちろん純正の「絹」です。

 

2026年2月14日土曜日

繪本寶能縷 その10

P9 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P9

(読み)

かゐこやしない草 㐧九



生 繭 を塩 尓浸 春こと

奈まま由 し本 ひ多


あり大きなる壺 の内 底

      つ本 うちそこ


丹竹 乃簀を入其 上 に

 多け す  そのうへ


桐 乃葉を敷 又其上耳

きり 者 しき


繭 を敷 ならべ又其上

ま由 しき   


耳桐 の葉を敷 て

 きり 者 しき


ふり可けよく蓋

      ふ多


をして上を泥

     とろ


尓て塗 ふさ起゛

  ぬり


七日すぎて



とり出 し

  い多゛


釜 耳入湯

可ま  由


の中 よ里

 奈可


篗 に可けて

王く


糸 尓久り

いと


取 な里

とる


北尾重政 画


(大意)

(補足)

「ふり可け」、原本にはこの語句の前に「塩(し本)を」があります。

「篗」、『わく 2【籰・篗】〔「枠(わく)」と同源〕

紡いだ糸を巻き取る道具。二本または,四本の木を対にして横木で支え,中央に軸を設けて回転するようにしたもの。おだまき。』

 わたしも子どもの頃、このくるくるまわす手伝いが面白くて大好きでした。もっともこんな大きな仕掛けではなく、繭を入れてる鍋に火をくべていますが、そのようなものではなく、鍋にお湯をはったものでした。

 この作業は原本のほうが仕事の内容としては正確です。鍋の中の繭から糸をほぐしとるこの画をよくみると、繭玉に一番近いところは数本が一緒にほぐされて、それから一本になっています。実際にやったことがある人ならすぐ理解できるとおもいますけど、たいていこんな具合になります。また、巻きとっているお姉さんの手つきもこの通りで、右手は右巻きに回すのですけど、左手の繭玉からの糸をたぐる調子にあわせておこなわないと、うまく巻き取ることはできません。糸巻きの部分もちゃんと巻き取った糸が一本一本描かれています(仕掛けの右下に巻き取り終わったふたつのおだ巻も)。そして、一巻分巻き取りおわった糸を吊るして干してあるのも、実際の作業どおりです。

 重政の画では、糸を巻き取っているところでは右回しにしているはずなのに、巻き取る糸の位置がおかしなところに描かれていたり、巻き取った糸も白い布のように描かれてしまっています(かまどのそばに二つあるおだ巻きも)。巻き取る仕掛けに重しの石をのせているところはそれっぽいのですけど、残念ながら精出して仕事をしているようには見えません。絵師は実際にこの作業を見たことがないのだろうということがわかってしまいます。美人絵を描くのが第一義ですから、まあ、無理なことでしょう。

 美人絵はもちろん、美しい。

 

2026年2月13日金曜日

繪本寶能縷 その9

P8 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P8

(読み)

かゐこやしない草 㐧 八

かいこやしないそうだいはち


蚕  糸 をはき

可いこいと

かいこいとをはき


お者里て

おわりて


蛾  乃蝶  丹

ひゞる ちやう

ひびるのちょうに


なりて飛

   とぶ

なりてとぶ


古れを蚕 蛾と

   さん可゛

これをさんがと


いふ奈り

いうなり


春  章  画

しゅんしょうえ

(大意)

(補足)

 中学生か高校生のときに「ちょうちょう」は昔は「てふてふ」と書いたのだと教わりました。原本では「てふ」、この本では「ちやう」となって、どちらでもよさそうです。

 この画では蚕蛾が飛んでいます。現在では蚕は繭を作ることに特化して品種改良されてしまって、飛ばないし蛾になっても口が退化してしまって(そのように改良した?)、蛾になっても生きていけないそうです。

 振袖姿の娘さん、柄の花は何でしょうねぇ。

 

2026年2月12日木曜日

繪本寶能縷 その8

 

P7 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P7

(読み)

かゐこやしない草 㐧 七

かいこやしないそうだいしち


蚕  種 を

可いこ多年

かいこだねを


とることハ

とることは


蔟   物 より

ま由者りもの

まゆはりものより


取 時 形  乃

とると起可多ち

とるときかたちの


よ起蚕  をゑらんで

  可いこ

よきかいこをえらんで


糸 尓てくゝり

いと

いとにてくくり


釣 置 ハ蛾  の

つりをけ ひゞる

つりをけばひびるの


蝶  尓奈り出 る

て ふ

ちょうになりいずる


牝牡を一ツ尓して

めを

めをひとつにして


紙 耳移 し置 バ

可ミ うつ をけ

かみにうつしおけば


段  々 子を産 付 る奈り

多゛ん\/こ うミつけ

だ んだんこをうみつけるなり


これをうハ子といふ

     こ

これをうわこという


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ

(大意)

(補足)

 本文は原本と全く同一。

画は原本の左頁の庭の松や花を、三人のお姉さんがいる座敷の縁側の庭にもってきました。

 お姉さんたちは、タスキもはずして蛾とたわむれて楽しそうに過ごしているところ。立ち姿のお姉さんの着物柄が蚕蛾になっています。

 3人ともに体の線がやわらかくなめらかに描かれていて、蚕を世話する農夫にはとてもみえません。


2026年2月11日水曜日

繪本寶能縷 その7

P6 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P6

(読み)

かゐこやしない草 㐧 六

かいこやしないそうだいろく


蚕  まゆを作 る

かいこまゆをつくる


時 をはい子と

ときをはいしと


いふ廣 き蓋 乃

いうひろきふたの


類 尓椎 柴 奈ど

るいにしいしばなど


の物 を敷 入 天ひ

のものをしきいれてひ


きり多る蚕  を

きりたるかいこを


置 て菊 をおく

おきてきくをおく


ひ尓してまゆを

ひにしてまゆを


張 春なりさて

はりすなりさて


四五日 もして

しごにちもして


のちま由を

のちまゆを


一 川徒ゝもぎ

ひとつずつもぎ


は奈し天

はなして


取 奈り

とるなり


ま由張 物 を

まゆはりものを


蔟 といふ奈り

ぞく

ぞくというなり


春  章  画

しゅんしょうえ


(大意)

(補足)

「けい子」、けいしorけいこ、どちらでしょう。辞書にもありませんでした。

「ひきる」、蚕が成熟して繭を作る状態になること。

「蔟」、『まぶし【蔟】蚕が繭をつくるとき,糸をかけやすいようにした仕掛け。わら・竹・紙などで作る。蚕蔟(さんぞく)』

「一川徒ゝ」、「つ」の変体仮名は「川」「津」「徒」などがあります。「一つ」の「つ」がなめらかな曲線になってなくて、これは変体仮名「川」が「つ」になりかけてる形で、(カタカナの「ツ」はそのまま「川」のかたち)川をくずすとまんなかのたて棒が極端に短くなった形になります。

 この蚕場で働いている姿を描写しているのは右側のお姉さんのみです。他の二人はモデル(着物の裾はぞろぶいて、こんな格好で働けるわけがない、タスキもゆるゆる)を、蚕場にたたせてみせただけでしょう。原本と同じ構図ですけど。

 P5で「白い花二輪を左手にした女将さん」とかきましたが、ここでも左のおねえさんが同じものを手にしているところ見ると、繭玉のようでした。

 色っぽい二人と、右側の無地の着物に前掛け、姉さんかぶりでたすき掛けをしっかりしているお姉さん、上手に対比させています。