P31 東京国立博物館蔵
(読み)
能時代 より手前 の物 也 菅大臣(クワンタイシン)能此 筑(ツク)
のじだいよりてまえのものなり か んだいじん のこの つく
紫(シ)へ流 されし時 啻僅見瓦色(タ々ワツカニミルカハライロ)と詩句
し へながされしとき としく
あり礎 ハ都府楼 能者 なるべし路 々 此 瓦
ありいしづえはとふろうのものなるべしみちみちこのかわら
を拾 ひても重 け連ハ一 ツ二 ツ持 帰 りぬ針(ハリ)
をひろいてもおもければひとつふたつもちかえりぬ はり
春里と云 所 ハ福 岡 へ能往 来 なり四里ある
すりというところはふくおかへのおうらいなりよりある
よし太宰 府ニハ古跡 多 し其 一 二 を誌 ス
よしだざいふにはこせきおおしそのひとつふたつをしるす
天 原 山 安 楽 寺ハ地名 なり岩 踏 川 社 の北 の
あまがはらさんあんらくじはちめいなりいわふみかわやしろのきたの
方 三 里ニアリ思 川 宰 府町 ノ西 ヘ流 る川 也
ほうさんりにありおもいかわざいふちょうのにしへながるかわなり
愛 染 川 社 の南 尓あり哥 尓今宵 より
あいぞめかわやしろのみなみにありうたにこよいより
亦 ぬら春へき袂(タモト)可なあゐ染 川 能末 能白 波
またぬらすべき たもと かなあいぞめかわのすえのしらなみ
(大意)
略
(補足)
啻(ただ)」、『なんだか通常一般の様子とは異なる、普通でない、といった意味で用いられる表現。 「ただごとではない」などとも言う。 雰囲気などを形容する語として用いられることが多い』
「啻僅見瓦色」、ただ、わずかにかわらのいろをみる。これだけではよくわからないので、ちょっと調べてみました。
『【原文】
都府楼は纔かに瓦の色を看る
観音寺はただ鐘の声を聴くのみ
菅家』、とあって訳は
『(左遷の身の私は官舎の門を出ることもなく)太宰府の都府楼はわずかに瓦の色を看るだけで、(その近所の)観音寺といえば、ただ鐘の音を聞くばかりである。 菅原道真』
そして、『この詩は、太宰府で道真公がおつくりになった「門を出でず」という七言律詩の第二聯(れん)である』とありました。
安楽寺、岩踏橋、思川、愛染川は今でも天満宮近辺の観光コースのようです。
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