P14 東京国立博物館蔵
(読み)
揚 代 ハ十 七 匁 なりとぞ大 笑 してやめぬ
あげだいはじゅうななもんなりとぞおおわらいしてやめぬ
夫 より芝 居を見ンとて行 个る尓畠(ハタケ)中 へ菰(コモ)
それよりしばいをみんとてゆきけるに はたけ なかへ こも
張リして夜 芝 居の人 形 なり人僅(ハツカ)尓見
はりしてよるしばいのにんぎょうなりひと わずか にけん
物 春至 て寒(サム)し芝 居能内 尓に うめんを
ぶつすいたって さむ ししばいのうちににゅうめんを
賣ル先ツ之(コレ)ヲ喰ヒ芝 居を出て右 ノ方 ニ行ケ
うるまず これ をくいしばいをでてみぎのほうにゆけ
ハ明 家を俄 尓竹 を打 付 てコウシとして
ばあきやをにわかにたけをうちつけてこうしとして
遊 女 四五人 並 フ何 レも赤 キ装 束 なりき
ゆうじょしごにんならぶいずれもあかきしょうぞくなりき
コー(ウ)シ能側(ソハ)へ寄(ヨリ)見ル者 ナシ大 道 能真中(マンナカ)
こ う しの そば へ より みるものなしおおみちの まんなか
尓立チ吾 ハコウシニよりて見 物 してキタナキ宿
にたちわれはこうしによりてけんぶつしてきたなきやど
へかえりぬ夫 より又 酒 を呑 酔(ヨツタ)まき連尓寝(ネ)
へかえりぬそれよりまたさけをのみ よった まぎれに ね
(大意)
略
(補足)
江漢さんの会話文はかまえることなく、普段のままのような感じで、とても味があります。きっとこのままの会話がされていたのではと二百数十年前に気持ちはとんでしまいます。
また、江漢さん、遊女の取材というか様子も事細かく描写していて、当時の風俗がわかってこれまた貴重な資料となります。
五街道の宿場には必ず揚屋はあって、またその枝路や山間の村にも遊女がいたのが江漢さんのこの日記からだけではなく、そのころの旅日記などを読むとでてきて驚かされる一方、そのような労働でしか日銭を稼げなかった貧しさがありました。
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