2025年6月23日月曜日

江漢西遊日記四 その36

P42 東京国立博物館蔵

P43

(読み)

おらん多舩

おらんだふね


唐 人 舩

とうじんふね

P43

屋しきハ十  善 寺と云 処  ニして低(ヒクキ)所  故 見得

やしきはじゅうぜんじというところにして  ひくき ところゆえみえ


春゛唐 舩 ハ七 八 艘 白 キ幡 を立 大 者とト

ず からふねはしちはっそうしろきはたをたておおはとと


云 処  尓かゝ里ておらん多゛舩 ハ其 比 十  月

いうところにかかりておらんだ ふねはそのころじゅうがつ


なれハ大 者とを出 神(カウ)さきと云 処  ハ一 里ヲ

なればおおはとをでて  こう さきというところはいちりを


隔 ツ爰 に一 艘 今 一 艘 ハ山 尓かくれて見

へだつここにいっそういまいっそうはやまにかくれてみ


え春゛向 フ所  ハ西 ニて沖 なり爰 より向

えず むかうところはにしにておきなりここよりむかい


地ハ稲 佐と云 処  なり山 ニ登 り此 景色

ちはいなさというところなりやまにのぼりこのけしき


を寫 春長 崎(サキ)町  数 九  十  六 町  と云 一 躰

をうつすなが  さき ちょうすうきゅうじゅうろくちょうといういったい


海 き王山 ニして町 中 石階(サカ)多 し旅 館 ハ

うみぎわやまにしてまちなかいし さか おおしりょかんは


なし旅 人 滞 畄  を禁 春゛今 能長 崎 尓

なしたびびとたいりゅうをきんず いまのながさきに

(大意)

(補足)

「十善寺」は長崎村と記してある左に十善寺郷とあり、「神(カウ)さき」は地図の左下に神崎臺場、「稲佐」は左端やや上に稲佐山とあります。 

「大者と」、大波止(場)。

「おらん多゛舩ハ其比十月なれハ」、オランダ船は季節風を利用して7~9月ごろにやってきて貿易業務を行い、10月に出航していました。出島には代々カピタンを引き継いだ商館長の日記が豊富にあり、翻訳されてるものも多数あるので、当時の様子がとても詳しくわかります。

 阿蘭陀船出帆之図です。右の山に神嵜とあります。 

 長崎の街なか見物よりも、まず全体を見渡せる稲佐山にのぼり(調べると333mもあります)、写生をするのはいかにも江漢さんらしい。

 

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