P37 東京国立博物館蔵
(読み)
とぞ塩 田より嬉 野ヘ二里余 嬉 野より彼(ソノ)
とぞしおだよりうれしのへにりあまりうれしのより その
木能間 誠 尓大 山 坂 路 なり漸 ク夜 ニ入 て
ぎのあいだまことにおおやまさかみちなりようやくよるにいりて
彼 木ニ泊 ル此 邊 人 を泊(トメル)事 を商 買 ニ春
そのぎにとまるこのあたりひとを とめる ことをしょうばいにす
る家 なし皆 草履(サウリ)ヤラ。王らじやら賣
るいえなしみな ぞうり やら わらしやらう
る至 てキタナキ家 能ミ夫 故 尓坐しきと云
るいたってきたなきいえのみそれゆえにざしきという
ハなし家内 の者 能寝伏し春る処 尓此
はなしかないのもののねふしするところにこの
方 も一 所 尓袮る事 也
ほうもいっしょにねることなり
九 日天 氣彼 木を六 時 過 ニ出 立 して三 里
ここのかてんきそのぎをむつどきすぎにしゅったつしてさんり
行キ松 原 と云 処 を過 て大 村 ニ入 処 五六 町
ゆきまつばらというところをすぎておおむらにはいるところごろくちょう
能間 タきれいなる処 半(ナカハ)尓桜 木を植(ウユ)亦新(シン)
のあいだきれいなるところ なかば にさくらぎを うゆ また しん
(大意)
略
(補足)
「彼木」、彼杵。
「商買」、商売。となりの左の行に「賣」の漢字があります。
「九日」、天明8年10月9日。西暦1788年11月6日。
「松原と云処を過て大村ニ入」、左上が彼杵、下端中央が大村、お城の画があります。中央に松原。
北は北海道、南は沖縄と、旅行や仕事で全国を渡り歩いたといいたいところですけど、九州には行ったことがありません。大分や熊本、長崎、鹿児島に友人やそのツテで1年くらい遊びに行こうと思っていたのですけど、大分の友人が亡くなったり、その他もろもろの事情でダメになってしまいました。とってもとっても残念であります。しかし、フェリーで九州にわたり、そのまま九州周遊の旅はまだ断念していません。
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