2025年6月25日水曜日

江漢西遊日記四 その38

P45 東京国立博物館蔵

(読み)

吉 参 ル話(ハナス)唐 人 八 月 十  五日 月 餅 と云 を

きちまいる  はなす とうじんはちがつじゅうごにちげっぺいというを


造(ツク)り夫 をも羅ゐ喰ヒし尓小麦 能粉 ニて製

  つく りそれをもらいくいしにこむぎのこなにてせい


し油  尓て揚 多る物 至  て甘(アマシ)彼 国 糯 米 アル

しあぶらにてあげたるものいたって  あまし かのくにもちごめある


と雖  モ吾 日本 能米 能如 くなら春゛故 尓

といえどもわがにほんのこめのごとくならず ゆえに


日本 能餅 なし

にほんのもちなし


十  一 日 天 氣嶋 原 屋しきへ行ク晩 方 風

じゅういちにちてんきしまばらやしきへゆくばんがたふ


呂屋へ行ク居ヘ風呂也 夜 ニ入 平 戸町  幸

ろやへゆくすへぶろなりよるにいりひらどちょうこう


作 処  ヘ行ク二階 おらん多坐しきを見 物 ス

さくところへゆくにかいおらんだざしきをけんぶつす


イキリス細 工のヒイドロ額 蘭間(ランマ)下 ニ掛ケ

いぎりすさいくのびいどろがく   らんま したにかけ


ならべ下 ニハ椅(イ)スを並  其 外 奇妙  なる

ならべしたには  い すをならべそのほかきみょうなる

(大意)

(補足)

 前々回のブログで「おらん多舩 唐人舩」の画がありました。記録に、この年天明8年(1788)には、唐船は13隻、オランダ船は2隻来航したとあるので、江漢さんはちょうどこれからそれら船が帰国するところに出会ったようです。

「も羅ゐ」、この変体仮名「羅」(ら)はあまりみなかったような気がします。

「甘」、調べてみるとここにあるような「耳」に似たくずし字もあることがわかりました。

「十一日」、天明8年10月11日。西暦1788年11月8日。

「おらん多坐しき」、吉雄幸作はオランダ人と接する中で異国の書物・絵画・器具など珍品を収集し、それらを自宅の二階をオランダ風にした部屋に飾った。食事会なども催し、当時人々はこの二階を『吉雄の阿蘭陀座敷』と呼んで珍しがった、とありました。

 

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