2026年8月14日金曜日

大日本物産圖會その54

P54 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P54_1

(読み)

同 鯛 網 之圖

どうたいあみのず


縄 の両  端(ハシ)へ各 舩 二艘 ツゝをつけ

つなのりょう  はし へかくふねにそうずつをつけ


網 舩 二艘 ハ先 尓進 ミて麾(ザイ)

あみふねにそうはさきにすすみて  さい


をふり又 一 艘 ハ縄 の沈(シヅ)まざる

をふりまたいっそうはつなの  しず まざる


多め真 中 を採(ト)り麾(ザイ)をふりて

ためまんなかを  と り  さい をふりて


号令(ゴウレイ)を下す 然 して魚  の集

   ごうれい をくだすしかしてさかなのあつまり


多るを見て先 尓進 ミ多る網 舟

たるをみてさきにすすみたるあみふね


後  尓廻 り網 を者れバ初  の二艘

うしろにまわりあみをはればはじめのにそう


縄 を放 つ網 舟 の二艘 港板(ミヨシ)をやり

つなをはなつあみぶねのにそう   みよし をやり


違(チガエ)て網 を志本゛る余 の舟 多満網 尓

  ちがえ てあみをしぼ るほかのふねたまあみに


て網 中 の魚  をとり小舟 うつす也

てあみなかのさかなをとりこぶねうつすなり

(大意)

(補足)

「同」、淡路国。

「麾(ザイ)をふり」、『き 【麾】① 軍隊を指揮する旗。「麾下」「麾扇」「麾兵」

② 指図する。「指麾」』。『「采を振る(さいをふる)」とは、采配を振る(采配を振るう) と同じ意味』。『さい【采】を振(ふ)る。人にさしずをする。指揮して物事を行なう。ざいを振る』。昨日の画で、ブリ綱の両端の舟で赤い旗を振っているのがこのこと。

「港板(ミヨシ)」、『みよし【水押・舳】〔「みおし」の転『みおし【水押・〈船首〉 】』〕① 船首先端の水を切る部材で,船体構成上の主要材。近世以来,水切りのよい一本水押が主用されて和船の特徴の一つとなった。みおし。によし。にょし。ねうし。 →和船② 〔 →1からの転〕船首。 ↔とも』

「多満網」、たも網、たものこと。

 大量の鯛を描くこともさることながら、漁師たち一人ひとりの顔の表情やそれぞれの作業の動きを絵師は描きたかったのではとおもいます。彼らの顔を拡大してみると皆必死で、大漁に胸躍っているのが伝わってきます。

「44備前国白魚漁之圖」でも空中の網の画が見事でしたが、ここでは海中に半分沈む網。それでも質感と遠近があり網目をとおして波が見えているところなど、絵師・彫師・摺師の技が見事であります。

 和船が舳先から艫(とも)まで細かく描くこと、これまた丁寧です。絵師たちの気持ちがこの画にたいして入れ込んでいるのがよくわかります。

 

2026年8月13日木曜日

大日本物産圖會その53

P53 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P53_1

(読み)

淡 路 國 鯛 ブリ網 之圖

あわじのくにたいぶりあみのず


鯛 ハ海 中  巌石(ガンゼキ)多 き処  尓

たいはかいちゅう   がんせき おおきところに


集  り是 をとる尓不便 奈

あつまりこれをとるにふべんな


る由ゑ尓「ブリ」といふて長 サ

るゆえに ぶり というてながさ


三 百  二三 十  尋 計 り奈る縄 へ

さんびゃくにさんじゅうひろばかりなるなわへ


糸 尓てうす板 を付 水 中  を

いとにてうすいたをつけすいちゅうを


ひけバ木(コ)の葉(ハ)の散乱(サンラン)する

ひけば  こ の  は の   さんらん する


古登久奈る可゛由ゑ耳魚

ごとくなるが ゆえにさかな


おそハれて中  流  尓たゞよひ

おそわれてちゅうりゅうにただよい


「ブリ」の真 中 尓あつまる此 縄

 ぶり のまんなかにあつまるこのつな


を引 尓舟 七 艘 尓して乗 人 卅    一 人 也

をひきにふねななそうにしてのりびとさんじゅういちにんなり

(大意)

(補足)

「尋」、『ひろ【尋】〔広(ひろ)の意〕両手を左右に広げたときの,一方の指先から他方の指先までの距離。長さの単位として用い,縄・釣り糸・水深をはかるのに用いる。江戸時代には一尋は五尺(約1.5メートル)または六尺(約1.8メートル)であったが,明治以降は六尺とする』。

「古登久奈る可゛由ゑ耳」、変体仮名のオンパレード。これをすらすら読めれば超初心者から初心者となります。

「魚おそハれて中流尓」、文章の流れから「さそわれて」があてはまりそうです。しかし「さ」の変体仮名をしらべると、この形に近いものはありません。この形の変体仮名に近いのは「お」です。ですので「さかなおそれて」のまちがいのような気がします。

 一番手前の5人の漁師がのっている小船、艫(艉(とも))の舵まわりも細かく描き、また漁師たちが旗に合わせて、きっと大声の掛け声も、漕いでいる様子が力強い。漁場の海の青の濃淡がきれい。

 

2026年8月12日水曜日

大日本物産圖會その52

P52 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P52_1

(読み)

同 北 湊  ヨリ輸出  之圖

どうきたみなとよりゆしゅつのず


幾(いく)百万(ひやくまん)能蜜柑(ミ可ん)越山畑(者多)よ

  いく    ひゃくまん の   みかん をやま ばた よ


里摘(とり)来(き)多り廷中(ていち う)尓天

り  とり   き たり   ていちゅう にて


大 小  越撰(ゑらミ)天箱(者こ)尓収(おさ)めて

だいしょうを  えらみ て  はこ に  おさ めて


家々(いへ\/)の印(しるし)越うつし北港(本くこう)

   いえいえ の  しるし をうつし   ほっこう


の波戸場(者とバ)へ輹(ふく)淃(そう)し其(その)

の    はとば へ  ふく   そう し  その


箱(者こ)越累積(るいせ起)春ること山

  はこ を   るいせき することやま


能ごとく皆(ミ奈)小舩(ぶ年)尓積(つミ)

のごとく  みな こ  ぶね に  つみ


天地(ち)の嶋(し満)尓掛(可ゝ)る蒸気(じやうき)

て  ち の  しま に  かか る   じょうき


阿るひハ大舩(ふ年)尓積(つミ)て諸(しよ)

あるいはおお ぶね に  つみ て  しょ


國(こく)尓い多゛須

  こく にいだ す

(大意)

(補足)

「同」、紀伊国。

「北湊(きたみなと)」、地元の観光案内のパネル(無許可で使用。ゴメンナサイ)。 

 場所はここの赤印。


  北湊での積み出しは河口なので、大型の蒸気船は入れなくて小舟に小分けにして、右奥の赤札「地ノ嶋」で積み込みます。大型船が直接、港や埠頭に横付けするにはもう少し時代がくだらないとできませんでした。

 それにしても、なんとも莫大な蜜柑の量。詞書きの背景はここでも蜜柑色。

 昨日の「紀伊國密柑山畑之圖」のところでのせるべきでしたが、今日この図を見つけましたので、ここに紹介しておきます。 

 ほとんど同じ構図です。「大日本物産図会」を出版するにあたって、それまでの古今の書籍にあたっているのがわかります。

 

2026年8月11日火曜日

大日本物産圖會その51

P51 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P51_1

(読み)

