2026年6月21日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その22

P38 国文学研究資料館蔵

(読み)

得多る所  能現 在 の圖な里證  とするに足れ

えたるところのげんざいのずなりあかしとするにたれ


里越よそ人 其 職  分 の本 を知らハをの川可ら

りおよそひとそのしょくぶんのもとをしらばおのずから


財 宝 を得る能便 とならん此 書 世能ため尓

ざいほうをえるのびんとならんこのしょよのために


益 なしとい者んや猶 こゝに毛れ多るハ追 ゝ 尓見

えきなしといわんやなおここにもれたるはおいおいにけん


聞 し天物 産 能大 成 を期するのミ

ぶんしてぶっさんのたいせいをきするのみ


 赤 松  閣 平 瀬光 雪 書

 せきしょうかくひらせこうせつしょ

(大意)

得たものの現在の姿であり、実在のものである証としては充分なものである。およそ人は自身の本分を知ればおのずから財産をなす手立てを得るものである。この書が世のために役に立たないなどということはない。ここにかき尽くせなかったことどもは少しずつ見聞して物産についてなおいっそうの充実をめざすのみである。

(補足)

 全5巻完了しました。日本全国の諸物産を記し、また描き、それらはとうになくなってしまっているものもあれば、現在でも同じ場所や異なった場所で引き継がれているものもありました。

 この日本山海名物圖の成り立ちについてはよくわからないことが多いのだそうですが、それにしてもなぜ下手くそな絵師長谷川光信にまかせたのか一番の疑問でもあります。かれよりもっともっとましな絵師はたくさんいたはずで、実際ほぼ同時期に出版されている日本山海名産図会では見事な画がたくさん描かれていますし、名所図会などでもたくさんの絵師たちが腕をふるっています。

 愚想するに、出版するに当たって金がからんでいたのではないかと、なんの証拠もありませんが、そのあたりに落ち着くのが腑に落ちるところなのであります。金をだすから、この金がなけれな出版できまい、わたしにまかせてくれればよい。そのかわり画を描かせてくれ、どうじゃ。

 さて次回からは明治十年に出版された「大日本物産圖會」となります。

 

2026年6月20日土曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その21

P37 国文学研究資料館蔵

(読み)

皮 を特 鼻褌 尓用 由己登王 充  可説 尓出

かわをとくびこんにもちゆことおうじゅうがせつにいず


僧 正  坊 の像 ハ古法 眼 の着  想 尓鼻 能高 き

そうじょうぼうのぞうはこほうげんのちゃくそうにはなのたかき


山 僧 を見しより始  れ里とそ繪空 言 と天

さんそうをみしよりはじまれりとぞえそらごととて


信 せられ怒事 多 し今 此 圖せる所  能山 海

しんぜられぬことおおしいまこのずせるところのさんかい


名 物 ハ左尓あら須諸 国 山 川 海 濱 の物 産 尓

めいぶつはさにあらずしょこくさんせんかいひんのぶっさんに


世をは可なむものを尋  毛とめて價  を施  して

よをはかなむものをたずねもとめてあたいをほどこして

(大意)

 ふんどしをしている。このことは王充の本にある。鞍馬の天狗の画は元信が鼻の高い山僧を見て着想を得たのが始まりと言われている。金剛力士立像も僧正坊も絵空事でとても信じられることではなくまたそのようなことは多い。しかしながらここに描かれた山海名物の画はそのようなものではない。諸国山川海浜をめぐり求め、とりたてて目立たぬ産物の価値をみつけ、

(補足)

「特鼻褌」、『「特鼻褌」は誤変換や古い当て字で、正しくは「犢鼻褌(とくびこん)」または「たふさぎ」と読みます。古代から日本で着用されていた男性用の下着(褌)の一種で、陰部を覆うための布を指します。「犢(とく)」は子牛を意味し、局部を覆う布が子牛の鼻に似ていることから名付けられました』。ようするにふんどしのこと。

「王充」、『おうじゅう わう― 【王充】[27〜100頃]中国,後漢の思想家。字(あざな)は仲任。「論衡(ろんこう)」を著し,合理的・実証的な批判精神で,当時の儒家の尚古主義や俗論を攻撃した』。

「僧正坊」、『そうじょう‐ぼうソウジャウバウ① 京都の鞍馬山に住んでいたという天狗の名。② 京都の鞍馬寺の僧坊をいう』

「古法眼」、『こほうげん ―ほふげん。父子ともに法眼の位を授けられている時,その父の方をいう称。特に,狩野元信をいう。』

 たくさん変体仮名が出てきています。これを学ぶのがこのBlogの目的です。

 

2026年6月19日金曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その20

 

P36 国文学研究資料館蔵

(読み)

か多し其 金 銀 銅 鉄 能出  所 其 外 諸 国

がたしそのきんぎんどうてつのしゅっしょそのほかしょこく


山 海 の土産 世人 の阿まね久志らさる所  也

さんかいのみやげせじんのあまねくしらざるところなり


先 考 平 瀬鉄 斎 子孫 耳志らしめん多め

せんこうひらせてっさいしそんにしらしめんため


綴  置 しを繪師長谷川 光 信 尓画図を

つずりおきしをえしはせがわみつのぶにがずを


求  て五巻 と那し怒雷   をゑかく毛のハ力士

もとめてごかんとなしぬいかずちをえがくものはりきし


左  尓連 鼓を携  へ右 に鞭 を毛川て多 くハ豹  虎の

ひだりにれんこをたずさえみぎにむちをもっておおくはひょうこの

(大意)

 それら金銀銅鉄の産出地や諸国の山海の産物について世の人々は詳しくは知られていない。亡き父、平瀬鉄斎はのちの人々にそれらのことを伝えんと書きためていたものに、絵師長谷川光信に絵図を頼み全五巻とした。怪人を描くものとして金剛力士があり、左に連鼓を携え右に鞭を持って、多くは虎の皮の

(補足)

