P42 東京国立博物館蔵
P43
(読み)
おらん多舩
おらんだふね
唐 人 舩
とうじんふね
P43
屋しきハ十 善 寺と云 処 ニして低(ヒクキ)所 故 見得
やしきはじゅうぜんじというところにして ひくき ところゆえみえ
春゛唐 舩 ハ七 八 艘 白 キ幡 を立 大 者とト
ず からふねはしちはっそうしろきはたをたておおはとと
云 処 尓かゝ里ておらん多゛舩 ハ其 比 十 月
いうところにかかりておらんだ ふねはそのころじゅうがつ
なれハ大 者とを出 神(カウ)さきと云 処 ハ一 里ヲ
なればおおはとをでて こう さきというところはいちりを
隔 ツ爰 に一 艘 今 一 艘 ハ山 尓かくれて見
へだつここにいっそういまいっそうはやまにかくれてみ
え春゛向 フ所 ハ西 ニて沖 なり爰 より向
えず むかうところはにしにておきなりここよりむかい
地ハ稲 佐と云 処 なり山 ニ登 り此 景色
ちはいなさというところなりやまにのぼりこのけしき
を寫 春長 崎(サキ)町 数 九 十 六 町 と云 一 躰
をうつすなが さき ちょうすうきゅうじゅうろくちょうといういったい
海 き王山 ニして町 中 石階(サカ)多 し旅 館 ハ
うみぎわやまにしてまちなかいし さか おおしりょかんは
なし旅 人 滞 畄 を禁 春゛今 能長 崎 尓
なしたびびとたいりゅうをきんず いまのながさきに
(大意)
略
(補足)
「十善寺」は長崎村と記してある左に十善寺郷とあり、「神(カウ)さき」は地図の左下に神崎臺場、「稲佐」は左端やや上に稲佐山とあります。
「大者と」、大波止(場)。
「おらん多゛舩ハ其比十月なれハ」、オランダ船は季節風を利用して7~9月ごろにやってきて貿易業務を行い、10月に出航していました。出島には代々カピタンを引き継いだ商館長の日記が豊富にあり、翻訳されてるものも多数あるので、当時の様子がとても詳しくわかります。
阿蘭陀船出帆之図です。右の山に神嵜とあります。
長崎の街なか見物よりも、まず全体を見渡せる稲佐山にのぼり(調べると333mもあります)、写生をするのはいかにも江漢さんらしい。
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