紀伊 國 密柑 山 畑 之圖

きいのくにみかんやまばたのず


蜜柑(ミ可ん)ハ枝(ゑ多゛)尓刺(者リ)阿りて旧  五月

   みかん は  えだ  に  はり ありてきゅうごがつ


の頃(ころ)尓白 花 越開(ひら)き其 匂(尓本)ひ

の  ころ にしろはなを  ひら きその  にお い


甚(者奈者)多゛香(可ん)者゛しく九月 尓い多

  はなは だ   かん ば しくくがつにいた


里実(ミ)青(あ本)く冬(ふ由)尓いたり天

り  み   あお く  ふゆ にいたりて


生(せい)熟(じゆく)春紀伊の國 の産(さん)盤

  せい   じゅく すきいのくにの  さん は


其(その)気味(きミ)甘美(可んび)なること他(多)尓比(ひ)

  その    きみ    かんび なること  た に  ひ


類(るい)なし実(じつ)尓柑(可ん)中(ち う)の冠(く者ん)多

  るい なし  じつ い  かん   ちゅう の  かん  た


りといふべし各(可く)郡(ぐん)夥(おひ多ゞ)しく

りというべし  かく   ぐん   おびただ しく


産(さん)春゛といヘども有田郡(あり多ご本り)越第 一

  さん ず といえども    ありたごおり をだいいち


等(登う)と春此(この)郡 より輸出(ゆしゆつ)春ること

  とう とす  この ぐんより   ゆしゅつ すること


凡  百  五十  万 箱(者こ)尓至(い多)連りとぞ

およそひゃくごじゅうまん  ばこ に  いた れりとぞ

(大意)

(補足)

 わたしのBlogの一番の目的は変体仮名の読みにありますので、この画の詞書き(背景に蜜柑色の飾りを入れていておしゃれ)は願ってもない練習文章になっています。変体仮名がたくさん使われています。

「山畑」、『やまばた【山畑】山にある畑。山地につくった畑。』

「夥しく」、フリガナは「おひ多ゞ」とあって、「ひ」が確認できません。

 画は緑がいっぱい。その濃淡だけで奥行や山腹の起伏を表現していてうまいなぁ。昔も今も収穫は手作業、大変です💦

 

2026年8月10日月曜日

大日本物産圖會その50

P50 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P50_1

(読み)

同 國 岩 蕈 採 之圖

どうこくいわたけとりのず


石 耳 ハ岩 上  の湿気(シツケ)ある

いわたけはがんじょうの   しっけ ある


所  尓自然 に生  する毛の

ところにしぜんにしょうずるもの


にして皆 山 上  の嶮 所 尓生

にしてみなさんじょうのけんしょにしょう


す形  木耳(ククラケ)尓似て甚  多゛ちひ

ずかたちき  くらげに ににてはなはだ ちい


さく松 の蘚(コケ)の如 し黒 色 尓し

さくまつの  こけ のごとしくろいろにし


て莖 奈し是 を採る尓ハ梯  を

てくきなしこれをとるにははしごを


可け縄 尓す可゛り或  ハ畚 にのり

かけなわにすが りあるいはふごにのり


木の枝 より釣 下 り其 危  き

きのえだよりつりさがりそのあやうき


こと猿 の木つ多ふ如 く奈り

ことさるのきつたうごとくなり

(大意)

(補足)

「同國」、周防国。山口県。

「畚」、『ふご【畚】① 物を運搬するために用いる竹や藁(わら)で編んだかご。もっこ。

② びく。釣った魚を入れるかご。』

 かごに乗っての岩茸採りは命がけ。籠の網目をとおして中が見えています。欲を言えば籠の向こうの崖まで見せてくれれば、ヒヤット感がましたかも。まぁ、籠の下は急流で深青の淵のよう、コワイ。

 地元JAで見かけるのはほとんどがキクラゲ(木耳)で、イワタケ(岩茸)はほとんどみませんねぇ。キクラゲは高価というわけではなくお手頃な価格で、オムレツに入れて食すとなんとなく豪華でおいしい。

 

2026年8月9日日曜日

大日本物産圖會その49

P49 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P49_1

(読み)

周防  國 香 蕈 製 之圖

すおうのくにしいたけせいのず


香 蕈 ハ柯樹の朽 多る材 より自

しいたけはしいのくちたるざいよりし


然 尓生  春゛ると雖  も世に給  するに

ぜんにしょうず るといえどもよにきゅうするに


たら須゛故 尓人 工 を以 て製 する

たらず ゆえにじんこうをもってせいする


事 夥   し則   柯樹檞  櫧 シデ等

ことおびただしすなわちしいかしわかししでとう


の材 を切り斧 を以 て傷 をつけ

のざいをきりおのをもってきずをつけ


捨 置 事 三 年 而  全 身 の朽  腐

すておくことさんねんにしてぜんしんのきゅうふ


を除 き林   中 尓列 へ建 架 おく

をのぞきはやしのなかにならべたてかけおく


時 ハ春  分 に至  て香 蕈 を発

ときはしゅんぶんにいたってしいたけをはっ


生 す是 を収  て後 材 を水 に

せいすこれをおさめてのちざいをみずに


浸 し取 出して木槌 ニて打 こと厳

ひたしとりだしてきづちにてうつことはげし


く再   列  置 時 ハ三 日を経て蕈   発 生 ス

くふたたびならべおくときはみっかをへてしいたけはっせいす

(大意)

(補足)

 目が覚めるほどに明るく発色が素晴らしい。鮮やか。初摺りで保存がよかったのかも。

「周防国」、『すおう すはう 【周防】旧国名の一。山口県南部・東部に相当。防州(ぼうしゆう)。周芳(すは)』

「香蕈」、『こうたけ。しいたけ(椎茸)の異名』とありますが、『こうたけ かう―【香茸・革茸・皮茸】担子菌類ヒダナシタケ目のきのこ。秋,山中の広葉樹林内に群生する。傘は径約15センチメートルにおよび,褐色の漏斗状で表に粗い鱗片,裏に針状突起を密生する。乾くと香りがよく,食用として珍重。近縁種のシシタケと混同される場合がある。カワタケ』ともあって、さてさて。「蕈」は「茜」+「早」。

「柯樹」、椎の木。「檞」、柏の木。「櫧」、樫の木。「シデ」、シデの木。

「捨置」、「置」や「直」のくずし字は頻出です。

 詞書きの巻物の上に赤い札「温室」とあって、この小屋で干し椎茸に加工したのでしょうか。

 現在ではドリルで穴をあけ、菌を埋め込んでまちますが、当時は斧で傷つけていたのですね。木槌で激しくたたいて刺激を与え3日で椎茸が発生するとあります。一説には、ホダ木のある林中に雷が落ちて、その箇所の椎茸が発生も速く大きな椎茸が取れてたことにより、様々な刺激を与えたそうであります。現在は電気刺激も使っているそう。椎茸が栽培される以前は、椎茸は高級品で松茸がたくさん出回っていて普通に食されていたそうです。

 一服する職人さんに火種を移している御婦人、裾を端折ってますがこれでは力仕事はできそうもありません。きっと温室の中で仕事をしている方で職人さんが一服するときに声をかけて火種を持ってきてくれるのでは。


 

2026年8月8日土曜日

大日本物産圖會その48

P48 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P48_1

(読み)

同 廣 島 牡蠣蓄 養 之圖

どうひろしまかきちくようのず


蛎(カキ)は貝 中  の一 等 尓して人 身 に

  かき はかいちゅうのいっとうにしてじんしんに


もつとも滋養(ジヤウ)の物 奈り海 中

もっとも   じよう のものなりかいちゅう


自然 尓生  ずるもの尓して大 奈る

しぜんにしょうずるものにしてだいなる


ものハ岩 の如 く集  合 し天

ものはいわのごとくしゅうごうして


一 二丈  尓及 ぶ藝 刕  尓畜養(チクヤウ)す

いちにじょうにおよぶげいしゅうに   ちくよう す


るものハ小  奈りと雖  もその味  ひ

すものはしょうなりといえどもそのあじわい


美(ビ)奈り干潮(ヒシホ)のとき砂上  尓竹 木

  び なり   ひしお のときさじょうにたけぎ


尓て垣(カキ)をつらね潮 のき多る毎(ごと)

