2025年6月1日日曜日

江漢西遊日記四 その14

P19 東京国立博物館蔵

(読み)

と云フどう屋らきミ能王るいヤツ故 此 方 カラ

というどうやらきみのわるいやつゆえこのほうから


ハ見ぬ婦りをして居レど兎角尓なれ\/しく

はみぬふりをしておれどとかくになれなれしく


口 をきく故 先キヱ行クべしとて浅 の市 ニて駕

くちをきくゆえさきえゆくべしとてあさのいちにてか


籠尓能りよし田より馬 ニ乗リ小月 を越ヘ長

ごにのりよしだよりうまにのりおづきをこえちょう


府迄 三 里堤(ツゝミ)の上 を通 り其 比 ハゼと云フ

ふまでさんり  つつみ のうえをとおりそのころはぜという


うるし能木実ハ蝋 を取ル此 邊  畑  ノ間  其 外

うるしのきみはろうをとるこのあたりはたけのあいだそのほか


一 面 ニ植ヱ皆 紅 葉 して錦(ニシキ)能如 し漸  ク尓

いちめんにうえみなこうようして  にしき のごとしようやくに


して長 府(フ)能問 屋場尓至  夜 ノ五  時 比 なり

してちょう ふ のといやばにいたるよるのいつつどきころなり


夫 より駕籠ニのり行ク尓闇 夜なり駕籠の

それよりかごにのりゆくにやみよなりかごの


内 ニてトロ\/と眠 り目を覚 し个る尓誠  ニ山

うちにてとろとろとなむりめをさましけるにまことにさん

(大意)

(補足)

「浅の市」、厚狭(あさ)。日本国山口県西部の地名。古地図では「原狭市」とあって、こちらが間違っているようです。 

「よし田」、吉田。吉田村の左下に「厚狭郡」とあって、こちらは正しそう。

「小月(おづき)」、「長府」

「問屋場」、『といやば【問屋場】江戸時代,街道の宿駅で人馬の継ぎ立てなど種々の事務を行なった所。伝馬所。とんやば』

 うるしや櫨(ハゼ)の紅葉はモミジにまさるほどに見事です。

六部はそのまま追い剥ぎになるやもと、江漢さんは恐れて駕籠や馬をつかって(なんせ金は道中、画をかきガッポリ稼いでます)、ようやく長府に夜8時頃到着、ホッとしたことでしょう。しかし夜なのに再び駕籠にのって闇夜を進みます。 

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