「先考」、『せんこう ―かう【先考】死んだ父。亡父。 ↔先妣(せんぴ)。「慈母の口から―の平生を聞くことを」〈渋江抽斎•鷗外〉』

「子孫」、『しそん【子孫】① 子と孫。② 子・孫・曽孫と血筋をひいて生まれる人々。また広く,のちの世代の人々。後裔(こうえい)。』

「雷」、『いかずち いかづち 【雷】〔「厳(いか)つ霊(ち)」の意。「つ」は助詞〕① かみなり。なるかみ。季夏「鼓の音は―の声と聞くまで」〈万葉集•199〉 ② 魔物。「上に八色(やくさ)の―あり」〈日本書紀•神代上訓〉』

「力士」、『ちからびと 【力人・力士・〈健児〉 】力の強い人。強健な者。また,勇猛な兵士。「軍士(いくさびと)の中の―軽く捷(はや)きを選り聚めて」〈古事記•中訓〉 →健児(こんでい)』or『りきし【力士】〔古くは「りきじ」〕① 相撲取り。② 力の強い人。「長者の家を守る一人の―あり」〈今昔物語集•2〉 ③ 「金剛力士」の略。』


 

2026年6月18日木曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その19

P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

ばつ


誹 人 許 六 可曰末 能代 尓阿川て和歌の道 に

はいじんきょろくがひすえのだいにあってわかのみちに


對 する毛のハ金 銀 な里目尓見エ怒鬼神 を

たいするものはきんぎんなりめにみえぬきじんを


なりしめ於とこ越ん奈能中 をやハらけたけき

なりしめおとこおんなのなかをやわらけたけき


毛のゝふ能心  をなくさむるものハ是 な里と誠  に

もののふのこころをなぐさむるものはこれなりとまことに


是 尓にくまるゝ者 ハ此 界 尓一 日 能逗 畄  も成

これににくまるるものはこのかいにいちにちのとうりゅうもなり(がたし)

(大意)

俳人の許六の時代には和歌の素養が重要だったが、

現在それに変わるものは金銀の財貨である。

[以下意味不明ですがフィクションで記しておきます。]

目に見えぬ鬼神をなだめ、男と女の中をやわらげ、猛き

武士の心を慰めるものはこれ財貨であることを誠に

憎んでいるものがいるとすれば、この世に一日も生活は

できまい。

(補足)

「跋」、『ばつ【跋】書物・文章などの末尾にしるす文。後書き。 ↔序』

「誹人」、俳人。

「許六」、『もりかわきょりく もりかは―【森川許六】[1656〜1715]江戸前・中期の俳人。彦根藩士。名は百仲(ももなか),別号を五老井・菊阿仏など。松尾芭蕉晩年の門人。絵をよくし,芭蕉が師と仰いだ。蕉門十哲の一人で屈指の論客。編著「韻塞(いんふたぎ)」「篇突(へんつき)」「宇陀法師」など。きょろく。』

 この跋は平瀬徹齋の息子である平瀬光雪が記しています。

 

2026年6月17日水曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その18

P34奥付 国文学研究資料館蔵

(読み)

畫工 松翠軒長谷川光信

寶暦四年甲戌初夏吉日

寛政九年丁己初春求板 平瀬徹齋撰


日本

萬物 山 海 名 産 図會 法橋月画 完五冊

     さん可いめいさんづゑ

此 編 尓もれ多る諸 国 能名 物 名 産 を集 め悉    く図を阿らハし

このへん     しよこく めいぶつめいさん あ川 こと\゛/ づ

く王しく其 業 を文 尓濱 海 内  能産 物 多 きを知らしむ

    その王ざ ぶん のべ可い多゛い さんぶつお本  し

浪蕐書林

梶木町渡辺筋

 播磨屋幸兵衛

心齋𣘺通南久太良町

 鹽屋長兵衛

 鹽屋卯兵衛

(大意)

(補足)

この奥付はこの本の宣伝となっています。

「寶暦四年甲戌初夏吉日」、1754年きのえいぬ旧暦4月頃。

「寛政九年丁己初春」、1797年ひとのみ旧暦1月頃。求版は現在の再版と同じようなもので、初版から43年後に出版されているのは何かわけがありそうです。

 「日本山海名産名物図会 註解 千葉徳爾 社会思想社」昭和54年7月30日初版第三刷発行の巻末解題にこの本の成り立ちが記されていて、その部分を読み終わってもやはり謎につつまれた感じをぬぐいきれませんでした。

 

2026年6月16日火曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その17

P32P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  引 寄  図

くじらひきよせるづ

くじらひきよせるず


徒きとめ多る鯨  尓真綱 を徒けろくろ尓て地方 へ引

          まづ奈        ぢ可多 ひき

つきとめたるくじらにまづなをつけろくろにてじかたへひき


よする也 此 ろくろをかぐらさんと云 其 肉 を切 て油  を取 也

     この              尓く きり あふら とる

よするなりこのろくろをかぐらさんというそのにくをきりてあぶらをとるなり


惣 じてくじら皮 ハ黒 く其 内 尓白 肉 有 白 肉 の下 尓赤 肉 阿り皮

そう     可ハ    そのうち しろ尓く阿り        あ可

そうじてくじらかわはくろくそのうちにしろにくありしろにくのしたにあかにくありかわ


くじらとて賣 買 春るハ尾とひれとの間   也 是 を尾者せ於つ者゜と云

     うり可い   を     あい多゛

くじらとてうりかいするはおとひれとのあいだ なりこれをおはせおっぱ という


也 又 くじらのひげといふハ咽 下 奈る出?也 是 細 工尓用 由世尓くじら

              のど          さいく もち よ

なりまたくじらのひげというはのどもとなる??なりこれさいくにもちゆよにくじら


細 工といふ俗 説 尓鯨  一 疋 とれハ七 浦 尓ぎ者うと云

      ぞくせつ    いつひき   奈ゝうら

ざいくというぞくせつにくじらいっぴきとればななうらにぎわうという


浦 人 大 尓いさミ悦  ぶこと也

          よろこ

うらびとだいにいさみよろこぶことなり

(大意)