にて  かき をつらねしおのきたる  ごと


にちひさ起蛎 のつ起たるを

にちいさきかきのつきたるを


とり別(ヘツ)尓いけすのうちの砂

とり  べつ にいけすのうちのすな


中 尓畜養(チクヤウ)し三 年 目尓し

なかに   ちくよう しさんねんめにし


て取 出し食用(シヨクヨウ)尓そ奈ふ

てとりだし   しょくよう にそなう

(大意)

(補足)

「藝刕」、ここでは「州」の異体字は下の部分が「冫」+「冫」の裏返し、ですが「刕」というのもあって、かたちの近いものを採用。

 手前の竹木についた「ちひさ起蛎」を左奥の「いけすのうちの砂中尓畜養し」て3年目に食用になるとあります。その竹林の左下隅に蛸、右下隅では魚をタモですくっています。

 籠に入れた蛎が見えるように仕上げていて、それらを舟にあけている描写では籠網をとおして、海の青色が丁寧に描かれています。漁師たちが生き生き動いているよう。また紫色の半纏はよく見ると濃淡で柄が入っていて、なんとも細かい。

 

2026年8月7日金曜日

大日本物産圖會その47

P47 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P47_1

(読み)

安藝 國 厳  嶋 楊 枝ヲ鬻  圖

あきのくにいつくしまようじをひさぐず


藝 州  厳島(イツクシマ)明  神 ハ日本 三 景 のうち

げいしゅう   いつくしま みょうじんはにほんさんけいのうち


尓して堂 社 の創建(サウコン)景色 目を

にしてどうしゃの   そうけん けしきめを


驚  す就中   大 經  堂 ハ関 白 秀 吉 公

きょうすなかんずくだいきょうどうはかんぱくひでよしこう


の創 建 尓して桁(ケタ)廿  間 梁(ウツハリ)十 間 五尺

のそうけんにして  けた にじっけん  うつはり じっけんごしゃく


余  椽(エン)幅 八 尺  四方 らん可んを付 多り

あまり  えん はばはっしゃくしほうらんかんをつけたり


俗 尓千 畳  敷 といふ前 面 海 を望

ぞくにせんじょうじきというぜんめんうみをのぞ


ミ尤  も絶 景 多り堂 中  尓商  ふ

みもっともぜっけいたりどうちゅうにあきなう


楊 枝ハ柳  尓てつくり五色  の色

ようじはやなぎにてつくりごしょくのいろ


をそめて者奈ハ多゛美尓して

をそめてはなはだ びにして


島 中  の名 産 と須又 数 千 の

しまじゅうのめいさんとすまたすうせんの


猿鹿(サルシカ)群遊(クンユウ)してよく人 尓奈れ

   さるしか    ぐんゆう してよくひとになれ


人 尓乞ふて餅 を食  す

ひとにこうてもちをしょくす

(大意)

(補足)

「安芸」、『あき 【安芸】① 旧国名の一。広島県西半分に当たる。芸州』

「鬻」、『ひさ・ぐ【鬻ぐ・販ぐ】(動ガ五[四])〔近世初期までは「ひさく」と清音〕

売る。あきなう。「春を―・ぐ」「人情といふ品物をば其本店(だな)にて―・ぎながら」〈小説神髄•逍遥〉「棺を―・くもの,作りてうち置くほどなし」〈徒然草•137〉』。漢字は「粥」+「鬲」。

「梁」、『うつばり【梁】棟(むね)の重みを支えるために,棟と直角に柱と柱の間に渡した横木。うちばり。はり。うつはり』。

 お土産屋さん「名物色よう枝」の台は清水の舞台のような縁(えん)にあります(「堂中」とあるので千畳敷と言われる内部)が、旅人の足元は裸足でして、当時はこのような縁側ところ(堂中なので)は土足禁止だったのかもしれません。うしろの太い柱には落書きも。

 鹿の頭部が馬のよう 

2026年8月6日木曜日

大日本物産圖會その46

P46 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P46_1

(読み)

備 後 國 畳  表  ヲ製 圖

びんごのくにたたみおもてをせいず


藺(ヰ)は六 月 芟(カリ)とりて後 その根

  い はろくがつ  かり とりてのちそのね


より生  じ多る新 芽(メ)を秋 尓

よりしょうじたるしん  め をあきに


至(イタ)りて他(ホカ)の田尓うつし度 々 肥(コヤシ)を

  いた りて  ほか のたにうつしたびたび  こやし を


入 て翌(ヨク)六 月 土用 過 尓芟 とる也

いりて  よく ろくがつどようすぎにかりとるなり


さて土中  尓穴 を本りて右 の藺

さてどちゅうにあなをほりてみぎのい


尓白 土 を水 尓和しその内 尓て

にしろつちをみずにわしそのうちにて


度 々 すりこミ日尓さらし長

たびたびすりこみひにさらしちょう


短 をえらびふめ糸 を経 糸

たんをえらびふめいとをたていと


として機(ハタ)尓可けており上ケ

として  はた にかけておりあげ


立 毛を去り天壱 枚 づゝ

たちげをさりていちまいずつ


白 つちをふりてよくすり

しろつちをふりてよくすり


込ミ荷つく里をして諸

こみにづくりをしてしょ


国 尓い多゛す也

こくにいだ すなり

(大意)

(補足)

「備前(びぜん)」、岡山県南東部。「備中(びっちゅう)」、岡山県西部。「備後(びんご)」、広島県東部。

「ふめ糸」、『畳表(たたみおもて)の「経糸(たていと)」とは、い草を固定して織り上げるための縦方向の糸のことです。「ふめ糸(踏め糸)」は、古くからの文献や地方の製織用語において、畳表を織る際に使われる経糸(またはその一種、あるいは足踏み機で操作する関連の糸)を指す表現として使われてきました』。『緯糸(よこいと):表面に並ぶい草。経糸(たていと):い草をしっかり留めるための縦糸。素材の違い:綿糸(めんし)、麻糸(あさし)、マニラ麻(麻の一種)などが使われ、麻糸のほうが太くて丈夫なため、たくさんのい草を深く織り込めます』。

 左の二人の御婦人が機織りしてます。経糸に緯糸である藺草を差し込んで一枚にしていきます。なぜか右側では台の上で畳表に縁を取り付けていてこれが子どものころ見ていた職人さんの仕事風景、左肘で縫い込んだところをグイっグイっとこすりつけます。右手にはぶっとい畳針がみえます。プハ〜ッてやるやかんがないなぁ。

 画の発色がいいですね、鮮やかです。俵に入れて締め込んでいる職人さんの半纏に何か屋号のようなものがありますが、さてう〜ん🤔・・・。

 

2026年8月5日水曜日

大日本物産圖會その45

P45 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P45_1

(読み)

