P26 東京国立博物館蔵
(読み)
真奈靏 能如 し全 躰 白 クして口(クチ)者し
まなつるのごとしぜんたいしろくして くち ばし
足 代(タイ)赭(シヤ)石 の色 なり雁(カン)ハ一 向 尓居春゛又
あし たい しゃ いしのいろなり がん はいっこうにいず また
画ニかく丹 頂 と云 鶴 ハ且 てなし路 々 バセ
えにかくたんちょうというつるはかってなしみちみちはぜ
能木植 て紅 葉 して如錦 雨 ニて七 時 過 ニ飯(イゝ)
のきうえてこうようしてにしきのごとしあめにてななつどきすぎに いい
塚 と云 処 キタナキ家 尓泊 ル寒ムけれハ早
づかというところきたなきいえにとまるさむければさっ
束 火体(ハチ)を出しける尓網(アミ)五徳 ニして夫 ハ石
そくひ ばち をだしけるに あみ ごとくにしてそれはせき
炭 ヲ入レ上 尓熾(ヲキ)を置キ多る者 ニて其熾(ヲキ)
たんをいれうえに おき をおきたるものにてその おき
能勢(セイ)尓てもゑる事 ニて其 おき消(キヱ)レハ石
の せい にてもえることにてそのおき きえ ればせき
炭 共 ニ消(キヱ)ルなり全 ク石 能燃(モヱル)尓非 ス硫黄(ユヲゝ)の
たんともに きえ るなりまったくいしの もえる にあらず いおう の
氣能燃 ルなり風呂も之 ニて立 ル故 とかく尓
きのもえるなりふろもこれにてたてるゆえとかくに
(大意)
略
(補足)
「バセ」、櫨(はぜ)。なぜか二番目に付くべき濁点が手前の文字に付くことがたびたびあります
「早束火体(ハチ)」、早速。火鉢。
「石炭」、北九州で石炭の使用が一般化したのは元禄年間(1688年9月30日〜1704年3月13日)であるとありました。ケンペルの『日本誌』に、江戸参府途上、数ヶ所の炭鉱を示されたこと、採掘や使用法について見聞したことが記されている。なおケンペルは[1651〜1716]ドイツの医者・博物学者。1690年蘭館医として来日。日本の国情および動植物について観察や採集を行なった。92年離日。著「廻国奇観」「日本誌」など。
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