(補足)

「尾者せ於つ者゜」、鯨の部位で尾肉の部分を「尾羽(おば)」というとありましたが、これと関係しているのでしょうか。

「咽 下奈る出?也」、あれこれ悩みましたが不明です。

 鼻の短い象のような顔。でも頭のてっぺんに鼻の穴があります。

 

2026年6月15日月曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その16

P30P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  突 舩

くじらつきふ年

くじらつきふね


くじらつき舟 十  六 艘 舟 ごと尓一 のもり三 本  数 もり

            そう     いち     本゛ん可ず

くじらつきふねじゅうろくそうふねごとにいちのもりさんぼ んかずもり


十  二本 大 もり五本 けん壱 挺  徒ゝ阿り一 の毛りを

                 て う

じゅうにほんおおもりごほんけんいっちょうずつありいちのもりを


徒き多る舟 ハの本゛りの外 尓ふきぬきを立 る也 鯨  手をおひて

            本可

つきたるふねはのぼ りのほかにふきぬきをたてるなりくじらてをおいて


則   動 揺 春ること夥   しく五三 里可間  も

す奈ハちどうやう    おび多ゝ     り あい多

すなわちどうようすることおびただしくごさんりがあいだも


者年まハるといへ共 次㐧  尓

          し多゛い

はねまわるといえどもしだ いに


よハりて死春る時 尓至 りてハもと能手をおひ多る所  へ

    し  とき い多            ところ

よわりてしするときにいたりてはもとのてをおいたるところへ


立 可へ里て死春ると也

たちかえりてしするとなり

(大意)

(補足)

「けん」は「剣」でとどめの剣。

「五三里可間」、五里、三里の間も。あちらこちらの意味でしょう。

 

2026年6月14日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  置 網

くじらおき阿ミ

くじらおきあみ


くじら鯨  鯢 の字を用 由るハ誤   也 海 編 と書 可゛正 字也 

                あやまり

くじらくじらげいのじをもちゆるはあやまりなりうみへんとかくが せいじなり


くじら大 奈る

くじらだいなる


舟 をものむ也 日に光  尓其 鰭 をひらめ可するハ旗 をふる可゛古゛とく

ふ年        ひ可り そのひれ        者多

ふねをものむなりひにひかりにそのひれをひらめかするははたをふるが ご とく


沫 を吹けハ雨 のごとし其 海 上  尓あらハるゝ時ハ

あハ ふ  あめ      可いしやう      とき

あわをふけばあめのごとしそのかいじょうにあらわるるときは


あ多可も山 のごとし往来 の舟

    やま    ゆきゝ

あたかもやまのごとしゆききのふね


これ尓あへハ必    さい奈んあり鯨  の口 の下 あご尓

      可奈ら須゛          くち

これにあえばかならず さいなんありくじらのくちのしたあごに


大 鰭 阿り椶   木の皮 尓似て小松 を

  ひ連  し由ろのき 可ハ   こまつ

おおひれありしゅろのきのかわににてこまつを


植 奈らべ多るごとく尓見由る也 網 舟 十  二艘 人 数 十  五人 づゝ

うえ              あミ      そう

うえならべたるごときにみゆるなりあみぶねじゅうにそうにんずうじゅうごにんずつ


是 ハ先 へまハりて網 を

これ さき

これはさきへまわりてあみを


おろし置 也 くじら此 あミ尓さま多げられてよハる也

   於く

おろしおくなりくじらこのあみにさまたげられてよわるなり


舟 ハ何 れも平 徒゛くり川 御座能可多ち也

   いづ  ひら    可ハござ

ふねはいずれもひらづ くりかわござのかたちなり

(大意)

(補足)

「海?」、?は魚+鬲でしょうか。一日おいて間違いに気づきました。「海」編(正しくは偏)でしょうね。

「川御座」、『かわござぶね かは―【川御座船】① 江戸時代,幕府や諸大名が河川で使用した豪華な大形の屋形船。② 町方の船遊山などに賃貸しする屋形つきの川船。大坂界隈での呼称で,江戸では町御座船・借御座船がこれに相当する』

 網の周囲には浮として比較的大きな樽がいくつも結びつけられています。。

鯨の髭は現在では貴重品となってしまっていますが、工芸品やバネなどいろいろ使われているようです。

 

2026年6月13日土曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その14

P26P27 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨  吹 レ氣 図

くしらふく きをつ

くじらきをふくず


鯨  潮 を吹 をけを吹 と云 也 是 を遠 見より見つけて相 図の

くしらし本 ふく             とをみ      あいづ

くじらしおをふくをけをふくというなりこれをとおみよりみつけてあいずの


志らせ阿れバ鯨  つき舟 を出してもり尓て突 とむる也 もりに

                     つき

しらせあればくじらつきふねをだしてもりにてつきとむるなりもりに


両  刃阿り一 方 ハ短  く一 方 ハ長 し上 へむけて奈ぐる時

里やう者                            とき

りょうばありいっぽうはみじかくいっぽうはながしうえへむけてなぐるとき


下 へ於ちさ満尓鯨  尓阿多る

したへおちざまにくじらにあたる


也 鯨  驚  きて者袮まハる尓従  ひてもりハ深 く者いると也

     おとろ        し多可     ふ可

なりくじらおどろきてはねまわるにしたがいてもりはふかくはいるとなり


鯨  舟 十  六 艘 頭  舟

          そう可しらふね

くじらふねじゅうろくそうかしらふね


二そう先 尓立 也 舟 一 艘 尓人 数 十  四人 づゝ頭  を於き

にそうさきにたつなりふねいっそうににんずうじゅうよにんずつかしらをおき


やいと云 もりつきを者多゛しと云

やいというもりつきをはだ しという


舟 一 そう尓ともろ一 丁  王きろ一 丁  其 外 一 方 に

ふねいっそうにともろいっちょうわきろいっちょうそのほかいっぽうに


三 丁  徒゛ゝ以上  八 丁  一 丁  尓二 人可ゝり也

さんちょうず ついじょうはっちょういっちょうにふたりがかりなり

(大意)