備 後 國 藺を植 ル圖

びんごのくにいをうえるず


畳  表  ハ備前 備 中  丹 波近

たたみおもてはびぜんびっちゅうたんばおう


江尾張 加賀等 より出すと

みおわりかがなどよりだすと


いへども備 後を最(サイ)上  とす表  を

いえどもびんごを  さい じょうとすおもてを


織艸(おりくさ)耳燈艸(トウシンサフ)石龍芻(コヒゲ)乃両

   おりくさ に   とうしんそう     こひげ のりょう


種 あり共 尓藺(ヰ)と名づく燈

しゅありともに  い となづくとう


艸 ハ葉大 きし故 尓表  尓織

そうははおおきしゆえにおもてにおり


て粗(アラク)して弱(ヨワ)しあるひハ蒸

て  あらく して  よわ しあるいはむし


て燈 心 と奈す石龍芻盤

てとうしんとなすこひげは


葉細 くして表  尓織 て強 し

はほそくしておもてにおりてつよし


上  品 と須丈 短  きものを中 続

じょうひんとすたけみじかきものをなかつづき


として其 長 きを引 通 しと

としてそのながきをひきとおしと


す別 ニ七 島 藺奈るものあり又

すべつにしちとういなるものありまた


琉  球  藺とも云 則   琉  球  表  也

りゅうきゅういともいうすなわちりゅうきゅうおもてなり

(大意)

(補足)

「備後国」、広島県東部。

「畳」、詞書きの出だし1文字目から読めません。くずし字辞典で調べるとたしかに「畳(たたみ)」。古文書読解初心者ですが、この漢字ははじめてのような気がします。

「燈艸(トウシンサフ)」、『とうしんぐさ【灯心草】藺(い)の異名。季夏』。『燈草(とうそん / とうくさ)標準和名「イ(藺)」の別名およびその茎の総称。茎の内部にある白い髄を取り出して、行灯や和蝋燭の灯芯(燈心)として用いたことに由来する。茎が太いものは畳表や「むしろ」に織られたが、粗くて弱いとされた』。

「石龍芻(コヒゲ)」、『石龍芻(せきりょうすう)中国の古典『本草綱目』に記載される水草の名で、日本古来の和名抄では「うしのひたい」や「こひげ」などに当てられた。日本の近世の本草学(小野蘭山の『本草綱目啓蒙』など)や諸国物産図録においては、細くて強靭な上質の畳表の原料となるイグサの栽培品種(小髭:コヒゲ)を指す言葉として扱われてきた。茎が細く締まっていて、燈草(太いもの・粗いもの)に比べて畳表を織るのに適した「上品」なものと区別された。』

「盤」、変体仮名「盤」(は)。たまにでてきます。ほとんどは変体仮名「者」(は)。

「七島藺(しちとうい)」、『七島藺は、いぐさと同じく畳表の材料となる植物ですが、いぐさはイグサ科、七島藺はカヤツリグサ科の異なる植物です。人気の琉球畳は、元はこの七島藺の畳表を使用した畳のことを指していました。また、昔は柔道畳としても全国各地で使われており、1964年に行われた東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の柔道会場でも使用されました』。農林水産省HPより無断借用しました💦。

 畳表については畳屋さんがやってきて道端に台を作ってそこで張替えをする、というところからしか見たことがありません。(職人さんがやかんをくの字に曲げた肘の上にのせて、その注ぎ口からじかに口に水をいれて、畳表にプハ〜って勢いよく吹き付けるのを見るのが大好きで、よく真似をして母にしかられました。あれかっこよかったなぁ)それ以前の畳表の藺草(いくさ)がどのように植え付けられ生産されているのかはまったく知りませんでした。

 かっては日本はちょっと前まで身分階層社会で、畳はある程度の階層以上で使われていて、藺草栽培は大変に重要な一次産業であったはずです。現在でも栽培されているようですが、日本産畳表は高級品になりつつあるようです。

 画を見るとやはり手がかかるんだなぁと見入ってしまいます。

 

2026年8月4日火曜日

大日本物産圖會その44

P44 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P44_1

(読み)

備前  國 白 魚 漁  之圖

びぜんのくにしらうおりょうのず


白 魚 ハ當 国 児島(コシマ)郡  福

しらうおはとうごく   こじま こおりふく


島 の湊(ミナト)藤 戸の渡 し辺  より

しまの  みなと ふじとのわたしあたりより


産 ずる小魚  にして夜中

さんするこざかなにしてよなか


数多(アマタ)の漁 舟  篝火(カゞリビ)を焼(タ)き

   あまた のりょしゅう   かがりび を  た き


罾網(ヨツテアミ)をおろして之 を漁(ト)る

   よつであみ をおろしてこれを  と る


その景況(アリサマ)陸 より遠(トホ)く望(ノゾ)

その   ありさま おかより  とお く  のぞ


む時 ハ篝  火海水(カイスイ)尓映(ヱイ)し宛(サ)

むときはかがりび   かいすい に  えい し  さ


奈可゛ら筑紫(ツクシ)の不知火(シラヌヒ)の如 く

なが ら   つくし の    しらぬい のごとく


なりといふ網(アミ)尓かゝ里多る魚 ハ

なりという  あみ にかかりたるうおは


クマを以 てとり干(ホシ)て他國 へ出須

くまをもってとり  ほし てたこくへだす

(大意)

(補足)

「罾網」、『罾網(そうえん)とは、魚を捕まえるための四角形や四つ手の網(四つ手網・敷網の一種)のことです。四隅を支えて水中に沈め、エサで魚をおびき寄せて引き上げて使います』。

 初代広重「江戸名所百景」で使われた、題材を極端に前面に大きく描く図法です。十八番ですね。

 四つ手網の青い竹竿(節ごとに濃淡をほどこしている)の張り具合が素晴らしい、上部の枠をはみ出さん勢い。篝火がどんなふうになっているかがわかりにくいですが、網の向こうに見える漁舟を見ると舳先に据え付けているのがわかります。網の中に入っている白魚、小魚、海老、蟹などの重みでその部分が沈んでいるようにも見えます。右手でタモですくっていますが、詞書きではクマとなっています。

 満月がのぼって網にかけているところがにくい演出、そして月明かりが海面に映えています。漁師の獲物を見る目が鋭い!網目がややモアレに見える(ような気がする)のは摺師の技か?水平線は赤色で区切りをつけていたが、ここではめずらしく紫色の濃淡です。

 

2026年8月3日月曜日

大日本物産圖會その43

P43 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P43_1

(読み)

備前 岡 山 石 筆 製  圖

びぜんおかやませきひつせいのず


當 國 和気郡(ワケコホリ)伊部(インベ)近傍(キンバウ)

とうごく    わけごおり    いんべ    きんぼう


の山 中  より産(サン)春る土石 ハ

のさんちゅうより  さん するどせきは


その質(シツ)堅剛(カタク)尓して白 色

その  しつ    かたく にしてはくしょく


奈りこれを挽(ヒキ)王り石筆(セキヒツ)

なりこれを  ひき わり   せきひつ


に製(セイ)春る尓殆(ホトン)と舶来(ハクライ)の

に  せい するに  ほとん ど   はくらい の


品 と比(ヒト)しきを以(モツ)て専(モツハ)ら

しなと  ひと しきを  もっ て  もっぱ ら


これを用 由依(ヨツ)て多 く之(コレ)

これをもちゆ  よっ ておおく  これ


を製造(セイサウ)して諸 國 へ輸(ユ)

を   せいぞう してしょこくへ  ゆ


出(シユツ)なすといふ

  しゅつ なすという

(大意)

(補足)

「備前岡山和気郡伊部」、現在は備前市を代表する備前焼の里です。日本六古窯の一つ、JR伊部駅があります。

 看板に「石盤石筆學校用」とあって、今で言う文房具屋さんみたいなお店かもしれませんが、このお店は石筆専門店かな。明治政府は小学校を全国津々浦々に設立しました。ほどほどの大きな街にはそれに付随して個人経営の文房具屋が必ずといってよいほどあって、それは現在まで引き継がれています。なのでこのお店の近くにも学校があったのようで、店先の通りに小学生が石盤を手にしています。

