P30 東京国立博物館蔵
(読み)
五 時 過 ニ出 立 して爰 より十 四 町 行 て観
いつつどきすぎにしゅったつしてここよりじゅうよんちょうゆきてかん
世音 寺アリ隣 ニ海 代 寺アリ堂 の前 ニ
ぜおんじありとなりにかいだいじありどうのまえに
大 キナル石 臼 あり訳 を聞 ハ埒 もなき事 を云
おおきなるいしうすありわけをきけばらちもなきことをいう
夫 より七 八 町 も行 て田能中 尓一 間 四方 なる
それよりしちはっちょうもゆきてたのなかにいっけんしほうなる
石 尓丸 柱 能礎(イシツヱ)いくらも有 土民 ニ聞ケバ
いしにまるばしらの いしづえ いくらもありどみんにきけば
此 様 なる礎(イシツヱ)耕作(カウサク)能さま多け故 ニ取
このようなる いしづえ こうさく のさまたげゆえにとり
除 个多りと云 都府楼 能址 と云 何 ニせヨ
のぞけたりというとふろうのあとというなんにせよ
春ざましき殿 ありと見へ多り此 邊 田能
すざましきでんありとみえたりこのへんたの
中 路 の傍 ラ嶋 目付 田る瓦 いくらもあり
なかみちのかたわらしまめつきたるかわらいくらもあり
奥 州 多賀城 能瓦 能如 し之(コレ)ハ其 礎
おうしゅうたがじょうのかわらのごとし これ はそのいしづえ
(大意)
略
(補足)
「観世音寺」、宰府村のすぐ左に観世音寺、観世音寺村があります。天智天皇の創建、十一世紀ごろから東大寺の末寺となり以後衰退とありました。
「都府楼能址」、都府楼跡(とふろうあと)の名前で親しまれている大宰府政庁跡は、古代の役所である「大宰府」が置かれていた場所。
太宰府というと名前がよく知られていて、それほど昔ではないのかとおもいきや、ずいぶん昔の時代でありまして、もうほとんど神話の時代になりましょうか。太宰府の北西はすぐ福岡です。
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