(補足)

 表題の「吹」と「氣」の間にある「レ」はレ点。

鯨のお目々がかわいらしい。潮吹きの画は見事!そのまま植木鉢に入れれば何か植物の画にもなりそうです。

 以前、米国のサンノゼからすぐのところモンレーの港で、ホエールウオッチングツアーに参加したことがります。ツアー前日まで数日間嵐で、当日は絶好のツアー日和。ブルーホエール(シロナガスクジラ)を何頭も間近で見ることができました。なにしろデカイ!ちょうど25mプールくらいの長さがあります。そして潮吹きの迫力がこれまたすごかった。あたりに悪臭とまではいかないけど、磯の匂いが腐ったような臭気が当たり一面に漂いました。あんな巨大な生き物を小型舟と銛でしとめるのだから、命がいくつあってもたりません。

 

2026年6月12日金曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その13

P24P25 国文学研究資料館蔵

(読み)

鯨   遠 見

くしらのとを見

くじらのとおみ


古来 より絵尓書 来 るくじらハ本 式 尓阿ら須゛今 図する

こらい  ゑ          本んしき     いまづ

こらいよりえにかききたるくじらはほんしきにあらず いまづする


所  ハ画 工 長谷川 光 信 海 邊尓て真  の鯨  を見天

ところ ぐハこうハせ可ハミ川のぶうミべ  まこと くしら

ところはが こうはせがわみつのぶうみべにてまことのくじらをみて


其 躰  をう川せり尤   正  とすべしくじら取 ハ山 の手尓小屋をつくり

その可多ち         せ う

そのかたちをうつせりもっともしょうとすべしくじらとるはやまのてにこやをつくり


遠 目鏡 にて塩 をふくを見て采 をふり舟 手へ志ら春る也 くじら尓

とをめ可年  し本      ざい

とおめがねにてしおをふくをみてさいをふりふなでへしらするなりくじらに


五種 有 。ざとう。小くじら。ま川こう。せミ。奈可゛せと云 奈可゛せハ鯨  の

ごし由                                くじら

ごしゅあり ざとう こくじら まっこう せみ なが せというなが せはくじらの


㐧 一 尓て三 十  三 尋 有 此 くじらハ見つけてもとらぬ可゛

             ひろ阿り

だいいちにてさんじゅうさんひろありこのくじらはみつけてもとらぬが


鯨  取 能作法 也

      さ本う

くじらとりのさほうなり

(大意)

(補足)

「遠見」、「見」のフリガナが「ミ」でも「み」でもなくなぜか「見」です。

この頁から最後まですべて鯨の項目となります。司馬江漢「西遊旅譚」に生月島の鯨漁について詳しい話が記されています。しかしこの本はそれよりも約百年前の出版です。

 遠眼鏡を使っているひとの奥にやかんを乗せた火鉢があります。火鉢というと現在はほとんどが七輪やボール状のものになってしまっています。ここのように手前をくりとったものは見かけなくなりました。

 

2026年6月11日木曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その12

 

P22P23 国文学研究資料館蔵

(読み)

赤 鱏(ゑきれ)

あ可ゑい

あかえいえきれ


これを取 尓ハ漁 人 舟 尓のりて舟 者゛らを多ゝけバゑい

       ぎよじん

これをとるにはぎょじんふねにのりてふなば らをたたけばえい


多 くう起出る也 これをもり尓てつき取 奈りゑいの

おおくうきでるなりこれをもりにつきてとるなりえいの


尾尓て人 をさせ者゛即 時尓人 死春といへりこれ尓樟  脳 を付 てよし

を         そくじ   し        せ うのう

おにてひとをさせば そくじにひとしすといへりこれにしょうのうをつけてよし


海 参

奈まこ

なまこ


奈まこ虎 子共 云 漁 人 これを取 尓ハくじらの油  をちょくに

   とらごともいふ               あぶら

なまことらごともいうぎょじんこれをとるにはくじらのあぶらをちょくに


いれてこより尓徒けて海 へ入るれハ海 水 そこま天゛見え

いれてこよりにつけてうみへいるればかいすいそこまで みえ


春くなり其 時 長 きかい多゛ま尓て春くひ取 也 かい多゛満ハ

すくなりそのときながきかいだ まにてすくいとるなりかいだ まは


柄の付 多る小網 也

ゑ      あミ

えのつきたるこあみなり

(大意)

(補足)

「ゑきれ」、エイヒレのこと。

磯に近い岩場での漁なので、危険と隣り合わせです。

 

2026年6月10日水曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その11

P20P21 国文学研究資料館蔵

(読み)

鰮  網

いハしあミ

いわしあみ


い者しあミハ大 小  二網 奈り大 をま可せと云 

                       いふ

いわしあみはだいしょうにあみなりだいをまかせという


小  を者ちだと云 此 二

          この

しょうをはちだというこのに


あミを一里四方 へ引 也 其 うけをあ者゛と云 うけづ奈の中 程 尓

   ちりよ本う ひく  その              奈可本と

あみをちりしほうへひきなりそのうけをあば といううけづなのなかほどに


舟 二そうつけてあミの一 所 へよりぬやう尓

ふねにそうつけてあみのいっしょへよりぬように


両  方 へかぎ尓て引 也 網 舩 の

里やう本う         あミふ年

りょうほうへかぎにてひくなりあみふねの


先 尓立 舟 ハまあミさ可阿ミとて二艘 也 其 舟 尓けん保゛うとていハしを

さき 多川             そう

さきにたつふねはまあみさかあみとてにそうなりそのふねにけんぼ うとていわしを


ぬけぬやう尓後 へ追 者 四五人 有 ◯伊与の宇和嶋 い王し多 し関  東

      あと おふ毛の          う王しま      くハんとう

ぬけぬようにあとへおうものしごにんあり いよのうわしまいわしおおしか んとう


尓てハ総 州  銚 子浦  より多 く出る丹 後より出るいハし

        て うしうら

にてはそうしゅうちょうしうらよりおおくでるたんごよりでるいわし


名 物 也 風 味よし

      ふうミ

めいぶつなりふうみよし

(大意)

(補足)

「けん保゛う」、『つきんぼう ―ばう【突きん棒】海面を泳いでいるマグロ・カジキなど大形の魚を銛(もり)で突き刺してとる漁法。また,それに用いる銛をつけた棒。「―漁」』のことではないかとおもいます。

 2艘の舟の艫(とも)に鳥居の形に似たものがありますが、どんなふうにつかったのでしょう?