 店の中では右手に庖丁らしきものを持って何かを削っている店員がいます。石筆でしょう。その手前では店先に腰掛けて店員と商談中、手に何本もの石筆を持って掛け合っています。洋傘に洋帽、着物に羽織、それに下駄、なんともハイカラです。近くの学校の教師でしょうね。店中にある箱の側板には「石筆」とあります。

 わたしが小学校に上がる前後までは、文房具屋や雑貨店や駄菓子屋で蝋石(ろうせき)を売っていました。直方体の細長い墨のような形です。道路などにいろいろなものを書いて怒られたりもしましたが、文字をおぼえる練習もしたものです。

 

2026年8月2日日曜日

大日本物産圖會その42

P42 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P42_1

(読み)

千島  國 海 獺採 之図

ちしまのくにらっことりのず


海獺(ラツコ)ハ其 毛柔(ヤワラ)尓して指(ユビ)をもつて

   らっこ はそのけ  やわら にして  ゆび をもって


画(モシヲカク)する尓少時(ザンジ)其 形 ちを存(ノコ)す

  もじをかく するに   ざんじ そのかたちを  のこ す


皮(カハ)を帽(バウ)尓造(ツク)りて人 の賞(シヨウ)する

  かわ は  ぼう に  つく りてひとの  しょう する


所  也 千(チ)島得撫島(ウルツプシマ)尓多 く

ところなり  ち しま   うるっぷしま におおく


産(サン)ず土人 全体(ゼンタイ)革(カハ)を以 て造(つくリ)し

  さん すどじん   ぜんたい   かわ をもって  つくり し


鰹節形(カツヲフシカタ)奈る船 尓體(カラダ)の入るべき

    かつおぶしがた なるふねに  からだ のいるべき


程(ホト)の穴 を三 ヶ所 穿(ア)け舟 乃

  ほど のあなをさんかしょ  あ けふねの


中 へ水 の入 らぬやう穴 よりつゞ

なかへみずのはいらぬようあなよりつづ


く革 を可らだ尓結(ユヒ)付 一 人ハ

くかわをからだに  ゆい つけひとりは


櫂(カイ)をもち両  人 もり尓て海 上

  かい をもちりょうにんもりにてかいじょう


尓浮(ウカ)む海獺(ラツコ)を突(ツキ)とる奈り

に  うか む   らっこ を  つき とるなり

(大意)

 海獺の毛は柔らかく、その毛皮に指で文字をなぞるとしばらくその文字が残るほどである。皮から帽子をつくるがそれらは人々に重宝されて人気がある。海獺は千島ウルップ島に多く生息する。土地の人々は鰹節形の舟を皮で覆うようにして造り、三人の躰が入るようそれぞれ三つの穴をあけ、舟の中へ水が入らぬようにしてあり、穴よりつづく皮を躰に巻き付けている。一人は櫂をもち、二人はもりを持って、海上に浮かぶ海獺を突きとるのである。

(補足)

「獺」、これ「獺」一文字で、カワウソです。なので海獺はうみかわうそ🦦。

 30年近く前のことになりますが、アラスカを旅したことがあります。丸一日を氷河ツアーに参加しました。船旅をする途中、白頭鷲や海獺を観察しました。ラッコはのんびりプカプカ毛づくろいをしながら、ときたまクルッとからだを回転させまた腹を見せてプカプカしてました。これじゃ簡単に捕まってしまうなとおもったものです。

 水族館もいくつか訪れましたが、たいていラッコがいて、運良く学芸員の方がいろいろ説明してくれました。かれらは「my stone」をそれぞれ持っていて、それを使って貝を腹の上に乗せて叩き割ります。おなじみの光景です。自分の石は脇の下に挟んで落とさないようにしているのだそうです。

 波間に浮かぶラッコの色が薄茶色ですが実物は黒です。絵師・彫師・摺師は見たことがなかったのかも。

 

2026年8月1日土曜日

大日本物産圖會その41

P41 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P41_1

(読み)

北 海 道 函 館 氷  輸出  之圖

ほっかいどうはこだてこおりゆしゅつのず


氷  ハ厳寒(ゲンカン)の節(セツ)北 海 道五陵岳(コレ ウカク)

こおりは   げんかん の  せつ ほっかいどう   ごりょうかく


の堀(ホリ)水 の氷  たるを鋸(ノコギリ)を以 て

の  ほり みずのこおりたるを  のこぎり をもって


凡 そ目方 二十 〆 目者゛かりに

およそめかたにじっかんめば かりに


引(ヒキ)王り二個(フタツ)合 して雪車(ソリ)ニ

  ひき わり   ふたつ あわして   そり に


乗(ノ)せ函館湊(ハコダテミナト)を運轉(ウンテン)なし

  の せ    はこだてみなと を   うんてん なし


大鋸屑(オガクズ)尓て覆(オホ)ひ箱 尓入レ

    おがくず にて  おお いはこにいれ


密封(フウ)して横 濱 東 京  その外

   ふう してよこはまとうきょうそのほか


諸国(シヨコク)へ輸出(ユシユツ)して氷  蔵 耳

   しょこく へ   ゆしゅつ してこおりくらに


納(オサ)め暑(シヨ)中  尓いだして販(ハン)

  おさ め  しょ ちゅうにいだして  はん


賣(バイ)ス

  ばい す

(大意)

(補足)

「貫」、『かん くわん【貫】① 尺貫法における目方の単位。時代によって相違があるが,メートル条約加入後,1891年(明治24)に15キログラムを四貫(一貫=3.75キログラム)と定め,尺貫法の基本単位の一つとした。一〇〇〇匁(もんめ)。貫目。』

「二十〆目」、約75kg。

「運轉」、車編のくずし字は「爿」or「丬」、「斗」に似ています。

 日本で氷が生産されるようになったのは「明治16年(1887年)に東京・京橋新富町に日本初の製氷会社「東京製氷会社」が設立され、機械での氷の生産が始まりました」。なのでこの図会が出版された明治10年頃は天然氷か米国からの輸入氷しかありませんでした。

 ここのは「北海道五陵岳の堀水の氷たる」氷なので、氷は透明でガラスのように向こう側がゆがみながらも透けて見えるはずですが、絵師は網のように透ける工夫はしなかったようです。ちょっと残念😢。でもって、氷のかたまりは白くというか直方体の箱のように線で表現しています。

 ほとんどの人が洋装で暖かそう。右側の山から流れてくる川のように見えるのは、小屋からあがるお茶を沸かしている竈の煙でしょうか。

 わたしが子どもの頃は、電気で稼働する冷蔵庫は普及してなくて、氷屋さんが配達する氷を断熱された冷蔵庫の中に入れて冷やすというものでした。我が家にはそれすらなかったのですが、お隣さんが使っていて、氷屋さんがやってきて氷を鋸で切る音を聞きつけると近所中の子どもが群がってきて、飛び散った氷のかけらの奪い合いとなりました。透明で冷たいかたまり、これを口にするとなんともいえぬうまさでおいしかったなぁ。

 

2026年7月31日金曜日

大日本物産圖會その40

P40 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P40_1

(読み)

對馬  國 海鼠 製 之図

つしまのくになまこせいのず


熟海鼠(イリコ)を製 する尓ハ腹 中

    いりこ をせいするにははらなか


三 條  の腸 をぬき空(カラ)鍋 尓入

さんじょうのわたをぬき  から なべにいれ


てつよき火尓て煮(ニ)ること

てつよきひにて  に ること


一 日 一 夜尓してとりいだし

いちにちいちやにしてとりいだし


冷 るを候(ウカゞ)ひ糸 尓てつ奈ぎ

さめるを  うかが いいとにてつなぎ


て乾  す又 竹 尓さして本し

てかわかすまたたけにさしてほし


多るを串海鼠(くしこ)といふ海鼠腸(このわた)

