2025年6月5日木曜日

江漢西遊日記四 その18

P23 東京国立博物館蔵

(読み)

人 こ々ち付 多り内裏(ダイリ)と云 処  町 アリ蕎麦(ソハ)や

ひとごこちつきたり   だいり というところまちあり   そば や


アリ先 コレヘより荷物 等 直 し皆潮(ウシヲ)尓濡(ヌレ)

ありまずこれへよりにもつとうなおしみな うしお に  ぬれ


寒 く先 蕎麦を申  付 之(コレ)を喰ひ暖(アタ々)まる

さむくまずそばをもうしつけ  これ をくい  あたた まる


べしと思 ヒし尓盥(タラヒ)尓水 をなミ\/と入レて夫 へ

べしとおもいしに  たらい にみずをなみなみといれてそれへ


王川可なる蕎麦を浮(ウカ)べ出しけり夫 故 尓

わずかなるそばを  うか べだしけりそれゆえに


コレニてハ不喰 あ多たか尓して出春べしとて

これにてはくえずあたたかにしてだすべしとて


仕(シ)なをさせ喰ヒけり爰 ニ大 村 侯 本 陳 尓

 し  なおさせくいけりここにおおむらこうほんじんに


滞 畄  アリて玄 関 尓幕(マク)を張リアルを見て吾

たいりゅうありてげんかんに  まく をはりあるをみてわれ


衣(イ)服 を改  メ君邊(クンヘン)へ申  入 候  得ハ早 束 お逢(ア)ひ

  い ふくをあらため   くんぺん へもうしいれそうらえばさっそくお  あ い


アリて此 風 ニハ此方(コナタ)へ渡 ル尓ハ至  てあしゝと

ありてこのかぜには   こなた へわたるにはいたってあししと

(大意)

(補足)

「荷物等」、「等」の略字は「ホ」。

「内裏」、大里村。

「王川可」、変体仮名三文字。わづか。

「大村侯」、大村純鎮(すみやす)。宝暦九(1759)年生。肥前大村2万7900石の藩主。

「本陳」、本陣。

「早束」、早速。

 たらいに水を張って、わずかな蕎麦を浮かべているものを出されたら、そりゃぁ、だれでも怒りそう。温かいものを作り直させて食べました。

 肥前大村藩の江戸屋敷は永田町、現在の国立国会図書館付近であるとのことで、殿様は江戸で江漢さんのうわさを知っていたので、こんなに簡単にお目通りがかなったのだと思われます。

 

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