 ちょうどイワシのうまい時期になってきました。入梅いわしなどといわれてます。脂がのって身がふっくらとして、刺身を生姜醤油で食べます。

 

2026年6月9日火曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その10

P18P19 国文学研究資料館蔵

(読み)

梭 魚兒

可ますこ

かますこ


かま須といふ魚 の子也 又 ハい可奈ご共 云 

      うを こ         ともいふ

かますといううおのこなりまたはいかなごともいう


摂 州 尼  崎 兵  庫

せつしうあまがさきひやうご


の浦 尓て多 く取 也 是 を取 網 ハ春べあミと云 外 まハり

 うら              あミ        そと

のうらにておおくとるなりこれをとるあみはすべあみというそとまわり


ハ索 尓てあミ其 次 ハ藁 蕊 尓てあミ真 中 ハ苧網 也 徒奈十  四筋

 奈ハ         王らしべ    まん奈可 を          すじ

はなわにてあみそのつぎはわらしべにてあみまんなかはおあみなりつなじゅうしすじ


人 数 十  四人 まあミさ可阿ミとて綱 舟

にんずうじゅうよにんまあみさかあみとてつなぶね


二艘 あり外 尓舟 二そう付

 そう  本可      つくる

にそうありほかにふねにそうつくる


也 四 艘 の舟 にもやいをつけ四方 取 まハして綱 を入るゝ也 かま須

                し本うとり

なりよんそうのふねにもやいをつけしほうとりまわしてつなをいるるなりかます


ごを煎 じ油  を取 其 せんじがらを市 へ出してかますごとて賣 也

  せん あぶら           いち だ        うる

ごをせんじあぶらをとりそのせんじがらをいちへだしてかますごとてうるなり

(大意)

(補足)

「可ますこ」、『かますご【叺子】〔関西で叺に入れて出荷するからとも,魳(かます)の子に似ているからともいう〕いかなご。こおなご』。『かます【叺】わらむしろを二つ折りにして作った袋。穀物・塩・石灰・肥料などを入れる。かまけ。』

「王らしべ」、『わらしべ【藁稭】稲の穂の芯(しん)。わらすじ。わらすべ。みご。また,わらのくず』。ついでに『わらしべちょうじゃ ―ちやう― 【藁稭長者】昔話の一。一本のわらしべから次々と価値の高いものに交換して,ついに長者になるという話。「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」にも収められており,全国に類似の話が残っている』

「苧」、『お を 【麻・苧】① アサの古名。「―の畠あり」〈宇治拾遺物語•12〉② アサやカラムシの繊維を紡いだ糸。「―をよりて」〈土左日記〉』

「四艘の舟にもやいをつけ」、『もやいぶね もやひ―【舫い船】互いにつなぎとめた船。また,岸につなぎとめた船。むやい船』。『もやいづな もやひ―【舫い綱】船と船,あるいは船を岸につなぐ綱。遣手(やりて)。手安綱(てやすづな)。もやい』

 なかなかの大作です。漁の様子がよくわかります。おしむらくは、網の目を通して透けるように刷ってほしかった。とても残念😢

 すべ網を全部細かい麻糸や木綿糸で編んで部屋に吊るせばかや『【《蚊帳》 ・蚊屋】蚊を防ぐために寝床を覆う寝具。目の粗い麻・木綿などの布で作り,四隅をつって覆う。かちょう。「―を吊(つ)る」季夏「起きて見つ寝て見つ―の広さかな」浮橋』になります。

 

2026年6月8日月曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その9

P16P17 国文学研究資料館蔵

(読み)

海人

あま

あま


海士とも蜑 と毛書 也 世尓ハ蜑 といへバ女  尓限 り多るやうに

あま  あま  可く           おん奈 可ぎ

あまともあまともかくなりよにはあまといえばおんなにかぎりたるように


思 へども男  あまも有 也 海人と書 ハ男 女 能通 称  なり

おも   おとこ   ある             つうせ う

おもえどもおとこあまもあるなりあまとかくはだんじょのつうしょうなり


者多゛可尓て海 中  へ飛 入 鮑  貝  を取 也 籠 尓奈王を徒けて海 底

      可いち う とびいりあハび可゛い     可ご       うミそこ

はだ かにてかいちゅうへとびいりあわびが いをとるなりかごになわをつけてうみぞこ


へ持 行 あハび貝 を取 入 ゝ也 あま海 上  尓あ可゛れバ

 もちゆき               可いしやう      

へもちゆきあわびがいをとりいるるなりあまかいじょうにあが れば


則   奈ハを引 て

す奈ハち   ひき

すなわちなわをひきて


其 籠 を舟 へ取 入るゝなり海人の身春ぎさ満\゛/有 舟 尓て釣 針

その可ご ふ年                   あり    つり者゛り

そのかごをふねへとりいるるなりあまのみすぎさまざ まありふねにてつりば り


尓て鯛 をも釣 奈りよ能つ年ハ鯛 ハ網 尓て取 又 釣 尓も能かゝる奈り

  多い  つる          あミ          よく

にてたいをもつるなりよのつねはたいはあみにてとるまたつりにもよくかかるなり

(大意)