たるを    くしこ という    このわた


ハぬきたる王たを海 水 尓て

はぬいたるわたをかいすいにて


数 へんあらひ塩 尓和して

すうへんあたいしおにわして


収 むる奈り黄色 にひかり

おさむるなりきいろにひかり


ありて琥珀(コハク)のごと起ものを

ありて   こはく のごときものを


上  品 とす黒 ミあるハ下ひん

じょうひんとすくろみあるはげひん


奈り

なり

(大意)

(補足)

 いっとき海鼠(なまこ)の酢の物をよく食べていました。コリコリしてちょっとしびれる感じがしておいしい。栄養なんて考えたこともなかったけど、調べてみた。

 AI による概要です。

「海鼠(なまこ)は、高タンパクで低カロリーな食材であり、コラーゲン、サポニン、マグネシウムなどの栄養素を豊富含んでいます。約90%が水分で、生100gあたり約23キロカロリーです。

主な栄養成分と特徴

高タンパク・低脂質: 脂質が非常に少なく、ヘルシーに良質なタンパク質を補給できます。サポニン: 強い抗酸化作用や滋養強壮効果が期待される成分で、「海の朝鮮人参」と呼ばれる由来の一つです。

コラーゲン・コンドロイチン: 美容や関節の健康維持に役立つ成分が含まれています。

ミネラル類: 骨の健康に大切なカルシウムやマグネシウム、代謝を助けるビタミンB12が含まれています」。

 いやいや驚きました。あんなものといってはよろしくないけど、見てくれはわるいし、食指が動く生き物ではありません。でも、食い物としては優秀なのですね。

 釜で煮ている火力が半端ない、大釜をグラグラ煮立てるぐらいの勢いで煮ないとダメみたいです。それも「一日一夜尓して」ずっとです。

 

2026年7月30日木曜日

大日本物産圖會その39

P39 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P39_1

(読み)

對馬  國 海鼠 取 之図

つしまのくになまことりのず


生海鼠(ナマコ)熟海鼠(イリコ)金海鼠(キンコ)海

    なまこ     いりこ     きんこ


鼠腸(コノワタ)種 数の製 法 あり天

   このわた しゅすのせいほうありて


皇 国 諸 洲  より出すといヘ

こうこくしょしゅうよりだすといえ


ども支那尓ハ甚   稀 尓して

どもしなにははなはだまれにして


最  も珍 重  すといへり沖 中

もっともちんちょうすといえりおきなか


尓て漁  する尓ハ舩 の舳(トモ)耳

にてりょうするにはふねの  とも に


あミをつけて者し連バ自

あみをつけてはしればし


然 と入  奈り海 底 の石 に

ぜんとはいるなりかいていのいしに


つ起多るをとる尓ハ熟生鼠

つきたるをとるにはいりこ


の汁 又 は鯨  のあぶらを水

のしるまたはくじらのあぶらをすい


面 尓流 せバ水 底 透明(スキトホ)りて

めんにながせばみずぞこ   すきとお りて


見える然 して多満あミ尓

みえるしかしてたまあみに


て是 をすくふ奈り

てこれをすくふなり

(大意)

(補足)

「然して」、『しかして【然して・而して】(接続)〔副詞「しか」に動詞「す」の連用形「し」,助詞「て」の付いた語〕そうして。こうして。それから。文章に用いる。「大いに破壊して―改修せざるべからざるもの多々あるなり」〈偽悪醜日本人•雪嶺〉』

「日本史の宝箱」(中公新書)P68[能登名産ナマコの小桶]に『十六世紀半ば成立の故実書「年中恒例記」では、能登守護から将軍への恒例の献上品として確認される。』とあります。また海鼠腸50桶を年賀としていたとも別の史料に記されているとあります。

 おもしろいのは海鼠腸を「桶」と数えることです。なぜなのか?先程の本をお読みください。

 このような漁では箱メガネがこの当時、すでに出回っていたとおもうのですが、竹筒に「鯨のあぶらを水面尓流」すほうが手っ取り早かったのでしょうか。

 漁師たちがみな海鼠とりに集中しているさまがちょっと愉快(命をかけた漁なのに不謹慎でゴメンナサイ)でもあります。手前三人の中央の漁師の茶色の濃淡のついた着物がおしゃれです。籠の感じもそのまま手にできそうでうまいなぁ。

 小浪たつ舟まわりの沖中の海面の青藍の濃淡が本物のようにみえて、摺師の技ですね。さらに沖には帆掛け船がどこやら出かけるところであります。

 

2026年7月29日水曜日

大日本物産圖會その38

P38 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P38_1

(読み)

同 煙草 葉製 造 之圖

どうたばこはせいぞうのず


八 九月 頃 種 を下 し三 月 尓至 り

はちくがつごろたねをくだしさんがつにいたり


て移植(ウツシウヱ)六 月 頃 葉薄 黄と奈る

て   うつしかえ ろくがつごろはうすきとなる


尓随  ひて根尓近 き葉を二三 枚

にしたがいてねにちかきはをにさんまい


摘(ツミ)とるこれを元 葉といふ中  品

  つみ とるこれをもとばというちゅうひん


なり後 中  真 の二葉 をつむ

なりのちちゅうしんのにようをつむ


これを中  葉 といひて上  品 也

これをちゅうようといいてじょうひんなり


残 り枝 茎 を挍(はかり)てをりと里

のこりえだくきを  はかり ておりとり


陰乾(カケホシ)尓するもの下品 なり

   かげぼし にするものげひんなり


つミとりたる薬を揃(ソロ)へて薦(コモ)を

つみとりたるはを  そろ えて  こも を


被(オホ)ひ黄色 尓変 するを度(ド)とし

  おお いきいろにへんするを  ど とし


て二三 葉 づゝ縄(ナハ)尓可け又 日尓本し

てにさんようずつ  なわ にかけまたひにほし


夜つ由尓さらし後 巻 て細刻(キザム)奈り

よつゆにさらしのちまきて   きうざ なり

(大意)

(補足)

「同」、『大隅国』。鹿児島県。

「度とし」、詞書きに何度も出てきている表現です。目処(めど)にしての(漢字は異なりますが)度。

 とてもにぎやかで楽しさあふれる画、登場人物がそれぞれの仕事をしていてその動きの一瞬をとらえている絵師のうまさもさることながら、左の「ぜんまい刻み機」(ネットで調べると実物の写真があります)という器具を正確に、まるで営業マンが説明で使う見取り図のよう描いています。

 奥の庭に干してあるのは魚のひらきではなく、たばこの葉。暖簾に裏返しの「萬屋」はすでにでてきた画のおなじような暖簾に使われていました。版元錦栄堂(萬屋)の大倉孫兵衛の屋号です。

 ひとつひとつの品物や作業、人物の表情を細かに見ていて、飽きませんね。

 

2026年7月28日火曜日

大日本物産圖會その37

P37 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P37_1

(読み)

