P48 東京国立博物館蔵
(読み)
なり此 邊 能土民 瑠 球 イモを常 喰 と春
なりこのへんのどみんりゅうきゅういもをじょうしょくとす
長 崎 ニてハ芋 カイを喰 春芋 至 て甘 し
ながさきにてはいもがゆをしょくすいもいたってあまし
白 赤 の二品(ヒン)アリ
しろあかのに ひん あり
十 四 日曇 丈 助 と云 人 松 十 郎 近 所 の人 なり
じゅうよっかくもりじょうすけというひとまつじゅうろうきんじょのひとなり
管生(スコー)山 尓居多る出 家を同 道 春菅生 山
すごう さんにいたるしゅっけをどうどうすすごうさん
ハ西 国 札 所 ニて伊豫能国 なり階(ハシコ)ニて山 尓
はさいごくふだしょにていよのくになり はしご にてやまに
登 り春る処 至 て妙 なる所 と云 不行 此 出
のぼりするところいたってたえなるところというゆかずこのしゅっ
家ニ聞ク
けにきく
十 五日 天 氣此 長 崎 へ入 口 を西 坂 と云 爰 ヨリ
じゅうごにちてんきこのながさきへいりぐちをにしさかというここより
見多るを圖春昼 比 爰 能親 類 の人 参 ル之(コレ)ハ
みたるをずすひるころここのしんるいのひとまいる これ は
(大意)
略
(補足)
「瑠球」、琉球。
「十四日」、天明8年10月14日。西暦1788年11月11日。
「管生山」、愛媛県菅生山大宝寺、四国八十八箇所霊場の44番札所となる寺院。最初の管は「竹」冠、次のは「艹」冠になっています。
「出家」、『僧侶。僧』
「十五日」、天明8年10月15日。西暦1788年11月12日。
「西坂と云爰ヨリ見多るを圖春」、西遊旅譚三に「西坂より長崎を望む」があって、これがその画のようです。
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