(補足)

「よ能つ年ハ鯛ハ網尓て取又釣尓も能かゝる」、変体仮名「能」(の)と「能(よく)かゝる」では形が異なっていて使い分けています。

 昨日、鴨居の鯛の話をしました。わたしは若かりし頃、その鴨居の鯛釣りの名人漁師の手ほどきを受けたことが何度かあります。鯛の一本釣りです。この画では釣り竿をつかってますが、一本釣りでは腕に釣り糸をもって手繰るようにして糸を上下させます。まさしく一本勝負。釣り上げるとすぐに注射といって針で鯛の浮袋をさします。そして急いで濱の組合の生け簀に全速力で戻ります。舟の生け簀では弱ってしまうのです。

 また、漁師はそれぞれ自分のポイントというものを秘密にして持っています。なので他の漁師が後をつけてくると、そのポイントには行きません。親子でも教えません。一代限りのポイントなのです。海上ですからポイントに着くには昔ながらの方法でした。いわゆる三角測量です。東京湾ですから、たいていの漁師は三浦半島で一番高い山である大楠山、今では年に何回しか見えませんが、昔はたいてい見えていた筑波山、それと観音崎灯台など、それらで位置決めをしていたそうです。今ではGPSで一発。

 鯛が赤いのは、海老が好物で食べるからですね。名人も海老で釣ってました。海老は鴨居の対岸である千葉は富津などでから仕入れてきてました。この海老、食ってもうまく天ぷらでもフライでもほんとにうまかったなぁ。

 海女さんが左手に持っているのはあわびおこしなどといわれているものでしょう。岩場に引っ付いている鮑をこれで引っペがします。チャンスは一回限りで、ヘマをすると鮑は岩に強力にくっついてしまって、はがすのが困難になるし、無理にはがそうとすると鮑の身を痛めてしまいます。

 わたしは大工道具のかすがいを使ってました。カゼ(ウニのこと)をとるにも必需品でした。

 

2026年6月7日日曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その8

P14P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

章魚

たこ

たこ


大 だこ小だこ小八梢魚。望 潮魚。百距     阿り

       くもだこ いひだこ て奈可゛多゛こ

おおだここだこくもだこ いいだこ てなが だ こあり


播 州  明 石たこの名 物 也

     あ可し

ばんしゅうあかしたこのめいぶつなり


但 馬の大 だこ甚  多大 奈り牛 馬 を取 夜 舟 の中 へ手をさしのべて

たじま             うしむま とるよるふ年

たじまのおおだこはなはだだいなりうしむまをとるよるふねのなかへてをさしのべて


人 の有 無 をさぐるといへり◯たこを取 尓ハ

   ある奈き

ひとのあるなきをさぐるといへり たこをとるには


たこ壺 をいくつも徒奈尓つけて桐 の木

  つ本           きり き

たこつぼをいくつもつなにつけてきりのき


の切 口 をうけ尓つけて降  置 一 日 一 夜過 て引 あぐれバ

 きりくち       おろしおき      やすぎ ひき

のきりくちをうけにつけておろしおきいちにちいちやすぎてひきあぐれば


つ本゛の内 尓たこ入 て居る也

    うち      ゐ

つぼ のうちにたこいりているなり


海 中  尓て人 尓すゐ徒けバ者奈れず人 の徒者゛けを以 て

可いち う                      もつ

かいちゅうにてひとにすいつけばはなれずひとのつば けをもって


於とせバよく於徒るといふ

おとせばよくおつるという

(大意)

(補足)

「徒者゛け」、『つば・く 【唾く・唾吐く】

つばきをはく。「其の玉器に―・き入れたまひき」〈古事記•上訓〉』

 明石は鯛も名産です。東では三浦半島は鴨居の蛸と鯛が有名で、江戸時代は鴨居の鯛は大奥に献上されたといわれています。

 近年では蛸もすっかり高級品となってしまい、国内産の蛸を店頭で見かけることはほとんどなくなってしまいました。

 

2026年6月6日土曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その7


P12P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

摂 州  尼  崎 鳥 貝

せつし うあま可さきとり可゛い

せっしゅうあまがさきとりが い


鳥 貝 といふもの昔  ハ奈可りし尓五六 十  年

         む可し

とりがいというものむかしはなかりしにごろくじゅうねん


来 尼  崎 の浦 より出 其 者じめハ毒 有 とて

らい      うら          どくあり

らいあまがさきのうらよりでるそのはじめはどくありとて


人 くハざりし可゛二三 十  年 この可多ハ甚  多゛

ひとくわざりしが にさんじゅうねんこのかたははなはだ


賞  翫  する事 となれ里

しやうくハん  こと

しょうが んすることとなれり


され共 下品 の貝 奈る故 貴人 奈どの料  理尓ハ用 ゆること奈し此 貝

                    りやうり  もち      この可い

されどもげひんのかいなるゆえきじんなどのりょうりにはもちゆることなしこのかい


を取 尓ハ可ごあミを舟 のとも尓つけて舟 尓ハ帆を可けて風 尓従  ひ

 とる                ふ年  本    可せ し多が

をとるにはかごあみをふねのともにつけてふねにはほをかけてかぜにしたがい


者せ由く籠 網 土 砂 と共 尓鳥 貝 をかき入 て取 也

    可ごあミ

はせゆくかごあみつちすなとともにとりがいをかきいれてとるなり


蜆  蛤   を取 尓大 がい同し

志ゝミ者まくり    多い

しじみはまぐりをとるにたいがいおなじ

(大意)

(補足)

 鳥貝を取っているところの画があって、帆柱や帆を綱を張りめぐらして固定しています。実際にこのようにしていたのでしょう。小舟の中の漁師はやけに大きく、布袋様のよう。

 濱に乗り上げてる舟には手伝いの子どもが、こんな小さな子が手伝っていたのでしょうか?