大 隅  國 煙草 培 養 之圖

おおすみのくにたばこばいようのず


煙草(タバコ)ハ元 南  アメリカの産 尓し

   たばこ はもとみなみあめりかのさんにし


て我 国 慶 長  十  年 ホルトガル人

てわがくにけいちょうじゅうねんぽるとがるじん


持 来 りて長 嵜 へ植(ウヱ)附 たるを

もちきたりてながさきへ  うえ つけたるを


初 として培養(ハイヤウ)せざる国 奈しと

はつとして   ばいよう せざるくになしと


雖(イヘ)とも就中   大 隅 ノ國 部上

  いえ どもなんかずくおおすみのこくぶこう


野 の舘(タテ)薩 摩の出水(イツミ)摂 州  石

ずけの  たて さつまの   いずみ せっしゅういし


津武蔵 の秩 父丹 波山 本 上 総の小糸 等 より出す物 を尤

ずむさしのちちぶたんばやまもとかずさのこいととうよりだすものをもっとも


上  等 と須此 草 性 辛(カラ)くして

じょうとうとすこのそうせい  から くして


収採(シ ユサイ)の後 虫 の付 患(ウレヒ)奈しと雖 とも

   しゅうさい ののちむしのつく  うれい なしといえども


成 長  乃時 ハ却(カヘツ)て虫 の付 事 夥(オヒタゝ)しく

せいちょうのときは  かへっ てむしのつくこと  おびただ しく


毎 朝 虫 をとらされバ其 葉を網(アミ)のごとく奈すもの也

まいあさむしをとらざればそのはを  あみ のごとくなすものなり

(大意)

(補足)

「大隅国」、鹿児島県。隅州(ぐうしゅう)。

「慶長十年」、1605年。日本にいつ頃から喫煙の習慣が広まったかは不明確なのだそうですが、16世紀末の南蛮人渡来以降というのが有力な説のようです。

「就中」、『なかんずく ―づく【就中】(副)〔「中(なか)に就(つ)く」の転。漢文訓読に由来する語〕』。なんども使われてますが、確認のため。

「大隅ノ國部」、大隅の国分か。

 日清戦争(1894‐1898)の戦費調達のため1898年政府はたばこの専売制を開始しました。さらに日露戦争(1904-1908)では1904年に完全専売制へと移行しました。驚くことに日露戦争期の国家予算(歳出)に占める軍事費の割合は82.3%(1905年時点)に達していました。たばこ売買はそれら軍事費のいったんを大きく支えていたのです。

 母の実家は農家でした。多くの農家が隠れてたばこを自家用のために栽培していて、母のおじいさん(あたまは丁髷のままでした)は刻みたばこを煙管につめて一服していたとのことです。ちょうど日露戦争頃のことでした。

 画の構図は何度か出てきているものと同じで定番といっても差し支えないとおもいます。小さな百合のようなきれいな白い花が咲くのですね。


 

2026年7月27日月曜日

大日本物産圖會その36

P36 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P36_1

(読み)

日  向 國 樟  脳 製 之圖

ひゅうがのくにしょうのうせいのず


樟脳(シヨウノウ)ハ當 國 宮 崎 郡  諸 村

   しょうのう はとうごくみやざきこおりしょそん


尓て製 す楠(クス)尓楠(クス)と樟(クス)の二

にてせいす  くす に  くす と  くす のに


種(シユ)有り則  チ樟 の根を細(サイ)末

  しゅ ありすなわちくすのねを  さい まつ 


尓者すり釜(カマ)尓入 て煎(セン)じ出

にはすり  かま にいれて  せん じだ


春釜 の上 に冷水(ヒヤミツ)を入連多る

すかまのうえに   ひやみず をいれたる


箱 をお起釜 中 湯の騰(ワク)尓

はこをおきかまなかゆの  わく に


随(シタガ)ひ蒸発(ジヨウハツ)して箱(ハコ)の底(ソコ)ニ凝(コ)

  したが い   じょうはつ して  はこ の  そこ に  こ


着(チヤク)春是 則   樟  脳 也 支那(シナ)人 是 を

  ちゃく すこれすなわちしょうのうなり   しな じんこれを


精製(セイ\/)して龍脳(リ ウノウ)と奈須といふ

   せいせい して   りゅうのう となすという

(大意)

(補足)

「日向国」、宮崎県。

 画全体の色の配置がきれいです。山から流れてくる川の水、それを引き入れている釜の上の箱の中の水、また山の茶色の濃淡が凹凸の感じをうまく出し、そのなかに川の水の色と同じ職人たちの半纏、籠をかつぐ人たちにも同じ水色をつかってます。籠の黄色や山の土の茶色が水色と補色になっていて、うきあがってみえて映えます。釜からあがる煙はあまり丁寧に描いてなさそう。

 居間に楠の一枚板を2枚おいてあります。たまにお客さんがやってくると、檜の香りがしますねといわれることがあって、楠なんですよと伝えると、どっちもいい匂いと納得してくれます。

 樟脳といえば箪笥の中に入れる防虫剤をすぐにおもいだします。しかしもうひとつあります。縁日で小さな水を張ったプールに、小さな船の後ろに樟脳をくっつけて浮かべると勢いよく進んでいくのです。スクリューもなにも動力がないのに、とても不思議でした。

 

2026年7月26日日曜日

大日本物産圖會その35

P35 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

P35_1

(読み)

日 州  緑  礬 製 之圖

にっしゅうりょくばんせいのず


緑(ロヨ)礬 ハ山 谷より磐石(ハンセキ)を掘(ホリ)

  りょくばんはさんやより   はんせき を  ほり


出し則  ち白 きハ明礬(ミヤウバン)と奈し

だしすなわちしろきは   みょうばん となし


其 色 青 きを粉 尓奈して水 を

そのいろあおきをこなになしてみずを


そゝぎ腐廃(フハイ)し多るを伺(ウカゞ)ひ

そそぎ   ふはい したるを  うかが い


て是 を釜 尓入 てせんじ

てこれをかまにいれてせんじ


その泡(アハ)をとりて乾(カハカ)し多る

その  あわ をとりて  かわか したる


毛能なり上  等 ハ紺手(コンデ)と

ものなりじょうとうは   こんで と


呼(トナヘ)て薬(ヤク)用 と奈し下等 ハ浅(アサ)

  となえ て  やく ようとなしかとうは  あさ


黄(キ)手と呼  て染汁(ソメシル)尓用 ゆ

  ぎ てととなえて   そめしる にもちゆ

(大意)

(補足)

「日州」(にっしゅう)、日向国。宮崎県。

「堀」、岩を「掘る」の意味なので正確にはこっちの手偏「扌」。ここの土偏「土」はお城の「堀」。

 わたしが子どものころ、家に大きい袋いっぱいの明礬(みょうばん)があって、夏になると母はその袋に手を突っ込んで、明礬を握りしめ、脇の下とその周辺に塗り込んでいました。なので夏の母の脇の下周辺は白粉(おしろい)を塗ったように白かったのを思い出しました。

 現在では各種メーカーから様々な制汗剤や消臭剤などが販売されていますが、薬局で購入する明礬一袋のほうがずっと安上がりで、効果は絶大です。

 季節は春から夏のよう。女、子どもがひとりもいません。鉱山なので厳しい労働環境だったのでしょうか。

 

2026年7月25日土曜日

大日本物産圖會その34

P34 国立国会図書館デジタルコレクション蔵


P34_1

(読み)

同 刈 揚之圖

どうかりばのず


農 家の婦女 子笠 を并 へ袖 をつら

のうかのふじょしかさをならべそでをつら


ねて唄 をう多ふて苗 をうゑる是 を

ねてうたをうたうてなえをうえるこれを


早乙 女といふ扨 うゑ付 の後 度

さおとめというさてうえつけののちたび


々 手入連をして秋 尓至 り花

たびていれをしてあきにいたりはな


も散り穂もそろひて用 水 を抜

もちりほもそろいてようすいをぬき


日 光 尓田を干 て鎌 を以 て刈

にっこうにたをほしてかまをもってかり


とり竿 尓可けて五 日本ど干シ

とりかさにかけていつかほどほし


稲把(イナコキ)尓て古きおとし颺(トウ)扇(ミ)に

   いなこぎ にてこきおとし  とう   み に


と本し篩(フルイ)尓可けま多とうミ尓

とおし  ふるい にかけまたとうみに


て精 粗を区分 し木臼 に可け

てせいそをくぶんしきうすにかけ


てすり多て万斛簁(まんごくどおし)尓て精

てすりたて    まんごくとおし にてせい


粗を別け升 尓斗 りて俵

そをわけますにはかりてたわら


尓をさむ

におさむ

(大意)

