P46 東京国立博物館蔵
(読み)
蘭 物 ヲかざり酒 肴 を出し夜 能九 時 過
らんものをかざりしゅこうをだしよるのここのつどきすぎ
尓帰 ル
にかえる
十 二日 天 氣ニて朝 早 く御﨑 観 音 皆 \/
じゅうににちてんきにてあさはやくみさきかんのんみなみな
参 ルとて吾 も行 ンとて爰 より七 里ノ路 ナリ
まいるとてわれもゆかんとてここよりしちりのみちなり
松 十 郎 夫 婦外 ニかきやと云 家 能女 房
まつじゅうろうふうふほかにかぎやといういえのにょうぼう
亦 壱 人男 子五人 ニして参 ル此 地生 涯
またひとりだんしごにんにしてまいるこのちしょうがい
ま由をそら春゛夫 故 王かく亦 き里 うも
まゆをそらず それゆえわかくまたきりょうも
能く見ユ鍵(カキ)や婦ハ者゛多゛し参 リ皆 路 山
よくみゆ かぎ やふはは だ しまいりみなみちやま
坂 ニして平 地なし西 南 を武ゐて行ク右
さかにしてへいちなしせいなんをむいてゆくみぎ
ハ五嶋 遥 カニ見ユ左 ハあまくさ嶋 原 見ヘ
はごとうはるかにみゆひだりはあまくさしまばらみへ
(大意)
略
(補足)
「夜能九時過」、深夜0時。
「十二日」、天明8年10月12日。西暦1788年11月9日。
「御﨑観音」、円通寺観音寺。地図で探すと似たようなお寺がたくさんあって迷います。「爰より七里ノ路」というのと、「西南を武ゐて行ク右ハ五嶋遥カニ見ユ左ハあまくさ嶋原見ヘ」るのは岬の先端にある「肥之御崎観音寺」だとおもいます。
そのお寺をもう少し詳しく調べると
『昔から長崎からの参詣者も多く、唐人屋敷跡に隣接する十人町(じゅうにんまち)から観音様へと続く約28kmの「御崎道(みさきみち)」という道があり、この道にそって観音様詣りをしました。今も「みさきみち」と標された石碑が残っています』
とあって、ここで間違いないようです。
十人前後の人数で片道約30kmの小旅行、ピクニックとはとても言えません。
車でなら行ってみたい。いい眺めだろうなぁ〜。
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