2025年5月25日日曜日

江漢西遊日記四 その7

P10 東京国立博物館蔵

P11

(読み)

古ろより續(ツゝヒ)て今 ニありとぞ江能浦 と云 処

ころより  つづい ていまにありとぞえのうらというところ


尓元 信 能筆 拾 松 アリ爰 ヨリ坪 生村 アリ

にもとのぶのふですてまつありここよりつぼおむらあり


赤 松 村 アリ嶋 田村 まて二里能路 なり爰

あかまつむらありしまだむらまでにりのみちなりここ


ニ泊 ル往 来 ニ非 ざれハ旅 人 宿 なし庄  屋

にとまるおうらいにあらざればたびびとやどなししょうや


より差 づにして宿 を取ル此 所  町 ニテ埒(ラチ)もな

よりさしずにしてやどをとるこのところまちにて  らち もな


きキタナキ農夫(ノウフ)三(サン)ジヨウしき程 能所 ロ

ききたなき   のうふ   さん じょうじきほどのところ


内 ニ俵  ヤラコモヤラ物 置 能様 なる処  故 ニ先ツ

うちにたわらやらこもやらものおきのようなるところゆえにまず


掃除(ソウジ)せんとて吾(ワレ)ハ杖(ツヱ)を持 てタゝミを打(ウ)ち

   そうじ せんとて  われ は  つえ をもちてたたみを  う ち


多々きボク弁 喜ハ笠(カサ)ニてあお里微塵 の

たたきぼくべんきは  かさ にてあおりみじんの


こみを出して漸(ヨウヤク)坐し希り此 節 此 所  尓ハ

ごみをだして  ようやく ざしけりこのせつこのところには

P11

嶋 田村 ニ

しまだむらに


泊  タル

とまりたる


(大意)

(補足)

「古ろより」、変体仮名「古」(こ)は意外と盲点、「こ」よりもこちらのほうがよく使われます。

「元信能筆拾松」、絶景の景勝地にこのように呼ばれる松があちこちにあるようです。元信は狩野元信のこと。

「室積村」から「嶋田村」への古地図、「坪生村」と「赤松村」は確認できません。


 P11の画。三畳敷の「俵ヤラコモヤラ物置能様なる」様子を隙間なく細かく描いています。江漢さんはとにかく老婆をやさしく暖かい筆致で描くのが上手い。とても絵筆を出すのを面倒がる人とはおもえません。

 老婆は右手人差し指を指差し、江漢は左手を同じようにして(江漢はどうやら左利きのようです)、対話の雰囲気を醸し出しているところなどなかなかであります。うしろにいるのはボクの弁喜でしょう。右奥には何やら鍋を持ち、料理しているもうひとりの老婆がいます。むさっ苦しい小屋のような中でもどこかほのぼのとする画であります。

 

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