(補足)

 画は緑から黄金色一色の秋になりました。

「同刈揚之圖」、前回と同じで「肥後国」、熊本県。

小さな赤札が3枚あります。

右側「稲コキ」、穂先から籾をおとす。脱穀。

中央「カラ竿尓て打」、同じく籾落とし。

左側「颺扇」(とうみ)、脱穀したものに混じっている様々なものを風をあてて(手動扇風機です)吹き飛ばし選別する。

 さらにその左側にある直方体の上に入れ口がある器械が「万斛簁」で籾の大きさをより分ける。松の木の奥に見えている笠を重ねてあるのが、「竿尓可けて五日本ど干シ」てある刈り取った稲。

 わたしの母の実家は農家でした。子どものころよくあずけられていましたので、これらの器械が納屋に置いてあるのを目にしました。これらの作業はみな手作業で人力でしたが、しばらくして1960年過ぎころより急速に機械化されていったようにおもいます。

 これら作業のあとは、最後に箒で丁寧に掃き、籾を集めて一粒も無駄にしません。一粒でも他の籾と同じように手間かけて育てたのだよと、母の口癖でした。

 

2026年7月24日金曜日

大日本物産圖會その33

P33 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P33_1

(読み)

肥後 國 田植  図

ひごのくにたうえのず


皇 國 の米 産 地球  中  第 一 等 と須

こうこくのべいさんちきゅうじゅうだいいっとうとす


就中   美濃肥後伊勢尾張 遠

なかんずくみのひごいせおわりとおとう


江肥前 日  向山 城 大 和駿 河伊

みひぜんひゅうがやましろやまとするがい


豆近 江三河 を上  等 とす米 ハ

ずおおみみかわをじょうとうとすこめは


粳(ウルチ)糯(モチ)の二称  尓して八 十  八 夜

  うるち   もち のにしょうにしてはちじゅうはちや


前 後尓種子を俵  尓包 ミ池 沼

ぜんごにたねをたわらにつつみいけぬま


尓十  五六 日 浸(ヒタ)し水 より揚 て湯

にじゅうごろくにち  ひた しみずよりあげてゆ


を灌(そそぎ)むしろをお本ひ芽(モヤシ)二

を  そそぎ むしろをおおい  もやし に


分本どいづるを度とし天

ぶほどいずるをどとして


苗 代 尓散 布しのち五十

なえしろにさんぷしのちごじゅう


日 本ど経て苗 三 四 寸 のび多

にちほどへてなえさんよんすんのびた


るを玉 苗 といひてこれをうゑ

るをたまなえといいてこれをうえ


つけの期と須

つけのきとす

(大意)

(補足)

「肥後国」、熊本県。

「地球中第一等」、「地球」という表現が江戸時代後期より庶民にも広まって、明治時代には様々な書物や子どもの読本などにも使われ始めました。

 畔道に母娘が裾を端折って田植えの様子を見ています。田植えするお姉さんたちはきれいな着物に赤襷、これはもちろん今で言う写真用。実際はツギハギだらけの田植えをしやすいような実用本位の着物です。

 2枚の小さな札があって、薄茶色には「田植」、赤のは「畔タカヤス」とあります。

 畔道のわら籠に入っているのが玉苗。

 

2026年7月23日木曜日

大日本物産圖會その32

P32 国立国会図書館デジタルコレクション蔵

p32_1

(読み)

同 鰹  節 を製 ス圖

どうかつおぶしをせいすず


扨 魚 多 く集  る時 ハ雌牛(メウシ)の

さてうおおおくあつまるときは   めうし の


角(ツノ)鯨  の牙 等 尓て飼(かひ)奈くし

  つの くじらのきばとうにて  かい なくし


て釣る是 を可けると云 奈り

てつるこれをかけるというなり


つり多る魚 を渚(ナギサ)の砂上  耳

つりたるうおを  なぎさ のさじょうに


本う里上ゲ先ツ頭  を断(キ)り

ほうりあげまずあたまを  き り


腸 をぬき骨 を除 き二枚 ニ

わたをぬきほねをのぞきにまいに


おろし多るを又 二 ツ尓切 て

おろしたるをまたふたつにきりて


四片 と奈し籠(カゴ)尓奈らべて

しへんとなし  かご にならべて


幾 重も可さ年大 釜 の沸(ニヘ)

いくえもかさねおおがまの  にえ


湯(ユ)尓むして簀(ス)の子尓奈ら

  ゆ にむして  す のこになら


べ三 十  日 本ど本してふ多ゝび

べさんじゅうにちほどほしてふたたび


ミ可゛起て樽 尓つめ諸 方 へ

みが きてたるにつめしょほうへ


積 出す奈り

つみだすなり

(大意)

(補足)

「同」、土佐国。

「メウシ」、め‐うし【牝牛・雌牛】。ここの当て字の漢字に「牸牛」ともしている文書がありますが、ここの漢字にあてはまっていません。なんでしょうねぇ?

「飼」、餌にもみえますが、さて?

 ここの見どころはなんといっても大釜。薪をくべ火の粉をあげて燃えさかり、立ち上がる煙をすかして窯や大釜がうっすらと見え、また奥の敷居がわずかにみえそうでもあります。摺師の技によるところがおおきそうだ。

 

2026年7月22日水曜日

大日本物産圖會その31

P31 国立国会図書館デジタルコレクション蔵 

P31_1

(読み)

土佐 國 鰹  釣 之圖

とさのくにかつおつりのず


鰹  ハ外 海 の諸 国 尓採 といへ

かつおはそとうみのしょこくにとるといえ


ども土刕  尓て出すを名 産 と須

どもどしゅうにてだすをめいさんとす


魚  を捕る尓ハ網 ハ稀 尓して

さかなをとるにはあみはまれにして


鈎 多 し其 時 を撰 者゛つといへ

かぎおおしそのときをえらば ずといえ


ども三 四月 ごろを初 鰹  とし

どもさんしがつごろをはつがつおとし


て春  節 の上  品 と須生(イキ)い王しを

てしゅんせつのじょうひんとす  いき いわしを


飼 として一 艘 尓十  二人 のり込 九

えさとしていっそうにじゅうににんのりこみきゅう


尺  のつり竿 尓糸 の長 サ六 尺

しゃくのつりざおにいとのながさろくしゃく


計  奈り先ツ生 い王しを夥   しく

ばかりなりまずなまいわしをおびただしく


水 上  尓放 てバ可つを是 につき

すいじょうにはなてばかつおこれにつき


集  る其 中 へ針 尓い王しの尾を

あつまるそのなかへはりにいわしのおを


さして投 入 連バ忽(タチマ)ち食 つきて

さしてなげいれれば  たちま ちくいつきて


猶予(イウヨ)のひ満奈く引 上 る也

   ゆうよ のひまなくひきあげるなり

(大意)

(補足)

「土州」、「州」の異体字に「刕」などがあります。ここのは下の「刀」ふたつが「丶」四つ。

「猶予」、「予」の旧字は「豫」ですが、ここの漢字は拡大しても不明です。

 この濱の漁師たちは誰も箕の腰巻きをしてません。国によって違うのかも?舟の左舷に莚(むしろ)を横延ばしにしたようなものを取り付けています。これははて?なんでしょうか。舟がかっこういいなぁ。