2025年6月7日土曜日

江漢西遊日記四 その20

 

P25 東京国立博物館蔵

(読み)

往 来 能人 もなく僕 と二 人漸(ヨウヤ)ク五 ツ時 前 なる

おうらいのひともなくぼくとふたり  ようや くいつつどきまえなる


比 黒 崎 の驛 尓至 ル能(ヨキ)家 ニ泊 ル此 節 旅 客

ころくろさきのえきにいたる  よき いえにとまるこのせつりょきゃく


なし

なし


四 日昨 日 ヨリ雨 今朝ヤミ亦タ降 ダス此 邊  時(シ)

よっかさくじつよりあめけさやみまたふりだすこのあたり  し


雨(グレ)とて風 雨多 シ昼 比 ヨリ風 やミ大 雨 トナル

  ぐれ とてふううおおしひるころよりかぜやみおおあめとなる


三 里程 行 てこや能瀬と云 驛(ヱキ)より飯(イゝ)

さんりほどゆきてこやのせという  えき より  いい


塚(ツカ)迄 七 里半 余  能路 なり此 間 靏 多 し

  づか までしちりはんあまりのみちなりこのかんつるおおし


雁(カン)能如 ク幾 武連も飛ヒ田能面ニおりて

  がん のごとくいくむれもとびたのもにおりて


居ルなり多 くハ真奈靏(ツル)黒 ツルハ小(コ)婦゛りニ

おるなりおおくはまな  つる くろつるは  こ ぶ りに


して頭  の当 り赤 シ亦 白 靏 アリ大 キサ

してあたまのあたりあかしまたしろつるありおおきさ

(大意)

(補足)

「五ツ時前なる比黒崎の驛尓至ル」、夜八時前に画像の右上隅の黒崎村に着きました。 

「四日」、天明8年10月4日。西暦1788年11月1日。

「こや能瀬と云驛(ヱキ)より飯(イゝ)塚(ツカ)」、木屋瀬村は黒崎から下ったところ、さらに南下して直方村があって、その先が飯塚村、画像の中央です。西へ約30kmゆくと現在の福岡市になります。

「田能面ニおりて居ルなり」、この「面」をなんと読むのか迷いました。辞書に『も 【面】〔「おも」の「お」が脱落した形〕おもて。表面。あたり。方向。「阿倍の田の―に居る鶴(たず)の」〈万葉集•3523〉』とあったので「も」としました。

「小(コ)婦゛り」、漢字「婦」に濁点「゛」が付いてますけど、変体仮名なのでおかしくはありません。

 鶴がたくさんいるのが、時期としていくらか早いような気がしますが、すでに西洋暦では11月、そしてこの頃の11月は今よりぐっと寒かったのでしょうか。


 

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