P49 東京国立博物館蔵
(読み)
上 ノ方 ヘ十 余町 行キ亦 河 をこな多へ渡 リて
かみのほうへじゅうよちょうゆきまたかわをこなたへわたりて
十 五六 町 行キ阿品 村 を過 て山 合 ニ行 事
じゅうごろくちょうゆきあじなむらをすぎてやまあいにゆくこと
八 九町 犬戻(モトシ)と云 処 山 皆 岩 石 なり渓 水
はっくちょういぬ もどし というところやまみながんせきなりけいすい
岩 能間 を飛ヒ流 レ誠 尓画能如 し比 ハ秋 なれ
いわのあいだをとびながれまことにえのごとしころはあきなれ
ハ紅 葉 綿 能如 し岩 上 ニ能ほりて酒 を
ばこうようにしきのごとしいわうえにのぼりてさけを
呑 其 景色 を写 春夫 より一 里半 行 て
のむそのけしきをうつすそれよりいちりはんゆきて
弥山 可嶽 アリ登 ル事 廿 一 町 路 ナシ岩
みせんがたけありのぼることにじゅういっちょうみちなしがん
石 ニ取 付 登 ル頂 尓小 キ社 アリ山 神 を祭 ル
せきにとりつきのぼるいただきにちいさきやしろありやまかみをまつる
鐘 あリ其 か年を武せ う尓津きならし傍 ラ
かねありそのかねをむしょうにつきならしかたわら
尓茶 やアリ其 家 横 尓倒(タヲレ)かゝ里て一人
にちゃやありそのいえよこに たおれ かかりてひとり
(大意)
略
(補足)
「阿品村」、古地図になかったので、現在の地図。阿品村が左上隅、岩国城が右下隅、中央に犬戻しがあります。「弥山可嶽」は阿品の左側の山。
「紅葉綿能如し」、紅葉の様を綿に見立てたのかとおもいましたが、錦の間違いのようです。
「弥山可嶽」の岩山登山の様子は『春波楼筆記』にも記している。
「岩國尓至り。彌山が嶽尓登らんとて。其路犬戻しとて。岩石をあら者し。飛泉流れ誠尓
岩國とハ。爰を言ふか。農夫樵木の路尓して。漸く過ぎて。一村尓入る。五六歳の童女三
歳位の児を背尓おふて行くあり。此者両親尓離れ。外尓よるべき者なし。一村中の食の
餘りを請ひて助かりぬ。家ハあると見えたり。鰥寡孤獨の者ハ。領主より助けすくふべ
き尓。此国の大夫舎と云ふ人ハ。賢人尓て。學問したる人と云ふ事を。其頃尓聞けり。行
き渡らざる事と見えたり。世尓唐めきたる事を好み。風流なる人を誤りて學者と云
ふ者多し」
『鰥寡』、かんか。妻を失った男と,夫を失った女。
なるほど、「岩国とはこれを言うか」に納得いたしました。
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