 子どもが手にしているのは櫂(かい)、濱で引き上げていく漁師が持っているのが櫓(ろ)。櫓の扱いのほうが難しいので子どもはまだ櫂で修行中。

 子どものうしろ、ともの中央が欠けていますが、ここに櫓をのせます(櫓杭)。

 なお、文中に鳥貝は下品とあって、これは当然当時のことで、現在では高級品。めったに食せなくなっています。

 

2026年6月5日金曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その6

P10P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

蜆  貝

志ゝミ可い

しじみがい


海 と河 との塩 ざ可ひ尓多 く生  須又 湖 水  尓も阿り

             おゝ しやう   ミ川゛うミ

うみとかわとのしおざかいにおおくしょうずまたみず うみにもあり


小蜆  を取 て泥 池 の中 尓やし奈ひおけバ年 をへて甚

        どろいけ           とし   者奈者多゛

こしじみをとりてどろいけのなかにやしないおけばとしをへてはなはだ


お本きくなりて味 よしといへり蜆  を取 尓ハ竹 籠 をこしらへ

       あぢ              多け可ご

おおきくなりてあじよしといえりしじみをとるにはたけかがをこしらえ


底 尓袋  網 を付 て水 中  をかきて取 也 土 砂 と共 尓

そこ ふくろあミ つけ              つちす奈

そこにふくろあみをつけてすいちゅうをかきてとるなりつちすなとともに


袋  の中 へ入 て

ふくろのなかへいりて


志ゝミハ袋  の中 尓残 り土 砂 ハ袋  あミよりもれてのく也 身志ゞ

           のこり                   ミ

しじみはふくろのなかにのこりつちすなはふくろあみよりもれてのくなりみしじ


ミハ貝 を釜 尓てたき水尓由りて貝 殻  を去 てむきみとする也

     可ま         可い可゛ら さり

みはかいをかまにたきみずにゆりてかいが らをさりてむきみとするなり

(大意)

(補足)

 現在は、袋網のかわりに金属の籠で砂底をかき取るようにして行っていますが、やっていることはおなじです。

 

2026年6月4日木曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その5

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

江鮒 引 網

ゑふ奈ひきあミ

えふなひきあみ


鯔  河 本゛らあり海 本゛らありちいさき時 をすべて江鮒 と云 也

本゛ら可ハ     うミ         とき

ぼ らかわぼ らありうみぼ らありちいさきときをすべてえふなというなり


是 をとるハ地引 阿ミ也 長  さ三 町  者゛可り尓引 廻 して両方

これ    ぢびき    奈可゛             まハ  里やう本う

これをとるはじびきあみなりなが ささんちょうば かりにひきまわしてりょうほう


の徒奈手尓人 阿ま多かゝりて磯 へ引 よせて玉 阿ミをもてすくひ取 也 春べて

              いそ      たま

のつなてにひとあまたかかりていそへひきよせてたまあみをもてすくいとるなりすべて


江鮒 ハ海 と川 との潮 ざかひ尓多 くある也

           しを    お本く

えふなはうみとかわとのしおざかいにおおくあるなり


泥 川 尓生  ずるハ肉 あ可く脂  多 し

どろ   せ う   尓く   あふら

どろかわにしょうずるはにくあかくあぶらおおし


砂 川 尓生  ずるハ肉 白 くあぶら春く奈しゑぶな正 字は撥尾魚と書

す奈

すなかわにしょうずるはにくしろくあぶらすくなしえぶばせいじはいな とかく

(大意)

(補足)

「鯔」、『ぼら【鯔・鰡】スズキ目の海魚。全長約70センチメートル。体はほぼ円筒形で,頭部は縦扁する。背面は灰青色で腹面は銀白色。出世魚で成長とともに呼称が変わり,オボコ・イナ(撥尾魚)・ボラ・トドなどの順に大きくなる。食用。釣りの対象魚。胃は肥厚してボラのへそと呼ばれ,また卵巣の塩漬けをからすみと称する。世界の温・熱帯の沿岸に広く分布し,汽水域や淡水域にも入る』

「玉阿ミ」。『たもあみ【攩網】竹や針金の口輪のついた袋状の網に長い柄をつけたもの。魚をすくい取るのに使う。たも。』

 引き網の綱に浮き代わりに材木が結ばれています。

 北斎が波頭のくだけるさまを独特な形に表現してから、ほとんどの絵師たちはそれをまねるようになりましたが、ここではまだかわいらしい水玉の感じ。これはこれでよし。

 冬になると大阪湾でとれたボラの刺身が出荷されて、私の住んでいる田舎の山間のスーパーにも並びます。やすくて脂がのっていてうまいです。ボラはバカにされますが、食べてみれば目からウロコの魚であります。

 

2026年6月3日水曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その4

P6P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

瀬田鰻鱺

せ多う奈き

せたうなぎ


江 州  瀬田より出 るう奈ぎ名 物 也 是 近 江の湖 水 尓て

         いづ    めいふ川        ミ川うミ

こうしゅうせたよりいずるうなぎめいぶつなりこれおおみのみずうみにて


取 ところ也 小舟 尓のり釣 針 尓て流 しづり尓て取 也 又

とる     こぶ年   つり者り  奈可゛

とるところなりこぶねにのりつりばりにてながしづりにてとるなりまた


う奈起゛可起といふ物 有 これ尓て水  中 を可きても取 也◯

                 ミつの奈可

うなぎ かきというものありこれにてみずのなかをかきてもとるなり


日向   国 よりいづる

ひゅうがのくによりいずる


う奈ぎ甚    大 き也 ふとさハ一 尺  まハり

   者奈ハ多゛お本            

うなぎはなはだ おおきなりふとさはいっしゃくまわり


長  さ六 尺  余  奈る阿り余国 尓ハ奈き

奈可゛             よこく

なが さろくしゃくあまりなるありよこくにはなき


大 う奈ぎ也 ◯瀬田より蜆  出 名 物 也 

            志ゝミいづ

おおうなぎなり せたよりしじみいずめいぶつなり


余国 よりハお本き尓して風味 よし

            ふうミ

よこくよりはおおきにしてふうみよし

(大意)

