2025年6月20日金曜日

江漢西遊日記四 その33

P38 東京国立博物館蔵

(読み)

城  と云 処  舩 能着(ツク)処  なり夫 より大 村 尓

じょうというところふねの  つく ところなりそれよりおおむらに


入ル城  下家 ゴト尓志めを張り入 口 ニ香 を多き

いるじょうかいえごとにしめをはりいりぐちにこうをたき


あるを見て甚  タ怪  ミ問 屋場尓て之 を聞く

あるをみてはなはだあやしみといやばにてこれをきく


尓此 地疱 瘡 をきろふ此 節 長 崎

にこのちほうそうをきろうこのせつながさき


邊 流  行 春夫 故 尓かく能如 しと云フ夫

へんりゅうこうすそれゆえにかくのごとしというそれ


故 可婦人 甚  タよし大 村 より舩 ニ能里

ゆえかふじんはなはだよしおおむらよりふねにのり


長 井と云 処  へ七 里舩 頭 何 ヤラ話(ハナシ)をス

ながいというところへしちりせんどうなにやら  はなし をす


ル一 向 尓王から春゛者なし能仕舞 尓ドウド

るいっこうにわからず はなしのしまいにどうど


となけ多りと云 之 ニて角力(スマウ)能事 と知連り

となげたりというこれにて   すもう のこととしれり


其 日天 氣能ク三 四月 能如 し山 能岸 ニ

そのひてんきよくさんしがつのごとしやまのきしに

(大意)

(補足)

「大村尓入ル」、お城のところには、大村上総介居城久嶋とあります。 

「大村より舩ニ能里長井と云処へ七里」、長井というところが長崎の玄関口「時津」です。彼杵より大村湾を右廻りに浜伝いにたどっています。 

「疱瘡」、天然痘。英国人ジェンナーが牛痘種痘法を確立したのが1798年、日本での種痘の研究は19世紀初頭からですから、当時はここにあるようにしめや札を張ったり香をたいたりと神頼みでありました。

 

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