P7 個人蔵
(読み)
tatami, those mats of dazzling cleanliness,
on which Japanese existence is passed.
Finally, you mount a staircase, very shining,
very polished, to the nikai or first floor,
where you are greeted from every quarter
at once with a second chorus of ' Irasshai!'
The whole room is at your disposal; you
may sit, where you please, or rather, where
you can, for most seats are filled, as a rule,
from the commencement.
(大意)
日本人は輝くくらいに拭かれて清潔な畳というマットの上で生活しているからである。
寄席小屋では最後に、ピカピカに磨きあげられて輝いている階段を上がり、二階(一段目の床)へ行く。一斉に四方八方から二度目のいらっしゃいの合唱で迎えられる.
部屋全部が自由席で、どこに座ってもよい。というのも、ほとんどの席は、大抵の場合、最初から埋まってしまっているからだ。
(補足)
その6で「大人口十」の意味が不明としました。調べたり考えたり、💡っとひらめきました。読みはそのままできっと「おとなくちじゅう」です。意味はこの「口」というのは助数詞で一口(ひとくち)、二口(ふたくち)などのように使います。なのでこの大人口というのは大人ひとりということで、十は十銭ということ。大人一「人」十銭の「人」を一口噺にひっかけて大人口十と寄席風にしたものとおもわれます。
観客の後ろには、煙草盆やお茶のお盆、下足札もあります。江戸後期から明治に日本にやってきた西欧では上流階級に属するような人たちが、一様に驚いたのが日本の一般庶民の着物の色柄のシックさで、そのセンスの良さに感嘆しています。
観客の薄ろ姿だけでも、地味ではありますが一人ひとりの色柄を変えていて、女子は娘の髷もあれば、御婦人の丸髷も数種類あるようにおもわれます。女の子もちらっと見えています。絵師・彫師・摺師の三者がとても優れていることがわかります。
わたしが小学校入学したときの学級の保護者との記念写真では、母親たちは全員着物姿でありました。
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