P18 東京国立博物館蔵
(読み)
毛多てづ
もたてず
二 日曇 六 時 尓山 中 を出 立 して河 を渡 り
ふつかくもりむつどきにやまなかをしゅったつしてかわをわたり
峠 あり小坂 ありニ里半 行 て舟 木ニ至 ル
とうげありこさかありにりはんゆきてふなきにいたる
爰 ハ能 所 ニて商 人 軒 を並 べ大 名 お泊 り
ここはよきところにてしょうにんのきをならべだいみょうおとまり
ある処 本 陳 アリ此 邊 石 炭 を焚く故
あるところほんじんありこのあたりせきたんをたくゆえ
尓往 来 自然 と煙(ケムリ)仍(ヨツ)て息(クサシ)此 節 十 月
におうらいしぜんと けむり よっ て くさし このせつじゅうがつ
霜(シモ)枯(カレ)時分 なれハ往 来 能人 一 向 尓なし
しも かれ じぶんなればおうらいのひといっこうになし
一 日 尓向 フから来ル者 二三 人 皆 六 部能類(ルイ)
いちにちにむこうからくるものにさんにんみなろくぶの るい
なり一 人大 どてらを着(キ)おそろしき顔 色
なりひとりおおどてらを き おそろしきかおいろ
能者 あとへなり亦 先 へ行キ路 連れ尓ならん
のものあとへなりまたさきへゆきみちづれにならん
(大意)
略
(補足)
「二日」、天明8年10月2日。西暦1788年10月30日。
「本陳」、本陣。「息」、臭。
「煙(ケムリ)仍(ヨツ)て息(クサシ)」、大変に安くて便利だったらしいのですが、匂いと煙がひどくて、いくらか貧しい農民が使用していたらしい。『西遊旅譚二』には石炭に「イシスミ」とフリガナがありました。
「山中」、「舟木」、山中は地名でした。地図では舩木村となってます。
「六部」、『ろくじゅうろくぶ ろくじふろく【六十六部】の略。
法華経を六六部書き写し,日本全国六六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧。鎌倉時代から流行。江戸時代には,諸国の寺社に参詣(さんけい)する巡礼または遊行(ゆぎよう)の聖。白衣に手甲・脚絆(きやはん)・草鞋(わらじ)がけ,背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を負い,六部笠をかぶった姿で諸国をまわった。また,巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食』。
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