P32 東京国立博物館蔵
(読み)
白 川 ハ宰 府町 能西 南 尓あり哥尓武者゛
しらかわはざいふちょうのせいなんにあり
玉能我可黒髪ハ志ら川能水ハく武まで
老尓个る可な幸 橋 能哥 あり多能もしき
さちばしのうたあり
名尓も有可な道行ハ先幸の橋を渡らん
漆(ウルシ)川の哥尓名尓者いえと黒くも見へ春
うるし川さ春可尓渡る人ハぬる免り其 外
そのほか
苅 萱(カヤ)の関 能古跡 アリ水城(ミツキ)能関 の古跡
かり かや のせきのこせきあり みずき のせきのこせき
あり原 田より中 者るヱヒス能像(カタチ)を石 ニて
ありはらだよりなかばるえびすの かたち をいしにて
きざミ辻 \/尓立 ル原 田より田代 の間 筑
きざみつじつじにたてるはらだよりたしろのあいだちく
後能高麗(カウラ)山 見える中 者るより彦 山
ごの こうら やまみえるなかばるよりひこさん
(大意)
略
(補足)
白川の哥「むば玉の我が黒髪はしら川の水はぐむまで老にけるかな」
幸橋の哥「たのもしき名にも有かな道行ば先(まず)幸の橋を渡らん」
漆川の哥「名にはいえど黒くの見へずうるし川さすがに渡る人はぬるめり」
「原田より田代」、大宰府よりてっきり北西へ博多方面へ出たのかとおもってましたが、大宰府より南下して、画像の右上に原田宿、左下に田代宿があります。
「高麗(カウラ)山」、高良山。久留米市の東5kmにある小さな山。
哥は、当時は太宰府周辺の見どころに、哥の碑でも建っていたのでしょうか。それらを書き写したのでしょう。
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