P35 東京国立博物館蔵
(読み)
包 ミ来 ル物 なりと云 二里過 て小田と云 処 尓
つつみきたるものなりというにりすぎておだというところに
泊 ル此 邊 ハ東 海 道 筋 の様 なる泊 家ハなし
とまるこのへんはとうかいどうすじのようなるとまりやはなし
皆 百 姓 ニして恒(ツネ)の家 なり先ツ茶 を出ス
みなひゃくしょうにして つね のいえなりまずちゃをだす
尓土瓶(トヒン)尓茶 碗 を銅 能たらひへ入 て出シ
に どびん にちゃわんをどうのたらいへいれてだし
个り然 し九 州 の地者゛ん茶 なし嬉 野
けりしかしきゅうしゅうのちば んちゃなしうれしの
と云 処 茶を出 タ春所 なり茶 釜 なし
というところちゃをいだすところなりちゃがまなし
一 度\/ 尓土瓶(ヒン)尓て煮(ニ)花(ハナ)なり之 能ミ
いちどいちどにど びん にて に ばな なりこれのみ
甚 タよし
はなはだよし
八 日天 氣小田を六 時 出 立 しさて江戸尓
ようかてんきおだをむつどきしゅったつしさてえどに
てお約 束 申 候 て必 荻(ヲギ)と云 所 へ可参 と申
ておやくそくもうしそうろうてかならず おぎ というところへまいるべしともうし
(大意)
略
(補足)
「小田」、地図左側に上小田町とあります。
約三百年ほど前、出島のオランダ東インド会社のドイツ人医師ケンペルは『江戸参府旅行日記』の中で、「牛津川には立派な木橋が架かり付近には遊船もあり、下ると四里から五里で海に注ぐ」、また小田宿(江北町)を通ったとき「小田村の右手には、他の場所より見事な田圃があった」と記しています。
「嬉野」、嬉の喜の部分が、㐂となっています。
「煮花」、にばな煮花・煮端】煎じたての香りの高い茶。でばな。
「八日」、天明8年10月8日。西暦1788年11月5日。
「荻」、小城。牛津の上方、地図の右上にあります。
目的地の長崎に近づいてきたためか、足取りも順調です。
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