P40 東京国立博物館蔵
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(読み)
夫 より一 方ハ畑 一 方 ハ山 能根を行ク処 ニして
それよりいっぽうははたけいっぽうはやまのねをゆくところにして
岩 尓佛 のか多ちを彫 付 てあり皆 面 部
いわにほとけのかたちをほりつけてありみなめんぶ
手足 を打 かきてあり之 ハ古 へイギリス
てあしをうちかきてありこれはいにしえいぎりす
人 渡 り多る時 能し王ざなりとぞ爰 より長
じんわたりたるときのしわざなりとぞここよりなが
崎 能入 口 なり是 ハ本 道 ニ非 本 道 ハ大
さきのいりぐちなりこれはほんどうにあらずほんどうはおお
村 よりいさ者ヤ四里矢上 ヘ一 里日見へ一 里
むらよりいさはやよりやがみへいちりひみへいちり
長 崎 へニ里なり長 崎 入 口 能町 を桜 の馬場
ながさきへにりなりながさきいりぐちのまちをさくらのばば
と云フ夫 よりして浦 上 と云 処 ニ至 ル高 キ処 ニて山
というそれよりしてうらがみというところにいたるたかきところにてやま
なり爰 も長 崎 へ入 口 人 家續 く長 崎 能
なりここもながさきへいりぐちじんかつづくながさきの
町 中 見ヘおらん多屋しきニハ幡(ハタ)を建て唐 人
まちなかみえおらんだやしきには はた をたてとうじん
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鯖(サハ)腐(クサラカシ)石
さば くさらかし いし
数 丈 ニして上 ノ石 危 くかゝる
すうじょうにしてうえのいしあやうくかかる
さバと云 魚 ハくされや春し夫 を
さばというさかなはくされやすしそれを
持(モチ)行く者 此 石 能落 ン事 を恐 れ
もち ゆくものこのいしのおちんことをおそれ
とヤかくヤと云 うち鯖 くされ多り
とやかくやといううちさばくされたり
(大意)
略
(補足)
「大村よりいさ者ヤ四里矢上ヘ一里日見へ一里」、諫早は右上、矢上、日見は下中央の入江のところ。
「幡(ハタ)」、旗。
「鯖(サハ)腐(クサラカシ)石」、時津の奇岩として有名なようです。『西遊旅譚三』にも画があります。また「岩尓佛のか多ちを彫付てあり」の画もあります。
人家が続く長崎の町中が見え、旗を建てたオランダ屋敷をのぞみ、遠目から長崎に着いたと静かに感じ入っているようであります。
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