P36 東京国立博物館蔵
(読み)
上 置 し尓可参 とそんじ爰 ニて聞(キク)尓夫 ハ
あげおきしにまいるべしとぞんじここにて きく にそれは
三 里跡 なりと云 何 分 ニも可参 とて半
さんりあとなりというなにぶんにもまいるべしとてはん
路ほとあとへかえりし尓イヤ\/之 ハ帰 りニより
ろほどあとへかえりしにいやいやこれはかえりにより
可申 とて又 取 て返 し長 崎 の方 へおも
もうすべしとてまたとってかえしながさきのほうへおも
むきけるあと尓て承 しハ往 来 問 屋場
むきけるあとにてうけたまわりしはおうらいといやば
ヘ此 様 なる旅 人 通 り申 候 哉と度 々 お尋
へこのようなるたびびととおりもうしそうろうやとたびたびおたずね
ありとぞ此方 どう勢(セイ)一 向 尓二 人故
ありとぞこのほうどう ぜい いっこうにふたりゆえ
問 屋場心 付カ春゛とて大 笑 しぬ荻(ヲキ)ハ佐賀
といやばこころづかず とておおわらいしぬ おぎ はさが
城 下より三 里も入り る事 也 爰 より成 瀬と
じょうかよりさんりもいり(た)ることなりここよりなるせと
云 処 ヘ行キし尓之 はよろしから春塚 崎 通 りよし
いうところへゆきしにこれはよろしからずつかさきとおりよし
(大意)
略
(補足)
「申上置し尓」、「置」のくずし字は頻出です。ここのくずし字は読みづらい。
「三里跡なり」、跡は後、つまり行き過ぎてしまった。地図を見ても随分戻ることになります。
「承し」、ここのくずし字の形を調べるとあるにはあるましたが、あまり目にしない形のようです。
「どう勢(セイ)」、『どうぜい【同勢】連れ立って行動している人々。また,その人数。「凡そ十四五人の―で」〈歌行灯•鏡花〉』
いよいよ、長崎目前になってきました。古地図で追ってきましたが、全体図もないとどの程度歩いてきたのかがわからなくなってきていて、国土交通省九州地方整備局佐賀国道事務所のHPに長崎街道の宿場町の地図がありました。
ほぼ江漢さんのたどったところを正確に確かめることができます。
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