2025年6月17日火曜日

江漢西遊日記四 その30

P35 東京国立博物館蔵

(読み)

包 ミ来 ル物 なりと云 二里過 て小田と云 処  尓

つつみきたるものなりというにりすぎておだというところに


泊 ル此 邊 ハ東 海 道 筋 の様 なる泊  家ハなし

とまるこのへんはとうかいどうすじのようなるとまりやはなし


皆 百  姓  ニして恒(ツネ)の家 なり先ツ茶 を出ス

みなひゃくしょうにして  つね のいえなりまずちゃをだす


尓土瓶(トヒン)尓茶 碗 を銅 能たらひへ入 て出シ

に   どびん にちゃわんをどうのたらいへいれてだし


个り然 し九  州  の地者゛ん茶 なし嬉  野

けりしかしきゅうしゅうのちば んちゃなしうれしの


と云 処  茶を出 タ春所  なり茶 釜 なし

というところちゃをいだすところなりちゃがまなし


一 度\/ 尓土瓶(ヒン)尓て煮(ニ)花(ハナ)なり之 能ミ

いちどいちどにど  びん にて  に   ばな なりこれのみ


甚  タよし

はなはだよし


八 日天 氣小田を六 時 出  立 しさて江戸尓

ようかてんきおだをむつどきしゅったつしさてえどに


てお約 束 申  候   て必   荻(ヲギ)と云 所  へ可参   と申

ておやくそくもうしそうろうてかならず  おぎ というところへまいるべしともうし

(大意)

(補足)

「小田」、地図左側に上小田町とあります。 

 約三百年ほど前、出島のオランダ東インド会社のドイツ人医師ケンペルは『江戸参府旅行日記』の中で、「牛津川には立派な木橋が架かり付近には遊船もあり、下ると四里から五里で海に注ぐ」、また小田宿(江北町)を通ったとき「小田村の右手には、他の場所より見事な田圃があった」と記しています。

「嬉野」、嬉の喜の部分が、㐂となっています。

「煮花」、にばな煮花・煮端】煎じたての香りの高い茶。でばな。

「八日」、天明8年10月8日。西暦1788年11月5日。

「荻」、小城。牛津の上方、地図の右上にあります。

 目的地の長崎に近づいてきたためか、足取りも順調です。

 

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