2025年4月15日火曜日

江漢西遊日記三 その47

P47 東京国立博物館蔵

(読み)

家内 尓疱 瘡 人 ありし時 爰 ニ居ル事 なら春故

かないにほうそうにんありしときここにいることならずゆえ


尓小津村 と云 処  へ引 越し比 ハ三 月 也 爰 ハ蜃(シン)

におづむらというところへひっこしころはさんがつなりここは  しん


氣楼(ロウ)能立ツ処  なり天 氣至  テ長 閑なる日霧(キリ)

き  ろう のたつところなりてんきいたってのどかなるひ  きり


能如 くか春ミて其 中 ニあら和れる長  州  八代(ヤツシロ)

のごとくかすみてそのなかにあらわれるちょうしゅう   やつしろ


嶋 三 万 石 能處  カムロ嶋 上 の関 此 嶋 能間

しまさんまんごくのところかむろしまかみのせきこのしまのあいだ


ニ立ツ事 なり其 嶋 一 面 尓か春ミて見へざる

にたつことなりそのしまいちめんにかすみてみえざる


様 ニなると其 中 ニ竹 林 或  ハ松 並 木楼 閣

ようになるとそのなかにちくりんあるいはまつなみきろうかく


能如 キ者 う春墨 ニて画(ヱカク)可如 く見ユ正  面

のごときものうすずみにて  えがく がごとくみゆしょうめん


ハ海土路(ミトロ)村 ハ正  面 なり小津村 ハ斜  なりと

は    みどろ むらはしょうめんなりおづむらはななめなりと


爰 ニてハ嶋 遊 ひと云 なりさて亦 此 国 尓犬

ここにてはしまあそびというなりさてまたこのくににいぬ

(大意)

(補足)

「小津村」、尾津村のことでしょうか?岩国から東の浜の村名は海辺なのでみな「津」がついています。

「蜃気楼」、3つの島の名前があり、「上の関」は上関(かみのせき)のことだとすると、それら周辺に残り2つの島名がなければなりませんが、みつかりません。また小津村(尾津村)から上関の方角を見ることはできなそう。

「海土路(ミトロ)村」、海土路町(みどろちょう)。ここより13時半の方向の赤丸で見えにくくなっているところが尾津町。 

 蜃気楼の見える3つの島の位置や、「正面ハ海土路(ミトロ)村ハ正面なり小津村ハ斜なり」の位置関係が不明です。

「疱瘡」、江戸時代の疱瘡の医療に関する書物はたくさんあって、香港やバタビアから種痘の種を運んだり、医者が自分自身を実験台にしたりと、それらどれもが感動的です。

 

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