2025年6月26日木曜日

江漢西遊日記四 その39

P46 東京国立博物館蔵

(読み)

蘭 物 ヲかざり酒 肴 を出し夜 能九   時 過

らんものをかざりしゅこうをだしよるのここのつどきすぎ


尓帰 ル

にかえる


十  二日 天 氣ニて朝 早 く御﨑 観 音 皆 \/

じゅうににちてんきにてあさはやくみさきかんのんみなみな


参 ルとて吾 も行 ンとて爰 より七 里ノ路 ナリ

まいるとてわれもゆかんとてここよりしちりのみちなり


松 十  郎 夫 婦外 ニかきやと云 家 能女  房

まつじゅうろうふうふほかにかぎやといういえのにょうぼう


亦 壱 人男 子五人 ニして参 ル此 地生  涯

またひとりだんしごにんにしてまいるこのちしょうがい


ま由をそら春゛夫 故 王かく亦 き里 うも

まゆをそらず それゆえわかくまたきりょうも


能く見ユ鍵(カキ)や婦ハ者゛多゛し参 リ皆 路 山

よくみゆ  かぎ やふはは だ しまいりみなみちやま


坂 ニして平 地なし西 南 を武ゐて行ク右

さかにしてへいちなしせいなんをむいてゆくみぎ


ハ五嶋 遥 カニ見ユ左  ハあまくさ嶋 原 見ヘ

はごとうはるかにみゆひだりはあまくさしまばらみへ

(大意)

(補足)

「夜能九時過」、深夜0時。

「十二日」、天明8年10月12日。西暦1788年11月9日。

「御﨑観音」、円通寺観音寺。地図で探すと似たようなお寺がたくさんあって迷います。「爰より七里ノ路」というのと、「西南を武ゐて行ク右ハ五嶋遥カニ見ユ左ハあまくさ嶋原見ヘ」るのは岬の先端にある「肥之御崎観音寺」だとおもいます。 

 そのお寺をもう少し詳しく調べると

『昔から長崎からの参詣者も多く、唐人屋敷跡に隣接する十人町(じゅうにんまち)から観音様へと続く約28kmの「御崎道(みさきみち)」という道があり、この道にそって観音様詣りをしました。今も「みさきみち」と標された石碑が残っています』

とあって、ここで間違いないようです。

 十人前後の人数で片道約30kmの小旅行、ピクニックとはとても言えません。

車でなら行ってみたい。いい眺めだろうなぁ〜。

 

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