(補足)

「ふとさハ一尺まハり長さ六尺余」の大うなぎ、またまたすぐに嘘とわかるはなしかとおもって調べてみたら、これ以上の大きさのうなぎがどうやら存在するそうです。

デカイっ😳

「流しづり」、現在の延縄(はえなわ)でしょうね。画もそんな感じです。

 左から二人目のお兄さん、右肩に袋をしょっています。この袋にうなぎをいれて鰻屋に運ぶのかもしれません。

 

2026年6月2日火曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その3

P4P5 国文学研究資料館蔵

(読み)

淀 鯉

よどこい

よどごい


鯉 ハ河 魚 の㐧 一 上  品 神 農 本 草 尓鯉 を魚 の王 と春といへり

   可ハうを          しんのう           王う

こいはかわうおのだいいちじょうひんしんのうほんぞうにこいをうおのおうとすといへり


山 城  国 淀 の産 を名 物 と須中 尓も淀 城 の水 車  の阿多りに住

          さん めいぶ川        しろ ミつくるま     すむ

やましろのくによどのさんをめいぶつとすなかにもよどしろのみずくるまのあたりにすむ


鯉 一 し本賞  翫  春る也 志可れども水 車  能邊  尓て

  ひと  しやうくハん               本とり

こいひとしおしょうが んするなりしかれどもみずぐるまのほとりにて


網 打 ことハ淀 の御城 より

あミう川

あみうつことはよどのおしろより


御制 道 あれハ猟  師見多゛り尓魚 を取 こと叶 ハ須゛

 せい多う   れ うし        とる  可奈

ごせいどうあればりょうしみだ りにうおをとることかなわず


鯉 能大 小  ハ一 年 物 二年 物

           袮んもの

こいのだいしょうはいちねんものにねんもの


三 袮ん毛のとて年 尓とりて高 下を王可川年久  しくへ多る本ど魚 ハ於本きし

              可うげ

さんねんものとてとしにとりてこうげをわかつとしひさしくへたるほどうおはおおきし

(大意)

(補足)

「山城国淀城水車」で調べると水車の画がヒットします。しかしここの画のような桶を付けた水車ではなく普通のよくある水車です。

「一し本、『ひとしお ―しほ【一入】〔 →2 が原義〕一 (副)

他の場合と比べて程度がいっそう増すさま。一段と。「寒さが―身にしみる」「感慨も―である」「家の中へ落ち着いて見ると,暑さは―であつた」〈悪魔•潤一郎〉

二 (名)染め物を一度染め液に浸すこと。「―も染むべきものか紫の雲より降れるをとめなりとも」〈宇津保物語•菊の宴〉』

 街道を歩く人たちの姿が印象的。天秤棒をかついだ画、竿の両端に紐をかけるための小さな突起があります。この絵師のこだわりです。

 漁師の船の中、よく見ると,とった鯉が生け簀に入っていました。

 

2026年6月1日月曜日

日本山海名物圖繪巻之五 その2


P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

八 月 枯 鮎

    さびあ由   

はちがつさびあゆ


正 字ハ鰷 とすへし鮎 の字ハ俗 也 此 魚 春 の初  海 と河 と能

               ぞく    うを者る 者しめうミ 可ハ

せいじははやとすべしあゆのじはぞくなりこのうおはるのはじめうみとかわとの


間  尓生 れ河 水 尓さ可の本゛る夏 尓奈りて段 々 尓生 長  し八 月

                             せいちやう

あいだにうまれかわみずにさかのぼ るなつになりてだんだんにせいちょうしはちがつ


より身尓さびを生  須゛それよりハ河 上 より下 りて海潮 さ可ひ尓て子を生 て

       しやう                 うし本

よりみにさびをしょうず それよりはかわかみよりくだりてうしおさかいにてこをうみて


死春る也 八 月 の落 鮎 を取 尓ハ河 の奈可゛れをせきとめ

          おち   とる

しするなりはちがつのおちあゆをとるにはかわのなが れをせきとめ


真 中 を阿けて竹 の簀

まん奈可       す

まんなかをあけてたけのす


を敷 其 上 へ落 くるを取 也 此 竹 の簀を魚梁と云 也

 しき                     や奈

をしきそのうえへおちくるをとるなりこのたけのすをなやというなり


鮎 ハ人 音 春れハ底 尓志づミて

   ひとおと   そこ

あゆはひとおとすればそこにしずみて


動   春゛故 尓是 をとる尓ハ静  尓して人 奈き躰 尓して

う古゛可            しづ可       てい

うご かず ゆえにこれをとるにはしずかにしてひとなきていにして


居る時 ハ鮎 可奈ら須落 来る也

いるときはあゆかならずおちくるなり

(大意)

(補足)

「枯鮎」、『さびあゆ【錆鮎】秋の産卵期の鮎。体に鉄錆のような赤みを帯びる。落ち鮎。季秋』

「鰷」、AIによる概要によると、

『訓読み:はや。音読み:チョウ、ジョウ、ショウ詳細「鰷(はや)」は、コイ科の淡水魚である「ウグイ」などの小魚の古称・総称です。細長い体型をしていることから、魚へんに「條(細長いものを表す)」を組み合わせてできた漢字です』とのこと。

 もう2,30年前のこと、東北の鳴子温泉から山形の県境をこえたところに最上町というところがあって、その前後の河のあたりだったとおもいます。

 この画とほとんど同じ鮎をとる梁が、それはそれは大きく作ってあって、どんどん竹の上ではねてとれるのを半日くらいみて楽しみました。もちろん何匹か焼いて食べました、うまかった。

 川は水量がものすごく、流れの音もあって、この竹の梁を設置するのも命がけだろうなと、鮎をパクツキながらおもったものでした。